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第三章 モブ山モブ生の変身(5)

「決まったか」  ややあって、大日向が俺に尋ねてくる。俺はメニューをテーブルに置いて、ひとつのメニューを指差した。 「うん。この刺身定食にしようかな」 「何だ。もっと高いものを食ってもいいんだぞ。どうせ優待券だ。腐らせるよりかはお前に使ってもらった方がいい」 「なら、つぼ焼きも付けようかな……」 「いいぞ。他にはないか? ないなら、店員を呼ぶぞ」 「うん。これ以上は食べられなさそうだから、いいよ」  俺が頷くと、大日向が呼び出しブザーを押す。  俺は二千円程する刺身定食と千円ほどするつぼ焼きを頼んだ。大日向は牡蠣が食べたいようで、ぱっとメニューに目を通すと、迷う素振りも見せずに、あら汁とご飯のセットに牡蠣フライと生牡蠣、それからわかめサラダの単品料理を注文した。 「大日向は迷わないね」 「この時間だからな。あまり店員に手間をかけさせるのも迷惑だろう」 「偉いなあ。そういった発想は俺にはなかったや」 「何だ。俺を見直したか。もっと褒めてくれてもいいんだぞ」  本気で言っているのか、はたまた冗談なのか。尊大な態度が常な大日向の言動はどちらの意味なのかがわかり難い。  けれども、俺の大日向に対する苦手意識はすっかり薄れてしまっていた。  大日向本人と直接話をすることがないまま、様々な噂ばかりが耳に入ってきていたからだろう。俺は勝手な大日向像を作っていた。俺のような性格の人間では引っ張り回されるだけだ。そうも思っていた。だが、大日向は違った。俺を気遣い、俺に合わせてくれている。  俺様なんてどうして。これは中々の人格者である。  だから俺は不思議だった。俺のような人間を、何故大日向は友達にしようとしているのだろう? 「ところで、なんで大日向は俺を友達にしようと思ったの?」 「お前に香月がご執心だと聞いたからだ」 「ご執心って」  俺は予想以上に強い言葉が出てきたことに驚き、そして途惑った。  香月とは毎日一緒に弁当を食べている仲ではあるが、放課後に一緒に過ごすのは、週に一、二度程度である。そういった意味ならば、日曜日に会っているらしい水無瀬川の方が余程仲がいいと言えるのではなかろうか。だのに俺は、まるで香月のお気に入りのように見られている。 「ご執心だろ。瀧居家が選んだ人間としか親交を持たなかったあの香月が、積極的に絡みにいってるんだぞ。俺はあいつもやるときにはやるなと感心したぐらいだ。だからお前に興味を持った。香月の関心を惹くからには惹く理由があると思ってな」 「うーん。でも香月は普通の人間がどういったものか知りたい、みたいな理由だったよ」 「あいつは無菌状態で生きている人間だからな」わはは。と、笑った大日向が続ける。「だが、それだけで続けられる付き合いでもないだろ。お前が仇名通りに本当に特徴のない人間だったら、とうに香月も飽きている」 「そうだといいんだけどね」  香月は優しい。瀧居家が卑屈だと評する俺を大事にしてくれている。さっきだってそうだ。俺が大日向との付き合いに腰が引けているのを知っているからこそ、心配して電話をかけてきてくれた。そうした香月の優しさが、俺というつまらない人間を自分から遠ざけるのを避けさせているのではないか。俺は時々、そう思ってしまうことがある。  それはそうだ。俺には何の取り柄もない。運動も平均値ならば勉強も平均値。おまけに顔は印象に残らないぐらいに愛嬌がないときたものだ。何故、未だに香月と付き合えているのか不明なスペック。俺は香月が俺を友達として遇してくれているのが不思議で仕方がない。 「お前はいい意味で自然体だな。自分の境遇を嘆くでもなく、あるがままと受け入れている」 「そうかなあ。俺も自分の扱いには思うこともあるけどね」 「例えばどんなことだ」 「モブ山モブ生って仇名が独り歩きしてることとか」 「それだ」大日向が膝を打った。「さっきの車での話に戻るが、お前、髪型を変えてみるつもりはないか?」 「ええ? 無理だよ、そんな。そりゃちょっとは変えてみたい気持ちはあるけど、俺、セットの仕方とか知らないもん」  期せずしての大日向からの提案に、自分の考えを大日向に見抜かれているかのような錯覚に陥った俺は大いに焦った。  確かに髪型を変えてはみたいと思ってはいたが、それを俺は考えただけで口に出してはいない。だのにこの提案である。今日の今日で思い付いたにしても、大日向とまともに会話をしたのは今日が初めてだ。俺が顔に出易い性質だとしても、展開が早過ぎる。 「ほう。興味はあるんだな」 「うん。まあ、今のままじゃ香月に迷惑をかけるしね」 「あいつはそういうのも楽しみそうなタイプではあるけれどもな」  そう言ってにかりと笑った大日向に、俺は不可解なものを目にしているような気分になった。  香月に対してライバル心を抱いている割には、大日向は香月を理解している風な台詞をも吐く。そういえば香月も大日向に対してはそんな感じだった。どこか通じ合っている雰囲気があった二人の会話。立場が似通っているからだろうか? そんなことを考える。 「髪の毛のセットの仕方は美容師に聞けばいい。ちゃんと遣り方を教えてくれる」 「でも、どういった髪型にしたらいいのかとか、わからないんだよね。