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第三章 モブ山モブ生の変身(6)

 食後、少し腹休めをしてから、俺は大日向と一緒にいそべやを出た。  そこから一時間ほどかけて向かったのは、隣県にあるサイバースペースワールドだった。臨場感溢れるサイバー体験を謳い文句に人気を博しているXRシミュレーションを軸とした近未来型仮想アミューズメント施設。大日向の優待券で入場した俺は、大日向に並んでVRゴーグルを嵌め、モーションシートに座り、視界一面に広がるCGで作られた仮想空間に圧倒されつつも、時間いっぱいまでアトラクションを味わった。 「凄いね。面白かった」 「一歩も動かずにこれだけ楽しめるとは、XRは凄いな」 「サイバーパンクの世界観が良かったよね」 「非日常感が良かったな。もしかすると、俺たちが老人になる頃には、ああいった世界になっているのかも知れないぞ」 「それは、ちょっと怖いかも知れないなあ」  大日向の話によると、大日向自身もここに来るのは初めてなのだそうだ。メディアで取り上げられていたこともあって、存在自体は知っていたが、一歩も動かずにアトラクションを楽しむ――というコンセプトが引っ掛かったらしい。「広いパークを歩き回るのも醍醐味だと思っているからな」と、苦笑交じりに口にする。 「だが、お前は肩をやっているだろう。だったら、こういったものの方が安全に楽しめるかと思ってな」 「うん。凄い面白かったよ、ありがとう」  俺は大日向と肩を並べて、施設を出て隣にある駐車場に向かった。  一時間半ほど並ぶことになったが、それを補って余りある刺激のある体験だった。俺は興奮冷めやらぬ気分で歩いた。目を閉じると、先程まで視界に広がっていたサイバーパンクな仮想空間が浮かんでくる。硬質的なビルの群れの隙間を縫って飛び回り、ループコースターのようなトンネルを潜り、恐竜を始めとする絶滅した生物が歩き回る自然保護公園に入った。手を伸ばせば触れそうな質感に溢れたテクスチャ。「楽しかったなあ」俺は呟いた。 「はは。そこまで気に入ってもらえると、連れてきた甲斐があった」  駐車場に戻り、送迎車に辿り着く。  運転手の名前は岡田さんと言うのだそうだ。大日向大成専属の運転手としてかれこれ十年ほど勤めているらしく、行きの車の中では少しだけ昔の大日向の話をしてくれた。それによると、小学生時代の大日向は悪戯っ子だったようだ。「私を驚かせようとして、フロントガラスの上に蛙を乗せて置いたりしていたのですよ」懐かしそうに口にする岡田さんに、大日向はどこかバツが悪そうだった。 「お帰りなさいませ、奥山様」  恭しくドアを開いた岡田さんにお礼を言って、送迎車に乗り込む。後部座席に身体を収めると、同時にポケットの中のスマートフォンが振動した。また? 俺はポケットからスマートフォンを取り出した。 「またか?」隣に大日向が乗り込んでくる。「あいつも心配性だな。親も驚くマメさじゃねえか」  画面に映し出された名前を見るより先に口にした大日向に、俺は苦笑しながらも、念の為に画面を確認した。  やっぱり香月だ。となる香月からの電話に俺は途惑った。そう、香月からの電話はこれで三回目だ。いそべやを出て車に乗ったところで、まるで食事が終わったタイミングを見計らったように二回目の電話をかけてきた香月。俺を気遣っているのはわかるが、どの電話も送迎車に乗ったところかかってきているというのが引っ掛かる。  流石にタイミングが良過ぎないか? 俺は胸騒ぎを覚えながら、大日向に断りを入れた。「ごめんね。少し話すね」そして通話ボタンを押す。 「もしもし?」 『そろそろ家に帰っているかと思ってね』  香月の第一声に、俺は拍子抜けした気分になった。  それはそうだ。時間は夕方の六時を回ったところ。学校帰りに香月と寄り道をするときは、大体このぐらいの時間が解散時間になる。それでもう家に帰っている頃と思ったのだろう。だからなのか。納得した俺は気を楽にして言葉を吐いた。 「ううん。まだ帰ってないよ」 『随分遠くに行ったんだね』 「うん。サイバースペースワールドって知ってる? ◎◎県の。今そこを出たところ」 『ああ、あそこか。なら帰りは八時近くになるかな』 「そうだね。この時間だと道も混んでるだろうし……」 『大日向のことだからきちんと送り届けてくれるとは思うけれども、気を付けるんだよ』 「ありがとう、香月」  そこで肩をちょんちょんと突かれる。俺は視線を大日向に向けた。 「変われ」 「ちょっと待ってね、香月」  学校での二人の会話の不穏さもあり、気が進まない部分もあったが、大日向は止めて止まる性格でもない。俺が渡さなければ、奪い取るぐらいはやるのではなかろうか。既に手が出かかっている大日向に、俺は仕方なしにスマートフォンを渡した。  大丈夫だろうか。冷や冷やしながら様子を窺っていると、にやりと笑った大日向が「おい、この唐変木」と、電話の向こう側の香月に向かって言い放つ。  