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第三章 モブ山モブ生の変身(3)
あっという間に日曜日になってしまった。
本当に来るのか? 俺は疑心暗鬼になりながらも支度を済ませて、大日向の到着を待っていた。
よくよく思い返してみれば、あのときの大日向は時間も行き先も言っていなかった。それどころか、俺の家の住所も聞いてこなかった。ただ、「迎えに行く」とだけ言って、俺の返事も訊かずに話を終わりにしてしまった。
その後、大日向とは何度か顔を合わせてはいるが、口をきいてもほんの少しの会話ばかり。約束を確認することもなければ、俺の家の住所を聞こうとしてもこなかったのをいいことに、これ幸いと住所を伝えなかった俺も相当なのだが、何時に来るかもわからなければ、本当に来るかもわからない約束なんて生まれて初めてのことである。念の為に七時に起きたが、かれこれ三時間。もしかしたら来ないんじゃないか? 十時を回った時計に、俺の気持ちがリラックスし始める。
来なければそれに越したことはない。
よし、今日は途中になっているゲームをやるぞ。俺は自分の部屋でゲーム機を起動した。勉強に力を入れるようになったお陰で、俺のゲーム時間はめっきり減っている。このゲームも購入してから一週間が経過しているにも関わらず、まだプレイ時間が五時間ほどだ。今までの俺だったら二十時間以上はプレイしているところだというのに、人は変われば変わるものである。
自分の頑張りがこういった形で見えるようになるのはいいな。
俺はゲームのプレイを始めた。十五時ぐらいまではゲームをしつつのんびり過ごして、その後に本屋に行こう。目的は小中の主要科目の問題集と参考書だ。俺のテストの点数が上がらないのが理解不足からきているのだとしたら、その躓きの元となった部分を炙り出す必要がある。その為には過去の学習の総ざらいをしなければ。
両親に頼んで参考書代も出してもらった。
父は訝しがっていたが、母はようやく俺がやる気を出したのが嬉しかったようだ。二つ返事で財布の紐を解くと、塾はいいのかと尋ねてきたが、それは流石に遠慮をした。本音の部分では考えていないこともないのだが、今の成績では、塾に行ったところで、そこでの勉強に追いつけるかも怪しい。
先ずは自分で出来るところから始め、ある程度塾の勉強に追いつけるレベルになったところで改めて考えるべきだ。
そもそも俺は、大学をどうするかも決めていなければ、それを決める為の将来の展望もまだ決めかねている状態だ。やりたいことも何も、何がやれるのかもわからない。そういった意味で、視野も広げなければ。香月や瀧居家、本田たちといった友達たちの将来の夢を、自分には縁のないこととして眺めていた俺は、彼らのお陰で少しずつそれらを自分事として考えるようになっていた。
「お兄ちゃん!」
どんどんと部屋のドアが叩かれる。何だ? と思うと同時に、部屋着の亘代が部屋に飛び込んできた。
「お、大日向先輩が、お兄ちゃんはいるかって」
ああ、来てしまった。
折角組み立てた予定が全て無駄になってしまった。
自分の気持ちが萎れてゆくのを感じながら時計を見上げれば、時刻は十一時近い。今からならばそんなに長時間遊ぶこともないだろう。と、自分を慰めつつゲーム機の電源を落とし、重い腰を上げる。
「出掛けてくる……」
「お、お兄ちゃん、大丈夫?」
俺の表情が見る間に陰鬱になっていったからだろう。心配する亘代に、うん。と、頷いて俺は部屋を出た。
「悪かったな、遅くなっちまって。ちょっと外せない用事が出来てな」
階段を下りると、見た目だけは爽やかな好青年といったいでたちの大日向がいた。
白いカッターシャツにビンテージぽいストレートのジーンズ。スニーカーはNIKEのプレミアだ。その上からグレーのだほついたジャケットを羽織り、首にタグを模したペンダントトップのついたネックレスを下げている。楓陵学園はピアス穴を開けるのを校則で禁じているので、耳にあしらわれているシルバーの装飾品はイヤーカフかマグネットピアスであるのだろう。肩には掛けられた黒いサコッシュといい、同じ高校生とは思えぬ大人びた風体だ。
