13 / 24
第二章 モブ山モブ生の奮闘(6)
と、いうことで写真である。
俺は緊張しながら昼休みを迎えた。いつものように隣の席にやってくる香月を横目に、家で練習した言葉を胸の内で反復する。「写真、撮らせてもらってもいい?」たったこれだけの言葉をわざわざ練習するのかと亘代は呆れていたが、俺は肝心なところでは臆病になる所謂ビビりである。いざとなったら口に出せない可能性は大いにあった。
何故、昨日の今日で香月の写真を撮る話になっているのか。それは全て亘代の所為である。
香月が家にやってきたことで、亘代の気持ちにはブーストがかかってしまった。夕食の席で両親に嬉しそうに香月にスリッパを出したことなどを報告すると、その場で「お兄ちゃん、早く写真撮ってね」と俺にせがんできたのだ。これに両親が反応した。亘代から経緯を聞いた二人は、一か月半が経過しても俺が写真を撮ってこないのは、面倒臭さが先に立っているからではないかと推測したようだ。「今撮れないものをいつ撮る気なんだお前は」と、父は言い、「期待を持たせるような真似をしたのだから、ちゃんと行動しなさい」と、母まで亘代の肩を持つような台詞を吐く。
両親は瀧居家の怖さを知らないのだ。
しかし、両親の言うことも尤もで、たかが写真一枚に時間をかけ過ぎなのは間違いない。さっくり頼んでみて無理なら諦めればいいだけの話だ。そう考えてみると、構え過ぎていた自分が馬鹿らしくなった。亘代も断られてまで欲しいとは思っていないようで、「そのときは仕方ないから」と言ってくれた。ならば頼むだけ頼んでみよう。俺がついに重い腰を上げようとしているのはそういう理由からだった。
今日の弁当は照り焼きチキンに、がんもと人参といんげんを煮たのと、小さなクリームコロッケが二つ。それにキュウリとプチトマトだ。プチトマトは母の弁当の彩りの定番である。俺はあまり好きではないのだが、母が頑張って作ってくれた弁当に入っている以上は、きちんと完食してみせる。そう思いながら、先ずはご飯に箸を持っていく。
練習はしたが、どのタイミングで切り出したものか。
食べている間にスマートフォンを構えるのは流石に下品である。食べ終わった頃合いを見計らって言うのがいいだろう。そんなことを考えながら会話と食事を進めていると、昨日に引き続いてまた水無瀬川がやってきた。
「ねえ、俺も混ぜてよ」
手にはランチバックを持っている。
そのまま、俺や香月の返事も待たずに近くの席に着いた水無瀬川に、俺はほっとしたような、けれども気落ちしたような気分になった。水無瀬川が居ては写真の件を切り出し難い。どうしたものか。悩ましさに無言でいると、香月が口を開いた。
「自分のクラスで食べないのかい」
「一生と一緒がいい。駄目なの? ね、モブ山、俺も仲間に入れてよ。昨日のことは謝るから」
「え? あ? うん。俺はいいよ」
もうランチバッグを開いてお弁当箱を出している水無瀬川にクラスに戻れとも言えないだろう。それに俺ははっきりと物を言う水無瀬川が嫌いではないのだ。何だと言いつつ、ちゃんと俺の存在を認識していて、声をかけてくれる。数多の交流のない上流階級の子息子女たちと比べれば、水無瀬川は俺たち一般生徒の側に下りてきてくれる貴重な存在だ。
「やったぁ。じゃあ、遠慮なく」
こういう現金なところが、水無瀬川を憎めない原因なんだよなあ。俺はいそいそとお弁当箱の蓋を開く水無瀬川を横目に、香月に向き直った。
「水無瀬川とはいつからの付き合いなの?」
「小学生の頃からだね」
「三年生のときだよ。一生はもうあの頃から身長は高いし、格好はいいしで……」
「始まったぞ。こうなると水無瀬川は長い」瀧居家が肩をそびやかした。
「凄かったね。学校行事で一生の出番が回ってくると、保護者が皆カメラを構えるんだよ。そのぐらい一生の容姿は飛び抜けててさ」
うっとりと目を細めて話をする水無瀬川が、香月の話をする時の亘代と重なる。
成程。俺はなんとはなしに納得した。
俺が水無瀬川を憎めないのはこういったところも関係しているんだ。
香月のことを好きだと言って憚らない水無瀬川。止め処なく香月の話をする水無瀬川の瞳には、今にもハートマークが浮かんできそうだ。その姿は本当に亘代にそっくりである。俺は水無瀬川のその情熱に感心した。好きな人すらいない俺からすれば羨ましい限りである。
「水無瀬川は香月のことが好きなんだね」
「そりゃそうだよ。だから取らないでよね、モブ山」
「それってつまり、そういう意味で好きだってことだよね」
「俺の目標は一生の愛人になることだからね」
「あ、愛人っ!?」
さらりと言ってのけた水無瀬川に、俺は飲んでいたジュースを吹き出しそうになった。驚き過ぎて器官に入る。ごほごほと咽た俺に、瀧居家が憐れむような視線を向けてきた。
「水無瀬川は家庭環境が少し特殊でな……」
