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第三章 モブ山モブ生の変身(1)
楓陵学園にはふたりの『規格外』がいる。
一人は最早語るまでもない、香月一生である。やっていない事業は闇商売だけと謳われる芙蓉グループの御曹司ある香月は、容姿端麗、成績優秀、品行方正と三拍子そろった隙のなさから『学園の高嶺の花』と呼称されている。お目付け役である瀧居家が厳しく目を光らせていることもあり、親交のある人間にも優秀な面々が揃い踏みしているからだろう。一部の女子生徒からは王子様として崇められているようだ。
もう一人は世界に羽ばたく大日向製鉄グループの御曹司、大日向大成 だ。鉄鋼産業一筋で七十五年。鉄鋼王と呼ばれる大日向秋晴 を祖父に持つ『学園のアイドル』は、女子生徒を傍に寄せ付けない香月とは異なり、男女分け隔てなく交流を持つ気さくな人物だ。ただ、性格は俺様で強引な面も目立つことから、「愛でるのには最高だが、あまり傍には近寄りたくない」と女子生徒に評されているのだとか。
目鼻立ちのくっきりした美男子である大日向は、成績も優秀ならばスポーツも万能で、似たようなステータスである香月とは比べられることも多いと聞く。それが気に入らないのだろう。大日向の香月に対するライバル心はかなりのもので、去年同じクラスだった本田曰く、体育祭や文化祭など香月たちのクラスに負けてなるものかと、かなりの努力を強いられたのだとか。
その大日向が俺の目の前に立っている。
何故かは俺にもわからない。中間テストが終わった解放感に浸る俺の目の前にいきなり表れたのだ。
もう終礼は終わっている為、クラスメイトたちは教室を出て行こうとしているところだ。そこに「モブ山はいるか!」と大声を上げて入室してきた大日向。近頃の俺は香月や瀧居家に限らず、水無瀬川とも親しくしているからか、俺のクラスには最早何が起こっても驚かないという空気が漂っている。とはいえ、関わり合いにはなりたくないようだ。何人かの生徒が無言で俺を指し示し、今に至る。
いや、助けて欲しいんだけど……。
そう思いながら本田たちに視線を向ければ、大日向の厄介な性格を知っているからだろう。彼らは困惑した表情を浮かべながらも、俺に向かって手を振ると、一団となって教室を出て行った。
見捨てられてしまった。
しかし大日向は何の用で俺の目の前に姿を現したのだろう。俺は途惑いながら、目の前の大日向を見上げた。手足の長いすらりとした長躯。流石は学園のアイドルと呼ばれるだけはある。香月とは傾向の違う美しさだが、そこに居るだけで場が華やかになるのは同じだ。
「お前がモブ山だな」
しげしげと俺の顔を眺めていた大日向が尋ねてくる。
「うん。そうだけど」
「俺は一組の大日向大成だ」
「うん。知ってるよ。学園のアイドル、だよね」
「おお、わかっていやがるな。なら話は早い。俺と友達になれ」
……なんて?
白い歯を零れさせる王子様スマイルで活舌良く云い切った大日向に、俺は大きく首を傾げざるを得なかった。
それはそうだろう。今、初めて口をきいたばかりの相手である。しかも俺は大日向の存在を認知しているが、大日向は教室に入ってくるまで俺の仇名しか知らなかったのだ。それが自己紹介を終えるなり、友達になれときた。香月に友達に選ばれたときよりも、展開が唐突過ぎる。
「えーと、大日向は、俺がモブ山モブ生だってわかってる、よね……?」
俺は恐る恐る大日向に尋ねた。
「勿論だ。お前を探してこのクラスに来たんだからな」
「何で俺と友達になりたいなんて、そんな奇特なこと」
「違うな」腕を組んだ大日向がふんぞり返る。「俺がお前を友達にしてやるんだ」
わぁ。
これは大変だ。
俺はまじまじと大日向の顔を見た。笑顔を浮かべてはいるが、冗談を言っているのではなさそうだ。まるで自分が望めば全て思い通りになると思っているような確信に満ちた表情。たった一言で俺様気質の程度が窺える台詞を吐ける辺り、流石は女子生徒に警戒される存在だけはある。
「えーと、あの、俺、流石にこれ以上、注目を浴びる存在にはなりたくないというか……」
俺は鞄を抱えて席を立ち上がった。
香月のお気に入りとして名前が知られるようになった俺を、一目見ようとクラスにやってくる生徒も増えた。彼らの怪訝な表情の数々は、俺が香月の傍にいるのにはバランスの取れていない存在であることを自覚させた。かといって、俺は香月の友達を自分から辞めようとは思っていない。以前の目標であった平凡な学生生活は諦めざるを得なかったが、そうしてもいいと思えるだけの魅力が香月一生にはある。
ただ、出来ればひっそりとしていたいという気持ちは相変わらずだ。
香月絡みで起こる珍事の全てはもう仕方がないことと受け入れているが、ここに大日向という更なる規格外が混じってくるのは遠慮したい。学園の高嶺の花と学園のアイドル、両方と付き合いのある一般生徒など何やかや言われるに決まっている。