「そ、それはいいんだけど、よく家の住所がわかったね」
「調べたからな」
さらりと言ってのける大日向に、以前の俺なら驚くところだが、生憎香月で鍛えられてしまった後だ。きっと上流階級ではこれが当たり前なのだろう。そう思うことにして、気を取り直す。
「先ずは飯だな。行くぞ」
言うなり玄関から出て行った大日向に、俺は慌てて靴を履いた。玄関ステップの先には黒塗りの高級車。当たり前のように足を使わずに移動するつもりでいるらしい大日向に、俺は感心するやら呆れるやら焦るやら。果たして、何処に連れて行かれるのだろうか。大日向が遊びに行くと軽い口調で言っていたのを真に受けた俺は、それなりの格好しかしていないのだが。
グレーのナイロン地のシャツに、白いニットベスト。クリーム色のチノパンの下は茶色いローファーだ。一応、大日向の格好と釣り合いは取れているよな? 不安になりながら、ステップを降りる。
「乗れ。遠慮はいらんぞ」
俺は運転手が開いたドアから、後部座席に乗り込んだ。広々とした後部座席にちょこんと座る。と、続いて大日向が隣に乗り込んできた。
流石は恵まれた容姿の持ち主だけはある。一つ一つの動作が様になるのは、香月と一緒だ。ただ車に乗り込むだけでも目を奪われそうになるほどの格好良さ。俺も堂々と振舞えば、少しは見られる雰囲気になるだろうか――そんなことを考えながら、「どこに食べに行くの?」と、大日向に尋ねる。
「『いそべや』だな」
全国展開している海鮮和食ファミリーレストランの名前に俺は目を開いた。海鮮和定食がメインの店な為、普通のフェミレスと比べると少し割高ではあるが、支払えない金額ではない。むしろ、俺のような一般市民が出掛けた際に食べに行くのであれば、丁度いい価格帯だ。
「いいの? いや、俺はそのぐらいの方が有難いけど」
「誰がお前に金を出させると言った」にかりと笑った大日向が続ける。「俺が普段行くような店だとお前が委縮しちまうだろうが」
「いや、でもお金は払うよ」
「安心しろ。優待券がある」
肩から掛けたサコッシュの中から大日向が出してみせたのは、いそべやの株主優待券だった。額面は五千円が二枚。一枚だけでもそれぞれ定食を食べてお釣りがくる金額だ。
「こういった時でもないと使わないからな。だから安心して食え」
「いいの?」
「家にこの手の優待券が山ほどある。使うにも使えなくて困っていたところだ」
「じゃあ、お言葉に甘えて、ご馳走になります」
俺は素直に好意に甘えることにした。
大日向が俺に気を遣ってくれているのがわかったからだ。
俺の両親も少額だが株をやっている。とはいっても、株で儲けようという考えではない。資産運用でないのであれば何かというと、これが株主優待目当てなのである。良く買い物に行くスーパーなどの株主となって優待を受けることで、生活費の節約に繋げているのだ。
勿論、大日向家がそういった株の買い方をしていないのは、容易に想像がつく。でなければ、使うにも使えないという台詞は出てこない。俺の家では節約になる庶民が使うスーパーの株一つとっても、大日向家では投資なのだ。それだからこそ、わざわざ俺の為に持ち出してきてくれたところに大日向の気遣いが感じられる。
大日向は優待券を使うことで、俺に引け目を感じさせないようにしてくれているのだ。
「そんな言葉遣いをするな。俺はお前を友達にする為に来てるんだからな」
「いや、でも、親しき仲にも礼儀ありなんだから、そこはきちんとした方がいいよ。じゃないと、後で『こいつに金を使うんじゃなかった』って、大日向がなったときの気持ちの持って行き場がなくなるでしょ」
瞬間、微かに大日向の目が開く。そのまま、顎に手を当てて少し考え込んだ大日向が、感心した風に言葉を継いだ。
「お前、面白いことを言うな」
「そ、そう?」
