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第二章 モブ山モブ生の奮闘(7)

 午後の授業を終えた俺は、少しだけ香月と話をして帰途に就いた。一人、てくてくと歩く帰り道。今日の香月は用事があるらしく、俺と寄り道をする暇はなさそうだった。俺と話を終えると、瀧居家と一緒に直ぐに教室を出て行った。  特に何も起こらずに無事に帰宅した俺は、真っ直ぐに部屋に向かった。  鞄を机の上に置いてベッドに横になる。  幸いなことに、今日は金曜日だ。亘代は部活動で帰宅が遅い。いや、こういうときこそ早く帰宅してもらった方がいいのか? 頭の中をぐるぐる回る様々な考えを整理する為には、亘代がいない方がいいと思っていたが、時間が経てば経っただけ大事な話は言い難くなる。それだったら帰宅した勢いに任せた方が、ビビりな俺には良かったのかも知れない。  そう、俺はついに香月に写真を撮らせてもらえないかを頼んだのだ。  今日は金曜日。土日を挟めば中間テストの開始である。下手に時間が空いて話を切り出し難くなるくらいならば、両親に発破をかけられて勢い付いている今日の内に言うべきだ。水無瀬川の登場というハプニングで昼休みの間に話をするのは無理になってしまったが、部活動にあまり顔を出さない香月の放課後には時間の余裕があった。だから俺は香月を捕まえた。というより、終礼が終わると同時に香月の席に向かって行って思い切り頭を下げた。そして写真を撮らせて欲しいと正面から頼んだ。  けれども駄目だった。  俺を信用していない訳ではない――と、前置きした上で香月が言うには、水無瀬川が言っていたあの写真のその後がトラウマになっているとのことだった。なんと許可なく、その中の何人かの保護者が、香月の写真をSNSにアップしてしまったのだという。その反響は凄まじく、小学校に週刊誌の記者たちが詰めかける事態になってしまったのだとか。  それはそうだ。何といっても芙蓉グループの御曹司である。そこいらの一般人を取り上げるより余程ニュースバリューがある。  それまでも自身の立場に自覚のあった香月は、この一件で更に自分の立場を強く自覚するようになったのだという。自分は週刊誌に取り上げられるぐらいに、世間に注目される存在である。「決してひっそりと生きたい訳ではないのだがね」そう口にした香月は、けれども、だからこそ、自らの肖像に厳しくならざるを得なくなったと言って笑った。  ――今の世の中は簡単にディープフェイクが作れてしまうだろう。それを防ぐには、写真を撮らせないところから始めないとね……。  勿論、学園での香月は品行方正なお坊ちゃまであったし、俺と一緒に居る時も羽目を外すような真似はしないのだが、それだけに根も葉もないスキャンダルを捏造出来てしまうディープフェイクを警戒しているようだった。  ――ああいったものは、一度ネットに流れてしまったが最後なのだよ。作り物だと判明しても、頑なに信じる人間が出る。その結果、芙蓉グループにダメージがあってはならないだろう……。  それはもしかすると、香月の苦悩であったのかも知れない。  少し寂し気な横顔。淡々と俺に写真を撮れない理由を説明する香月は、その語り口に反して、遣り切れなさを抱えているようだった。当たり前だ。写真は記録である。学校行事といったイベントごとでも写真を残せない香月は、後々振り返る思い出の証明となる写真を、人が羨むその立場故に所有出来ない――どうしてこの現実に寛大でいられようか。  俺は素直に引き下がった。というより、引き下がらずを得なかった。  香月が友達として、俺を最大限尊重しようとしてくれているのが伝わってきたからだ。  瀧居家に処理を任せることも出来た筈だ。だが香月はそれをしなかった。自分の口と言葉で俺にしっかりと説明をしてくれた。ならば俺が出来ることは一つだけだ。無理を言わずに引き下がる。これだけ。  帰り道の俺の気分は、正直、あまり良くなかった。写真を撮れなかったからではない。亘代の期待に応えられなかったからでもない。香月の立場や事情を、事前に鑑みれなかった自分のあさはかさが嫌になってしまったのだ。  香月は何の取柄もない俺を友達として選んでくれたのに……。  自己嫌悪を抱えたまま、三時間ほど。ようやく帰宅した亘代に事情を説明する。「そっかぁ」少し寂し気に呟いた亘代は、仕方ないね。と、俺でもわかるくらいに無理をした笑顔で自分の部屋に消えていった。  亘代の気持ちもわかる。  モブ山モブ代である亘代にとって、香月の存在は俺と同じように人生に花を添えてくれる存在なのだ。入学式の運命の出会いは、山も谷もなかった亘代の人生に起きた大きなイベントだった。少女漫画で言えば、まさしくここから亘代を主人公にして物語が始まるというところである。だが、亘代は自分がその他大勢に過ぎないことを自覚していた。俺と同じだ。自分の存在は他人にとって、影響を与えない。俺と同じで割り切ってモブの人生を送っている亘代は、だからこそたった一枚の写真を欲しがった。それが香月と自分の思い出の記録となる一枚になると思っていたからこそ。  そのぐらいに香月の存在は浮世離れしている。容姿端麗で成績優秀な芙蓉グループの御曹司。香月に出来ないことは恐らくない。こんな規格外の存在をどうやれば他人に信じさせることが出来る? そういった意味で香月は夢の世界の住人だ。  夕食の席での話題も香月だった。  昨日の夕食時の話を覚えていた両親は、さも当然とばかりに俺に進捗を尋ねてきた。俺は亘代にしたのと同じ説明を両親にした。それで香月の立場が、自分たちの想像を上回るものであることに気付かされたようだ。「そんな相手とお前が付き合っていて大丈夫なのか」と、父は俺を心配する台詞を吐いた。俺の存在そのものが香月の傷になることを懸念しているようだ。確かにそうだと俺は思った。掘られて困る過去はないが、香月の人間関係は煌びやかだ。その中に迷い込んだ変わり種。これだって一種のスキャンダルだろうに、香月は俺を友達としてきちんと遇してくれている。  ならば、俺は香月にとって誠意ある人間でいよう。  成績も運動も中の中。家だって中流なモブ山モブ生に出来ることはこれしかない。食事を終えた俺は、少しでも香月の傍にいるのに相応しい人間となれるように、真面目に机に向かった。肩の問題がある以上、運動で優れた結果を出すのは難しい。それだったら、せめて成績ぐらいは上位を狙おう。そう考えたのだ。  後から考えれば、ここが俺の転換点(ターニングポイント)だった。  俺は気付かず、モブの人生からの脱却を始めようとしていた。

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