全く手心を加える気のない大日向の第一声に俺は焦るも、度重なる香月からの電話に気分を害しているのではなさそうだ。「お前はモブ山の親か」などと言いながら笑っている。香月もさらりと躱しているのだろう。表面上はにこやかに話が進んでいる。 「ああ、わかってるぞ。安心しろ。俺様がちゃんと家まで送り届けてやる。ああ、ああ、心配するな。じゃあ、切るぞ」  通話を終えた大日向がスマートフォンを渡してくる。その表情はどこか面白くなさそうだ。俺がスマートフォンを受け取ると同時に、ふん。と、鼻を鳴らしながら、「相変わらず食えない男だ」と呟く。 「大日向は香月が気に入らないの?」  電話を切るなり態度を変えた大日向に俺は尋ねた。 「気に入らない面もあれば感心する部分もあるな。そういった意味では他の人間と一緒だ」 「でも、意識してるよね」 「そりゃあ、な」大日向の口元が緩む。「うちは鉄鋼一筋なグループ企業だが、向こうは裾野が広い。あれだけ異業種に積極的に参画して破綻なくグループが纏まってるんだ。その経営手腕には感心するばかりだ。しかもあの歴史の長さだ。あれと比べるとうちはまだまだ新興だと思い知らされる。その芙蓉グループの次世代を担う男だ。気にならない筈がない」 「俺なんかだと、それだけグループのカラーが違うと、逆に気にしても仕方ないってなっちゃいそうなんだけど……」 「はは。確かにな」  流れる車のテールランプに、大日向の横顔が浮かび上がった。  俺が香月と話をしている間に発進していた送迎車は、高速道路に入ろうかというところだ。もう日曜日も終わりが近いからだろう。かなりの量の車が道路にひしめき合いながら、高速道路の入り口を目指している。 「だが、俺は大日向グループの将来を見据えたときに、この先の事業展開をどうするかという問題に取り組まねばならん。世界を獲って終わりでは、世界的な不況といったリスクに太刀打ち出来ん。大日向グループを百年先も続く事業とする為には、経営基盤を固めるのは勿論のことだが、新たな柱となる事業を育てることも重要だ」  正直、大日向の言っていることは、俺には難し過ぎて理解が追い付かない。けれども彼が大日向グループの御曹司として、考えるべきことに真正面から向き合っているのは伝わってきた。 「そういった意味で芙蓉グループはいい手本だ。呉服問屋からあそこまで成長したんだ。参考にすべき点が沢山ある」 「へえ。芙蓉グループって、元は呉服問屋だったんだ」 「あそこの歴史は長いんだ。何せ江戸時代からだからな。それが明治維新以降、どんどん商売の幅を広げていってな。今やあの規模だ。まあ、これは香月家が凄いというよりは、大番頭の瀧居家家が異常なんだがな」 「大番頭?」俺は耳をそばだてた。  俺にとって瀧居家は謎多き人物だ。香月のお目付け役としていつも傍にいるが、どういった関係なのかがいまいち良くわからない。それもその筈。香月は瀧居家を苗字で呼ぶが、瀧居家は下の名前である。しかも「お前」だのとぞんざいな口も利く。それを香月が許容しているのが、俺を更に混乱させた。  上下でいえば芙蓉グループの創業者一族である香月の方が立場が上な筈である。それだのに、瀧居家は香月と対等であるかのように振舞う。と、いうより、自分が面倒を見なければならない存在として認識しているようだ。でなければ、対人関係までああもコントロールしようとはしまい。  だから俺は大日向の言葉に反応した。瀧居家は香月にとって、どういった立ち位置の人間であるのだろう。本人たちに直に訊くのが憚られる内容だけに、降って湧いた好機に胸が逸る。 「なんだ、知らないのか」  大日向は意外といった様子だ。僅かに目を開くと、呆れた風に言葉を吐く。 「あんまりそういうの、深く詮索するのって失礼かなって……」 「少し調べれば出てくる話だぞ。まあ、そういった慎み深いところがお前らしいといえばお前らしいが」  うっすらと笑みを浮かべた大日向が説明して曰く、香月家と瀧居家家の付き合いは江戸時代まで遡るのだそうだ。  江戸で呉服問屋を営んでいた香月の祖先が召し抱えた一人の奉公人。それが瀧居家の祖先にあたるのだそうだ。瀧居家の祖先はとても目端が利き、客の好みを見抜くのは勿論、次の流行などもぴたりと言い当ててみせたのだという。瀧居家の祖先に才覚を見出した香月の祖先は瀧居家の祖先を取り立てた。瀧居家の祖先もまた香月の祖先の期待に応えた。その結果、瀧居家の祖先は見事、大番頭の座を射止めるに至ったのである。 「凄いね。出世物語だ」 「今でも凄いぞ、瀧居家家は。まだまだ芙蓉グループの事業を拡大させているからな。あそこまで代々商才に優れていると、秘密のマニュアルでもあるんじゃないかとすら思えてくる。勿論、瀧居家家を信頼して好きにさせている香月家の懐の深さも凄いんだがな。畑違いの事業でも、瀧居家家がやりたいと言えばやらせる。その結果が今の芙蓉グループとはいえ、始める段階では結果はわからんだろう。