「うむ。香月が気に入っているぐらいだ。普通の一般人ではないとは思っていたが、ちゃんと通すべき筋をわかっている」
「別に、このぐらい普通じゃない?」
「それが中々出来ないのが普通の人間だぞ」口の端を吊り上げた大日向が、俺を流し見しながら続けた。「俺は香月とは違って普通の生徒たちとも交流を持つがな、お前のように考えられる生徒は一握りだ。大半は、恐縮しても儀礼だ。お前のように先を見越した考えはしない。酷いのになると、いい金づるを手に入れた、ぐらいの気持ちでいる」
「い、いや、流石にそれはないでしょ」
「そのぐらいの鼻は利くぞ。お前、俺を誰だと思ってるんだ」
「いや、まあ、それは、そうだけど……でも……金づるは流石に……」
俺は言い淀んだ。
ないと言い切れるのかわからなくなったからだ。
大日向の俺様な性格は、普通の生徒からは敬遠されているようだ。そうなると、彼と進んで交流を持つ一般人は腹に一物あったり、あまりその辺りに拘らない人間ということになる。だから、俺みたいな毒にも薬にもならないような一般人のサンプルが少ないんじゃないか? 俺はそう考えた。
同時に、少し切なくもなった。
ここまでの感覚で言えば大日向は『いい奴』である。俺が委縮しないようにファミリーレストランを選んでくれたり、そこで支払いをさせない為に株主優待券を持ち出してきたり……確かに、先日の大日向の印象は、噂に聞くイメージ通りな俺様ではあったが、親分肌とでもいうのだろうか。俺を守ってやると言い切ったりと、面倒見の良さそうな部分も垣間見えていた。
恐らく、そういった大日向の良い面が、我が道を往く な性格の所為で薄れてしまっているのだろう。だから、大日向の『普通の人間像』には歪みがあるのだ――。
「決めたぞ、モブ山」
大日向が俺の方に向かって身を乗り出してくる。
笑ってはいるものの、何を考えているかわからない表情だ。特に目だ。黒曜石のように黒々とした瞳が、俺の姿を大写しにしている。
「な、なに?」
「面白い人間を見付けた」
「うん」
「掘り出し物だ」
「そ、そう」
「だから、俺はお前を友達にするぞ。絶対にだ」
ひぃ。
俺は大きくたじろいだ。大日向から身体を逃がし、車のドアを背にする。
絶対って何だ。
おかしい。俺は普通の人間だ。香月にも瀧居家にも普通の人間と認められているTHE・普通な人間である筈だ。それを大日向は掘り出し物と宣ったばかりか、絶対に友達にするとまで宣言した。この、その他大勢の中のひとりに過ぎないモブ山モブ生を、である。
意味がわからない。というか、意味が崩壊している。
「あ、あの、大日向」
「安心しろ。俺は友達には優しい。ちゃんとそう言ったぞ」
「い、いや、そういう話じゃなく――」
そこまで言葉を吐いたところで、ポケットに入れていたスマートフォンが振動した。
普段であれば、人と会っている間の電話など邪魔者以外の何物でもないが、今日に限っては天の助けだ。俺はほっと息を吐きながら、ポケットの中を探った。
そういえば、亘代にも家族にも事情を説明せずに出てきてしまった。今頃、何が起こったのか、家族で話をしているところかも知れない。母などは、夕食の準備をどうすればいいか悩んでいることだろう。何時に帰る予定かあとで大日向に聞いて、母に連絡をしなければ。そう思いながら取り出したスマートフォンの画面を確認する。
ひゃあ。
俺は思わず声を出しそうになった。
着信画面に表示されているのは、紛れもなく香月の名前だ。初めての電話に動揺すると同時に、焦りが生じてくる。何をどう話せばいいんだ? だってそうだろう。用件など聞くまでもない。わざわざ今日を選んで電話をしてきているくらいなのだ。絶対に大日向の件に決まっている。
「え、えーと、出てもいい?」
「いいぞ。俺様は寛大だからな」
大日向には着信画面が見えているのだろう。不敵に笑いながら、俺の顔を眺めている。
俺は恐る恐る電話に出た。
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