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第二章 モブ山モブ生の奮闘(5)

「鞄を取ってくるから、少し待っていてくれ」  香月と瀧居家が席に戻り、鞄を手にしてやってくる。本田たちはもう教室を出た後だ。水無瀬川の件で心配させてしまったが、香月との関係に変化がなさそうなのを見たからだろう。明日、もしかすると話を聞かれるかも知れないなと思いながら、俺は香月たちと一緒に学園を出た。  徒歩で二十分の俺の家まで香月家の送迎車を使うのは仰々しいと思ったのだが、香月と瀧居家の帰途のこともある。結局、車に乗せてもらって家を目指すことになった。俺の家の住所は事前に調査済みであるようで、住所を告げようとしたところで香月にやんわりと断られた。  車内では水無瀬川家と香月家との関係について少しだけ聞けた。香月の母が水無瀬川の母に華道を習っているのだそうだ。同い年の子どもを持つ母親同士が意気投合したところから、家族ぐるみの付き合いが始まったらしい。 「何時頃まで大丈夫かい」 「母さんの帰宅が六時半ぐらいだから、それまでならいいよ」  車を降りた香月に訊かれて答えれば、それまで送迎車は余所で待たせるつもりなようだ。瀧居家が運転手に時刻を告げる。  家に駐車スペースはあるにはあるが、父も母も電車通勤な我が家ではマイカーが占拠している状態だ。家の前に道路に停めさせる訳にもいかないと思っていたので、ここは有難く香月たちの慣習に乗っかることにする。  運転手も香月の寄り道にもう慣れたのだろう。畏まりましたと恭しく頭を下げると、それ以外に何も言うことなく、黒塗りの送迎車を発進させていった。 「壁に蔦が繁っているね。いい雰囲気だ」 「そろそろ刈らないといけないんだけどね」  俺の家をしげしげと眺めている香月を後ろに、俺は玄関に続くステップを上がった。ドアに鍵を差し込み、鍵を開ける。亘代はもう帰宅しているようだ。玄関に通学用の靴が揃って置かれているのが目に入る。 「お兄ちゃん、お帰りな……」  とたたたと階段を下りてきた亘代の動きが一瞬止まった。  いずれはそういったこともあると想像はしていたものの、いざそれが実現した今、どう動けばいいかわからなくなったようだ。ぎくしゃくした動きで残りの階段を下りきると、「い、いらっしゃいませ!」ぺこりとお辞儀をする。緊張しているのだろう。亘代の表情は心なしか硬い。 「もう、お兄ちゃん。ぼけっとしないで!」  けれども亘代の切り替えは早い。直後には、靴箱脇のスリッパ立てからスリッパを出してきて、「大丈夫? お茶の用意とかお兄ちゃん出来る?」と、俺の顔を覗き込んできた。 「適当に色々出すから大丈夫だよ」 「本当かなあ。何かあったら呼んでね。じゃ、じゃあ、ごゆっくり!」  香月と瀧居家に向き直った亘代が再度お辞儀をして階段を上ってゆく。動きがぎこちないのは、香月の視線を意識しているからだろう。本音のところでは香月の顔を拝んでいたいだろうに、自分の立場を鑑みて自分の部屋に戻る辺りいじらしい妹だ。 「しっかりした妹さんだね」 「うむ。奥山とは真逆だ」 「ホント、俺には勿体ないくらい出来た妹だよね」  俺は玄関を上がって、リビングに香月と瀧居家を招き入れた。二人にソファを勧めて、続きになっているキッチンに立つ。  何を出すかは悩んだが、甘い物が苦手な瀧居家に合わせて、ティーパックの紅茶と戸棚の中にあったソフトせんべいを用意することにした。  両親が幼い頃から共働きなこともあり、このぐらいの準備なら俺でも出来る。お湯を沸かすついでにお弁当箱を洗っていると、「いつもこんな感じなのかい?」香月が尋ねてきた。 「いつもって?」 