それをぽんと任せてしまえるというのは、中々出来ることじゃない」 「だから香月も瀧居家には寛大なんだ」 「かといって自惚れている訳じゃないぞ。むしろありゃあ心配性なんだ。香月がおっとりしているからな。自分が守らねばと必死なんだろう」  確かにそれはありそうだ。大日向の言葉に俺は頷いた。  香月と親しくするようになって気付いたが、普段付き合っている分には、傍で見ているほどに瀧居家は厳格ではない。俺たちと一緒にポテトを抓めば、冗談を言って笑いもする。俺を揶揄うのだってそうだ。遠巻きに香月を見ていたときには想像もしなかったほどに、実際の瀧居家は気安く俺に接してくれる。  それが恐らく瀧居家の素なのだ。  ただ、学園内では、おかしな人間が香月に近付いてこないとも限らないからだろう。瀧居家は気を張り詰めて、自身の役割を果たそうとしている気配がある。それを付き合いの薄い大日向も見抜いているのだ。それがわかった俺は、素直に大日向を凄いと思った。 「瀧居家はあんな態度だが忠義に厚い。取り立ててくれた香月家に恩を感じているんだろう。俺の誘いを悉く蹴りやがる」  わはは。と、笑った大日向は、けれども瀧居家が自分の誘いを断ったことを当然のこととして受け止めているようだ、口惜しそうな様子はない。 「大日向は瀧居家が欲しいの?」 「当たり前だろう。俺は大日向グループに新たな柱となる事業を興したいと考えている。その右腕に瀧居家以上に適している人間がいるのならば見てみたいぞ。幾ら積んででも獲ってみせる」  以前、俺の目の前で家を継ぐと言った瀧居家。それは芙蓉グループで生きていくという彼なりの決意の表れでもあったのだろう。  普段は俺と他愛ない話しかしない香月と瀧居家だが、彼らは芙蓉グループの未来を背負っている。大日向にしてもそうだ。今から大日向グループの未来を見据えて行動を始めている。同じ高校生だというのに、見ている世界がもうこんなにも違う。大日向の話に、今だ将来の展望を見出せていない俺は感心するより他なかった。 「皆、偉いね。俺は何にもないからさ。羨ましいな」  俺はぽつりと呟いた。 「ならうちに来るか? 技術者は何人いても足りないくらいだからな。現場希望の人間はウェルカムだ。海外にも出られるぞ」 「ええ?」 「ただ下積みはきついぞ。現場の人間は気性が荒い人間も多いからな。というか、そうしないと事故る。製鉄での事故は死に直結するからな。厳しく安全管理をしないと話にならん」 「うーん……話は有難いけど、俺には難しいかも……」 「お前は気が弱そうだからなあ」大日向の言葉には嫌味がない。「まあ、気が向いたら声を掛けろ。幾らでも口を利いてやる」  うん。と、俺は頷いた。  何が出来るかを知る為に、世の中にどういった選択肢があるかを知るところから始めようとしている俺にとって、大日向の話は大きな助けだった。会社員でなくとも道はある。それがわかっただけでも、今日こうして大日向と一緒に出掛けて良かったと思う。 「ありがとう、大日向」  だから俺は大日向にお礼を言った。  今日の俺は大日向に助けられてばかりだ。その気持ちを表すのには、有難うの一言だけでは足りない。  大日向の行動が香月に対する対抗心に端を発しているとしても、今日受けた大日向からの恩が消える訳ではない。いつかこのお礼が出来る日が来るのだろうか? 俺は自分がその他大勢に過ぎない程度の能力しかないことを、この瞬間、少しだけ辛く感じた。そしてだからこそ、もっと勉強を頑張ろう。そう思わずにいられなかった。  髪型も変える算段が付いたのだ。後ろ向きになってはいられない。  少しずつでいい。芋虫が蛹となり、やがて蝶となるように、俺は変わっていこう。そうすれば香月や大日向の傍に居てもおかしいと思われることはなくなる。噂だって消せるかも知れない。その為にも、先ずは明日の美容院だ――俺は明日を楽しみにしながら、家まで送り届けてくれた大日向と別れた。そして今日のことを聞きたがる亘代に出迎えられながら、自宅に入った。  自分の部屋に戻り、少しすると、香月から電話があった。  どうだったと尋ねてくる香月に、「楽しかったよ」と答える。それでようやく安心出来たようだ。心なしか安堵したような声。「明日、詳しい話を聞かせてくれるかい。サイバースペースワールドは私も気になっていてね」短い会話の終わりにそう告げられた俺は、深く考えずにうんと言った。 『なら、また明日』 「うん。また明日ね」  怒涛の一日が終わった。  遅い夕食と風呂を終え、亘代に今日の話をした俺は、そのままベッドに潜り込んだ。時刻はもう夜の十一時を回っていた。なんやかやで九時間近く出掛けていたのだ。身体はもうくたくただった。  流石に今日は勉強も休みだ。  明日からまた頑張るぞ。決意を新たにした俺は、心地よい疲労感に包まれながら眠りに就いた。

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