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第三章 モブ山モブ生の変身(4)
「もしもし……」
『ああ、良かった。大丈夫かい? そろそろ出かけている頃だと思ってかけたのだけど』
電波の調子が良くないのだろう。いつも通りの柔らかい声だが、少しがさついて聞こえる。
「うん、さっき出たところ。これから食事に行くんだ」
俺はなるべく普段通りに聞こえるよう返事をした。
わざわざ電話までかけて俺を案じてくれている香月を心配させたくない。それに大日向も俺を気遣ってくれているのがわかっている。俺が弱音を吐いてしまっては、どちらに対しても失礼だ。これ以上、二人に余計な気遣いをさせない為にも、俺は今日をちゃんと楽しまねば。そう思う。
『無理はしないようにね』
それでも耳に馴染みのある香月の声を聞いていると安心する。
どうやら俺は、俺も知らない内に緊張で構え過ぎていたようだ。四肢の力が程よい具合に抜けてゆく。香月の穏やかな物言いは、人をリラックスさせる効果があるのだろう。有難いなあ。俺は仄かに口元を緩ませた。
「ありがとうね、香月」
『いいのだよ、気にしなくて。では、私はこれで切るよ。あまり長くなってしまっては大日向に失礼だからね』
「うん、じゃあ」
俺は電話を切って、スマートフォンをポケットに仕舞った。そして大日向に視線を向けた。
「えーと……何の話をしてたっけ?」
香月からの初めての電話で、大日向とのこれまでの会話の内容がすっ飛んでしまった。
俺は大日向に尋ねながら順繰りにこれまでの記憶を辿った。いそべやに行くと言われて、それから……と、続けて思い出していったところで、大日向が意地の悪い笑顔を浮かべた。にたりと裂けた大日向の口に、途端に開く記憶の蓋。そうだ。絶対に友達にすると言われたところだった。
「あ、あの、と、友達」
「そうだ。今日は俺を友達だと認めさせてやるからな、覚悟しろ」
ひぃ。
俺は再度、身体を大日向から逃がした。先程の決心はどこにやら、緊張感が全身に漲ってくる。
楽しみたいのは山々だが、大日向の友達としての立場を築くのは遠慮したい。これ以上、俺は目立ちたくないのだ。学園内で俺が色々言われてしまうのはもう仕方がないにせよ、香月が色々言われてしまうのは耐え難い。それは大日向にしてもそうだ。俺のような人間に構ってしまってしまった結果、大日向までもが面白可笑しく言われてしまうようになってしまっては、俺は誰に何をどう詫びればいいかわからないではないか。
「安心しろ。俺はペットを手懐けるのには慣れている。ちゃんと時間をかけてやるから、そう怯えるな」
「い、いや、そういう問題では」
「なら、何が問題だ」
大日向は俺の抵抗が面白いのか。それともそのぐらいのことと全く気にしていないのか。悠然と、あたふたする俺を眺めている。
「俺に構ったら、大日向も色々言われるように」
「つまらんことを心配するな」ぴしゃりと俺の言葉を遮った大日向が言った。「言っただろう。俺は大日向グループの御曹司だ。噂話を封じ込めるぐらい訳ないそ」
俺は大日向をまじまじと見た。この自信だ。ただ大口を叩いているだけではないだろう。
「大体、影でこそこそというのが気に入らん。言うなら俺の目の前で堂々と言え。違うか」
「まあ、そうかも」
「つまり相手はその程度の雑魚ということだ。なら潰すのは容易い」
この点、大日向の姿勢は一貫しているようだ。泰然と構えている香月とは異なり、持てる力を全て使ってでも相手を守ろうとする気概が感じられる。そういった意味で、大日向は男気のある人間なのだろう。
「だけど、俺、こんなもっさりとした風貌だし……」
「俺は構わんぞ」
「どこにでもいる普通の人間だと思うし」
「馬鹿か、お前。普通というのはそれだけで凄いこととだぞ。なろうと思ってなれるもんじゃない」
「面白い人間でもないし」
「俺にとっては面白い人間だな。実に興味深い」
考え得る全ての理由を出してみるも、それだけ俺を友達にするという意志が固いのか。悉く受け入れる姿勢をみせる大日向に、ついに俺の手持ちの理由が切れてしまう。
俺は次の言葉を探した。だが、それらしい理由が何も浮かんでこない。
瀧居家による選りすぐりの友人たちを侍らせている香月に、俺様な性格でどんどん人間関係を構築していく大日向。華やかな交友関係を持つ彼らは、モブ山モブ生が一人混じったぐらいでは、自分の評価がびくともしないと思っているのかも知れない。それは彼らが注目を浴びることに慣れているからでもある。
だから彼らには、俺の目立ちたくないという考えが理解出来ないのだ。
これは厄介だぞ。俺は困窮した。
何せ、この押しの強さだ。香月を断り切れなかった俺が太刀打ち出来る相手ではないのではないか。今更にそう思うも、こうして大日向についてきてしまった以上、時既に遅しな感がある。
「大日向が構わなくとも、俺は構うんだけど……」
俺は恐る恐る儚い抵抗を試みた。自分勝手な理由だったが、大日向は気を悪くした様子はなさそうだ。わはは。と、豪快に笑い声を上げると、
「お前は本当に恥ずかしがりやなんだな」
ぽんぽんと俺の肩を叩きながら言う。
よくよく考えれば俺は失礼に失礼を重ねている。天下の大日向グループの御曹司のお眼鏡に適っておきながら、その申し出を断り続けているのだ。だが、大日向は細かいことには拘らないタイプであるようで、俺の気にしいな部分を全く意に介する様子がない。