「友達が家に来たときだよ。奥山がもてなしをするのかと思ってね」 「あんまり家に友達を招くってことはないけど、大抵は帰り道でジュースとお菓子を買ってくるかな。今日は急だったからこんな感じだけど」 「なら、次からは私もそうしよう」  普段、香月が飲んでいる紅茶からすれば、きっと相当に味が落ちるだろう市販のティーパック。淹れ方次第では美味しくなるらしいが、生憎俺はその遣り方を知らない。いつも通りに淹れて、いつも通りに出す。  お茶請けのソフトせんべいは個包装の状態で皿に乗せた。テーブルに空けてしまってもよかったのだが、なんとはなしにそうし難い雰囲気がある。  俺の母はリビングに家族で集まってお菓子を食べる時に、必ず容器を用意する人間だ。そうしたイメージがあるからだろう。香月は「そんなに気を遣わなくていいよ」と寛大だったし、瀧居家にしても「ソフトせんべい如きでな」と皮肉交じりに俺の気遣いを遠慮する言葉を吐いたが、イメージというものは馬鹿に出来ないものだ。いつもの形であるだけで落ち着きが違う。 「奥山の部屋には入れないのかい」  俺がソファに腰を落ち着けると、香月が尋ねてきた。 「俺の部屋はベッドがあるからね。高校生男子三人だと、腰を落ち着ける場所がなくなっちゃう」 「部屋は何畳?」 「八畳だね」 「私の寝室の半分くらいか」  寝室が十六畳ということは、他にも部屋があるってことだよな。そう思った俺は香月に尋ね返した。 「寝室以外に部屋があるの?」 「あるね。勉強部屋と書庫とプライベートルームと防音室。これが私に与えられている部屋だ」 「防音室って、何?」 「バイオリンを弾く為に作ってもらったんだ。オーディオ機器も入れているから、音楽が聴きたくなったときもその部屋を使うね」  矢張り、お坊ちゃんである。  さらりと言ってのけた香月に驚くも、あまりこういった話題を深堀りするのは香月に対して失礼な気がする。だから俺は話題を変えることにした。香月にとって俺の生活が異文化であるように、俺にとっても香月の生活は異文化なのだ。当たり前の差についてくどくど聞くのは友達らしくない。 「そういや、来週は中間テストだね」 「そうだね。テスト勉強はしているかい」 「俺はあんまりしないんだよね。赤点取らなきゃいいか、みたいな。入学したての頃は真面目にしてたんだけど、うちの学園、上位が凄いでしょ。香月たちもそうだけど。俺は頑張った量がそのまま成績に反映されないからさ……」  中受のときは塾に通ったが、学園に入学し、部活動を始めたことで辞めてしまった。部活動を辞めた今、大学入試対策に塾ぐらいはと母は言ってくるのだが、こののんびりとした生活に慣れてしまうと中々腰が上がらない。お陰で俺の成績は中間あたりで行ったり来たりだ。 「それはお前の勉強の仕方に問題があるんだ」  瀧居家が渋い顔をしながら口を挟んでくる。  香月と瀧居家のテスト順位はいつでも十番以内。とはいえ、俺とこうして付き合う時間を捻出出来るのだから、毎日のように塾に通っている訳ではなさそうだ。  家庭教師という可能性もあったが、口振りからしてそれだけではないのだろう。そこにコツがあるのだとしたら知りたいものだ。俺は少しだけ身を乗り出して、瀧居家に訊いた。 「そうなのかなあ。参考書見ながら問題解くだけじゃ駄目?」 「良くはないね」香月が言った。「人によるとは思うが、根本的に理解をしないと実にはならないだろう」 「ただ覚えるだけではな。テストが終われば元の木阿弥だ」  どうやらコツなどというものはなく、正攻法で攻略しろということらしい。  ということは、地頭の勝負でもある。  ならいいか。俺は「そっかあ」と頷いて、紅茶を啜った。  