「あー、別にいいよ。そういう気を遣わなくて」けらけらと笑いながら水無瀬川が言った。「俺の母親は元々父親の愛人だったんだよね。そこから本妻に昇格したってワケ。だからって訳じゃないけどね。俺はちゃんと自分の立場を弁えてるから、一生の愛人で充分ってことなんだけど」
「弁える?」
書家の父に華道の家元の母親といったら、家柄的には充分だと思うのだが違うのだろうか? 俺が胸を撫でながら尋ねると、「本当、そういうところだよね。モブ山は」と、呆れた様子で水無瀬川が言葉を続けた。
「いい? 芙蓉グループだよ。あの芙蓉グループ。その創業者一族に釣り合う家庭なんて、この日本に数えるほどしかないって。なんてたって億万長者 だからね。格が違うでしょ、うちとは。それに……」
そこまで口にした水無瀬川が香月に視線を戻した。
「っていうか、一生。言ってないの、モブ山に?」
「うん。わざわざ言うことでもないからね」
「そう? まあ、恋愛に縁のなさそうなモブ山だしねえ。そういった意味じゃ俺の恋敵 にはならないか。あ、でも愛人って一人に限らなくてもいいしね。場合によっては共闘してもいいかも。まあ、いざとなったら言ってよ、モブ山。俺は心が広いからね。一生が何人愛人を囲っても大丈夫。あんまり人数が増え過ぎて、俺との時間がなくなっちゃうのは困りものだけど……」
わぁ。
金魚の糞と呼ばれるだけあって、水無瀬川は香月が絡むとちょっとおかしいと噂にはなっていた。俺も水無瀬川と同じクラスになったときに少し思った。けれども、ここまでとは思わなかった――俺は止まらぬ水無瀬川の妄言に、ちらりと瀧居家を見た。半分ほど中身を減らしたお弁当箱を目の前に腕を組んだ瀧居家が、苦虫を噛み潰したような表情でいる。
瀧居家でも止められないのだ。
それはそうだ。香月と水無瀬川の付き合いは、母親同士の縁あってのことである。香月のお目付け役である瀧居家一人でどうにか出来る話ではない。そう考えると、香月の母親も心が広いというか、度量があるというか、なんというか……。
「俺もモブ山も男だしね。子どもが出来ないってことは、無駄な跡目争いが起きないってこと。だったら対立するよりも手を結んだ方がいいよね。これで世界も平和になるし、一生的にも万々歳なんじゃない? 一生、囲うなら男だよ。骨肉の争いにならずに済むもん。愛情を巡って云々なんてのは、平等に扱えば解決する問題だし……」
それにしても、少し暴走が過ぎるんじゃないか? 普通の人間である俺ですら困惑する水無瀬川の妄想話は、当の本人である香月を置き去りにしてどんどん先に進んでしまっている。これは香月も閉口するだろうに。と、俺がひやひやしていると、そろそろ止めどきと感じたのだろう。艶やかに微笑んだ香月が口を開いた。
「はは。いつ聞いても面白い妄想だね、遥」
「またそうやってさらりと流す」
綺麗に遣り過ごしてみせた香月に、水無瀬川が頬を膨らませる。だが、直ぐに気を取り直したようだ。目を潤ませると「ま、そういう一生も素敵なんだけど」と、香月を正面に衒いなく言ってのけた。
全く懲りていない。
「……凄いね」
「すまんな、奥山……」
俺が瀧居家を見ながら言えば、瀧居家は無力感に苛まれているようだ。がっくりと肩を落として項垂れている。
瀧居家にも苦手なものがあるのだ。
俺は安堵した。
巌のように香月に群がる人間の前に立ちはだかる瀧居家だが、それだけに、俺はロボットを見ているような気分になることがあった。それが今の瀧居家にはない。
「なぁに、二人とも。俺の美貌に見蕩れちゃった? それとも一生かな」
「いや、そういう訳では断じてない」
「ごめん、俺はちょっと面白いと思っちゃった……」
俺は頭を掻いた。
クラスが同じだったときは上からな発言も多かった水無瀬川だが、こうして香月を交えて話をしてみると、随分とフランクでお茶目な性格であるようだ。そこが素直に好ましい。毎日だと胸焼けがしそうではあるが、偶にであれば水無瀬川がこの輪にいてくれると楽しくなるだろう。そんなことを思う。
それにしても――、俺は香月に首ったけな水無瀬川を見詰めながら考えた。
水無瀬川のお陰で一つわかったことがある。小学生時代の香月は写真を撮られることに頓着していなかった。これは大きな収穫だ。ということは、頼めば写真を撮らせてくれる可能性が高い。
よし。頼むぞ。
覚悟を決めた俺は香月に視線を向けた。こういうのは即断即決だ。そう思いながら口を開こうとすると、にこりと微笑んだ香月が、「時間、いいのかい?」と言う。
慌てて時計を見上げれば、始業五分前になっていた。
まずい。俺は目の前のお弁当箱に視線を落とした。まだ三分の一ほど中身が残っている。
「やっばぁ。俺、教室に戻るね!」
ばたばたと机の上を片付けて教室を出てゆく水無瀬川に、俺と瀧居家は顔を見合わせた。香月はいつの間にか弁当を食べきったようで、ゆったりと足を組みながら俺と瀧居家の様子を窺っている。なんて昼休みだ。俺と瀧居家が急いで弁当を片付けたのは言うまでもない。
ともだちにシェアしよう!