「そういえば、お前はどうしてそんなに前髪を伸ばしてるんだ。前を見るのに邪魔だろうが」
「うん。でも特徴のない顔だしね……あんまり人に見られたくないから……」
「ふむ。つまりその前髪は、お前のトレードマークというヤツということだな」
「そこまでじゃないけど、でも、この髪型があるから、モブ山モブ生として認識されているのかなって」
実のところ、香月の傍に居るのにはこれではいけないと思って、イメチェンも考えたりしたのだが、ヘアメイク雑誌を見てもあまりピンとこなかったばかりか、そもそもの髪のセットの仕方がわからない有様だったのだ。いや、雑誌に掲載されている髪型はどれも格好いいのだが、俺の顔に当て嵌めてみた瞬間に陳腐なファッションになり下がってしまう。結果、これなら今のままでいいか――という結論に達してしまったのだが、流石に俺も高等部二年生である。少しはワックスやムース、ジェルといった整髪料の使い方も覚えなければという焦りはあった。
良家の子息子女が集う楓陵学園の生徒たちは、身だしなみにも気を遣っているのがわかる風体をしていた。髪をきちんとセットするだけではなく、水無瀬川のように薄く化粧をしている人間もいたりもする。流石に俺は化粧までしようとは思わないが、きちんとした格好であるに越したことはない。もう何年もすれば就職活動も始まる。今の風体で就職活動を乗り切るのが難しいことは、俺にもわかっていた。
何より、そうすればこの平々凡々であるが故に他人の記憶に残らない顔も見られるものになるのではないか。
俺は香月と出会ったことで、変わりたいと望むようになった。その傍に居る為に、少しでもそれらしい人間に成りたいと思うようになった。そうした俺の迷いある気持ちを読み取ったのかはわからない。俺の返事を受けて考え込んでいた大日向が顔を上げる。
「ちょっと訊くが、モブ山モブ生であることは、お前にとってのアイデンティティなのか?」
「いや、うーん……」俺は言葉に詰まった。
アイデンティティかと言われるとそれは違うのだ。
俺は亘代と違ってモブ山モブ生であることに、そこまで前向きではない。ただ自分の容姿を見ていると、そう言われてしまうのも止むを得ないとは思う。印象に残らない顔もさることながら、男にしては小柄な容姿。この貧相な体躯が更に俺の印象を薄くしている自覚はある。
俺はふと、俺をモブ山モブ生と名付けた生徒の言葉を思い出した。「クラスで一番最後にお前の名前と顔を覚えた」と、誰だか思い出せない生徒はそう言った。そして、「モブみたいな奴だな、お前。奥山どころかモブ山だ」と笑ったのだ。
今思い返せば失礼な話ではある。
その場で抗議出来ていれば、俺がモブ山モブ生と呼ばれることはなかったかも知れない。だが、あのときのクラスメイトたちは、語呂のいい『モブ山モブ生』という仇名を完全に面白がってしまっていた。自然、俺も笑うしかなくなってしまった。ああいったときにヘラヘラしてしまうのは俺の悪いところであるのだが、あの流れで俺が違うと言っても、恐らく誰も聞き入れてはくれなかっただろう。
それに、長くこの仇名と付き合っていると、仇名があるというのも案外悪いものでもないと思う。畑山にしても本田たちにしても、親しみを込めて俺のことをモブ山と呼んでくれている。仇名がないよりはあった方がいいと俺が思えるようになったのは、間違いなく彼らのお陰だ。
「でもまあ、モブ山モブ生としてでも覚えてもらえるのは悪い気はしないよね」
だから俺は、少し考えた後にそう続けた。
大日向は俺の考えを尊重しようとしてくれているようだ。ふむ、と、頷くと俺を真っ直ぐに見て続けた。
「お前がその仇名に愛着を感じているらしいことはわかった」
「うん」
「だが、その前髪は良くないぞ。視力が落ちる」
「まあ、左右ともに1.0を切っちゃってるしね……」
「だろう。そこでだ」
そこで車が停まった。
「大成様、到着いたしました」
「ああ、わかった」
やっといそべやに着いたようだ。恭しく到着を告げた運転手に会話が途切れる。
「どうぞ、奥山様」
「ありがとうございます」
俺はドアを開いた運転手さんにお礼を言いながら、車の外に出た。
お昼どきとあって、駐車場は満車に近い。他の車も続々と入ってこようとしている。これは大分待つんじゃないか? そう思いながら大日向の後に続き、和を意識した建物の中に足を踏み入れる。
案の定と言うべきか、入り口前の待合所は家族連れで混雑している。その人混みの中を縫うように抜けていった大日向が、ホールに出ている女性店員に声を掛けた。少しして、「モブ山!」と、良く通る声が俺を呼ぶ。
「行くぞ」
「大丈夫なの?」
「予約は済ませてある。奥の席だそうだ」
俺は大日向のスマートな振る舞いに感心しながら席に着いた。同じ高校生だというのに、行き当たりばったりに予定を立てる俺とはえらい違いだ。
「何でも好きなものを食え」
振る舞いも堂々としていれば、服装だって大人びている。破天荒に映る言動だってそうだ。よくよく聞けば気遣いに溢れている。雰囲気に振る舞いが負けていない大日向は、流石は大日向グループの御曹司なだけはある。
俺は大日向に渡されたメニューを開いた。
普段の食事と比べると豪華に映る海鮮料理の数々。刺身につぼ焼き、バター焼きにフライ……どれにしようかな。俺は大日向に見守られるようにしながらメニューを選んでいった。
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