香月と瀧居家に地頭で及ぶ気もしなければ、こつこつ積み重ねてゆくのも苦手である。ならばこのまま、赤点を取らないラインを維持していった方がいい。中受で一生分の努力を使い果たした俺は、普段の生活では、もうそこまで頑張りたくないのだ。  いずれ大学受験シーズンに入れば、嫌でも頑張らざるを得なくなる。そこまで努力は取っておこう。そんなことを考えていると、香月の声が耳に飛び込んできた。 「良からぬことを考えている顔をしているね」  ぎくり。  笑って言う香月に、俺は自分の浅ましい考えを読まれたような気分になった。 「は、はは……そんなことは、少し、あったり……」  俺が表情に出易いのだろうか。香月は時々、俺の考えを見透かしているような台詞を吐く。瀧居家もそうだ。彼らからするとわかり易い思考回路をしているのか、わかっている風な口をきいてくる。それが気分が悪いという訳ではないのだが、俺のつまらない人間性が把握されているような気がして、非常に気まずい。 「まあ、これがモブ山モブ生の所以だとすれば、納得ではあるが……」 「勿体ない気がするね。さして勉強せずとも中間順位をキープ出来るのだったら、真面目にやればもっと上を目指せるだろうに」 「いや、うん。まあ、出来ないよりは出来た方がいいけどね。でも、今しか出来ないこともあるしなあ」  俺の両親は勤勉を絵に描いたような人間だが、それを目にしているだけに、俺はのんびりするということに対して貪欲だ。そもそも働く年数は長い。人生の大半を人間は勤労に使わねば生きていけないのだから。  だったら、俺は学生時代ぐらいはのんびりゆったり過ごしたい。俺にもし野望があるのだとしたら、それはこれに限ると俺は思っている。 「ふふ。そういうところは君らしいね。勉強に重きを置かない辺り」  香月がおもむろに紅茶を飲む。俺に言っても無駄だと思ったのかは定かではないが、それでこの話は終わりにするつもりらしかった。ティーカップをテーブルに戻すと、「そうだ」と、ブレザーのポケットからスマートフォンを取り出してくる。 「ずうっと聞こうと思って忘れていたよ。奥山の電話番号を教えてくれないかい」 「え? いいの?」 「うん。偶には瀧居家抜きで話もしたいしね」  本人の居る前で堂々と口にするのも大した度胸だが、瀧居家は慣れているようだ。涼しい顔で紅茶を啜っている。 「あ、じゃあ……」俺は番号を口にした。 「うん。登録出来た。かけてみてもいいかい」 「いいよ」  俺もブレザーのポケットからスマートフォンを取り出す。少しして鳴り出す呼び出し音に、画面を見れば確かに知らない番号が表示されている。  これが香月の電話番号か。  早速、その番号を電話帳に登録する。電話帳に刻まれた香月の文字がこそばゆい。こうやって、ゆっくりと友達関係を進めてゆくのもいいものだな。俺はいつか香月と一対一で話す日がくるのを夢見ながら、彼らとのささやかなティータイムを楽しんだ。  他愛もない会話ばかりだったが、それが心地いい。  香月と瀧居家が家を辞したのは十八時を回った頃だった。「なら、また明日ね」肩を並べて玄関から出てゆく香月と瀧居家を見送った俺はリビングの片付けを済ませた。いつもは家族が顔を揃える場所に、今日、俺は香月を迎え入れたのだ。その事実に少しだけ胸が高鳴る。  学園の高嶺の花、香月一生。  香月と一緒にいるだけで、俺の人生は華やかになる。そう、山も谷もなかった平坦な俺の人生に、香月は大きな花を添えてくれた。有難いことだなあ。自分の部屋に戻りながら、俺は今日という日の喜びをしみじみと噛み締めた。

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