と、なれば今すべきことは一つだ。
可及的速やかにこの場から立ち去るのだ――俺は大日向の様子を窺いながら、タイミングを見計らった。
「何だ、お前。随分と恥ずかしがりやなんだな。うむ。そういう友達が一人ぐらいいてもいい。丁度、慎ましやかな人間が欲しいと思っていたところだ」
満面の笑みを浮かべている大日向は、どうあっても俺と友達になる気でいるらしい。いや、それよりも俺が断る筈がないと思っているのか? いずれにせよ、退路を断たれる前に逃げなければ。そう考えながら、大日向の次の言葉を待つ。
「安心しろ、モブ山。俺は友達には優しい人間だ。ちゃんとお前のことも守ってやるぞ」
「いや、その、そういう話じゃなくて」
「何せ俺は天下の大日向製鉄グループの御曹司だからな。この俺様にかかれば、お前をああだこうだ言う奴を黙らせることぐらい」
「大日向」
俺の背後から凛とした声が響いてきた。
香月だ。俺は俺の斜め後ろに立った香月を振り返った。額に刻まれた筋に、吊り上がった眉。香月にしては随分と険しい顔をしている。とはいえ、怒った風な表情も美しいのは流石の高嶺の花。浮世離れしている香月は、こういったところでも香月一生だ。
「なんだ、香月」
ふんと大日向が鼻を鳴らす。それに対して、香月は微動だにしない。
「奥山が委縮してしまっているだろう。もう少し穏便に話をしてはどうだい」
「穏便に、ねえ。お前も随分と強引な手を使ったと聞いたが」
「私は奥山のクラスメイトだからね」
二人の間に漂う剣呑な雰囲気に、俺は自分がどう立ち回ればいいのかわからなくなった。
正直、大日向が香月に気を取られているこの隙に逃げてしまおうかとも思ったのだが、香月をこの場に置いて逃げてしまっては、香月に面倒ごとを押し付けるのと同義になってしまう。それは流石に不義理である。困ったぞ。俺は火花を散らしている大日向と香月の間に挟まれながら、彼らの話が落ち着くのをただ待った。
「答えになってねえな」不敵な笑みを浮かべた大日向が続ける。「なら俺も今から顔見知りだ。友達になる権利はあるだろう」
「それを決めるのは奥山だよ。私でも君でもない」
「騎士様 気取りだな。そんなんだから色々と言われ」
「大日向」
「お前が狼狽えるのを見るのは楽しいもんだな」
はは。と、笑い声を上げた大日向が俺に視線を戻した。「おい、モブ山。ということで俺と友達になろう」芸能人も顔負けの極上の笑顔 。性格には大いに難がありそうだが、学園のアイドルと謳われるだけあって、顔だけはすごぶるいい。凛々しさをも感じさせる目元なんかは男の俺でもほれぼれしてしまう。
「いや、あの、その……」
こんな顔面偏差値満点以上の男二人に挟まれて正気でいられるか。俺はどもりながら、なんとか大日向に自分の意向を伝えようとした。
だが、大日向はせっかちな性質であるようだ。俺の言葉が終わり切るより先に再び香月に視線を向けると、「ふーむ。こいつはいつもこんなんなのか、香月」先程まで火花を散らしていたとは思えぬ気安さで香月に尋ねる。
「初めの内はこうだね」
「アレか。臆病な齧歯類を飼うようなものか」
「餌で釣られるタイプではないよ」
「馬鹿か。俺はちゃんと愛情を込めてペットを飼うタイプだ。お前と違ってな」
それでもライバル心は忘れていなかったらしく、余計な一言を付け加えた大日向に、けれども香月はいつもの余裕を取り戻したのだろう。「私にも愛情はあるのだがね」と、綽然と笑みを浮かべてみせた。
暫しの沈黙。
香月の言葉に、大日向は何かを考えているようだ。今だ。俺は大きく息を吸った。今の内に、拒否の意を伝えなければ。
「よし、わかった」ぽんと両手を打った大日向が、俺の両肩に手を置いた。「先ずはお互いを知ろう。な、モブ山」
「お、お互いを知るぅ?」
そうだと力強く頷いた大日向が続ける。
「有難く思えよ。この俺様がきちんと時間をかけてやると言ってるんだ。お前とちゃんとした友達になる為にな」
ええ?
俺は上手く頭が働かなかった。
これまでの態度で言葉で大日向が俺の想像以上の俺様であることは理解した。この我が道を往く な男と付き合うのは、かなりの苦労を伴うだろう。わかっているのに、上手く断る言葉が出てこない。
それもこれも、肝心なところで臆病になるこの性格の所為である。この体勢でどうやって穏便に断れというのだ。
「で、でも、お互いを知るってどうやって」
焦った俺はとにかく何かを言わなければと口を開いた。
「遊びに行くぞ」
大日向がにかりと笑う。
「遊びに?」
「そうだ。日曜日を空けておけ。迎えに行く」
それだけ言うと、大日向は俺の肩から手を離して颯爽と教室から出て行った。
来るときも突然だったが、去るときも突然だ。何て男なんだ。嵐のように過ぎ去っていった大日向に俺が呆然としていると、困った男だ――と、俺の背後で、香月が溜息を吐きながら口にした。
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