ヘアセットの雑誌も買ってみたけど、俺には似合わない気がしちゃってさ……」 「そういうのは美容師に任せるんだ。腕のいい美容師なら完璧に仕上げてくれる。俺の行き付けの美容院を紹介してやるから、明日行ってみろ。何なら俺が連れて行ってやる」 「ええええ? 大日向が行くような美容院に行けるお金は俺にはないよ?」 「当然金は払う。俺が見てみたいからな。ついでに眉毛も整えてもらえ。あとはスキンケア用品だな。俺が持ってるサンプルを幾つかやるから使ってみろ」 「え、ちょ、ちょっと待って。お金のことはちゃんとしようよ」  大乗り気な大日向に俺は慌てて止めに入った。  確かに俺はイメチェンをしたいとは思っている。だが、だからといって渡りに船と大日向の提案に乗れるほど、お金がある訳ではない。母に頼むにしても、出してくれても精々数千円、頑張っても五千円が限度だ。だからこう続けた。 「それに、こういうのは持続しないと意味がないでしょ。俺、続けられるほどお金はないよ」 「確かにそれもそうだな」ふーむ。と、唸った大日向が、テーブルの上からスマートフォンを取り上げる。「ちょっと待ってろ」  言うなりどこかに電話をかけ始めた大日向に、どうなるんだと俺はハラハラしっ放しだった。思いがけない形でイメチェンが叶うかも知れないことに対する期待。もしかするとこの予算では駄目かも知れないという不安。それらがないまぜになる。 「よし、決まりだ」  十分ほど待ったところで通話を終えたようだ。大日向がスマートフォンを置いた。 「眉毛は実費だが、カットはタダだ。これならいいだろう」 「え? なんで?」  首を傾げながら問いかける。  大日向が電話をかけている間にテーブルの上には料理が揃っていた。湯気を上げている料理の美味しそうなこと。特につぼ焼きだ。鼻を擽る磯の香りが俺の食欲を刺激する。「まあ食え」そう言いながら箸を取り上げた大日向に続いて、俺も箸を手に取った。 「いただきます」 「礼儀正しいな、お前は」 「それよりも、なんでタダなの?」 「カットモデルだ」してやったりと大日向が笑う。「髪型は選べないが、奇抜な髪型にはさせないと約束させた。学生だしな。だから安心しろ」 「カットモデルって、なに?」  理髪店で軽く髪を揃えてもらうぐらいしかしてもらったことがない俺には、大日向が言っていることの意味がわからない。 「新人の練習台みたいなものだな。だが、ちゃんと後でプロが手直ししてくれるぞ。取り敢えず一年で約束した。数か月おきに通ってもらうことになるが、一年もあれば、自分で美容院でオーダー出来るくらいにはなるだろう」 「それは有難い話だけど、いいの?」 「お前みたいなのは貴重だからな。接客の練習にも丁度いいと喜んでくれたぞ」  自分の思惑通りに事が進んだからか。大日向は上機嫌だ。「こうした店にしては旨い」と言いながら、牡蠣を腹に詰め込んでゆく。  もしかすると本当は無理を言って捻じ込んだのかも知れなかったが、それが事実だとしても大日向は口にすることはしないだろう。だから俺は有難く大日向の好意を受け取ることにした。今までの俺なら申し訳なさを理由に尻込みしているところであるが、今の俺には明確な目的がある。香月の傍に居られる人間になる。それに、大日向がここまでしてくれたのだ。過剰に遠慮をするのは却って失礼だ。 「ありがとう、大日向」と素直にお礼を述べて、先ずは刺身定食に口を付ける。  美味い。 「何、俺が見たかっただけだからな。礼を言われるまでもない」 「でも、口を利いてくれたんだから」 「口の悪い連中がそのままになっているのは面白くないからな。そういう連中を黙らせるのには実力行使が一番効くんだ。だからお前は安心しろ。明日は俺も付き合ってやる」  俺が陰で何を言われているのかはさっぱりだが、大日向がここまでお膳立てしてくれるぐらいだ。容姿が絡んでいるのは間違いない。  だったらきっちり変身してみせよう。俺の全身にやる気が漲ってくる。 「大日向は優しいね」 「俺様は言ったことは守るからな」 「有言実行タイプなんだ」 「香月は不言実行タイプなようだがな」 「張り合ってるの?」俺はストレートに大日向に切り込んだ。 「いいや」大日向が口元を緩める。「俺は単純に有言実行が好きなだけだ。自分の言った言葉に責任を持つのは最高だぞ。実現出来た瞬間は最高に気分がいい。ただ、香月の姿勢も理解出来る。この立場に居ると、思ったことをそのまま言えないことも多いからな……」  御曹司には御曹司なりの悩みがあるようだ。珍しく言葉尻を濁した大日向に、俺はその胸中を慮った。  香月と大日向。俺の知らない世界で生きている彼らには、彼らにしかわからない苦悩があるのだ。当たり前だ。俺はのほほんと生きている普通の人間だが、悩みが全くない訳ではない。俺よりも過酷な立場にいる二人であれば、尚更に決まっている。  だが、その内容を俺が知ることはないのだろう。  それならば、せめて学生らしい生活を送る助けになろう。  俺は少し量の多い昼食をしっかり完食した。もう暫く海鮮は食べなくてもいい。そのぐらいに胃と気持ちが満たされる昼食だった。

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