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第四章 モブ山モブ生の春(1)

「お、お前……モブ山……か……?」  本田が口をぱくつかせた。本田とともに輪を作っている大塚と山口も呆気に取られた表情だ。  俺はびくびくしながら本田たちの反応を窺った。  前髪を緩くサイドに流したナチュラルショートは、完全に目が出るだけに、俺にしてはかなり思い切った髪型だった。世界がクリアに見えるだけでなく、鼻の根元や目の辺りが涼しく感じる。正直、長年目を前髪で隠していたので、完全に出てしまっている今の状態は怖い。だが、大日向の厚意でなれたカットモデルである。その恩義に報いる為にも踏ん張らねば。 「お、おかしい、かな……?」  俺はおずおずと尋ねた。  眉と髪を整えたついでにワックスなどの整髪料の使い方も教わった俺は、いつになく早起きをして、悪戦苦闘しながら髪型を整えた。自分でもそこそこ、昨日美容師さんがしてくれたセットに寄せられたと思っているのだが、クラスメイトたちは俺が目を出すとは思っていなかったのではなかろうか。若しくは、その他大勢であるところのモブ山の髪型になど、そこまで気を払っていなかったのかも知れない。誰にも何も言われぬまま、教室にまで辿り着いてしまった。  それもあって、今の俺には自信がない。  大日向は滅茶苦茶俺を褒めてくれた。俺のイメチェンにかなりの自信があるのだろう。「明日が楽しみだ」帰りの車の中で笑いっ放しになるくらいに上機嫌だった。  亘代や両親からの評価も良かった。特に母からの評価はうなぎのぼりだった。息子がやっと目を出したことが嬉しかったのだろう。俺の家の夕食は一汁三菜が基本なのだが、そこに更に俺が好きなおかずを二品加えてきたぐらいだ。「凄いわ。雰囲気イケメンよ。連れて歩くのが楽しみだわ」そう言って微笑んだ母。俺自身も想像以上に似合っているとは思っているのだが、家族や本人であるが故の贔屓目な可能性もある。だから他人からの素直な評価が欲しかったのだが、目を出すのが小学生以来ということもあってか。本田たちは先ず俺がモブ山モブ生であるということに理解が追い付いていない様子だ。  怖い。  続く沈黙に足が竦む。何でもいいから言ってくれ。俺は祈るような気持ちで本田たちの返事を待った。  と、山口が俺の肩に手を置いた。「モブ山!」俺の顔を覗き込んでくるその目がキラキラと輝いている。 「いや、凄いじゃないか! 格好いいよ!」 「ほ、ホント?」 「別人じゃんか! 似合ってるよ!」  続いて、驚きと感心が混じった表情で、山口とは逆サイドにいる大塚が俺の背中を叩いてきた。 「ごめんごめん」笑顔に戻った本田も割って入ってくる。「あんまりにも変わったものだから驚いちゃったよ。いや、格好良くなったね、モブ山。爽やかでいいよ」  三人からの相次ぐ褒め言葉に、俺はほっと胸を撫で下ろした。  自認だけではなかった。他人から見ても俺のイメチェンは成功だったのだ。それを確かめられたことに安心する。 「ねえ、モブ山。俺も髪をそろそろ切ろうと思ってて、いいところ探してるんだよね」  山口は興味津々だ。何処の美容院で切ったのか、そして幾らかかったのかなどと矢継ぎ早に詳細を尋ねてくる。  俺は大日向の紹介でカットモデルになった話を彼らにした。昨日の放課後、大日向に伴われて隣の区にある大日向行き付けの美容室に向かったこと。美容師さんたちが顔の半分を前髪が覆い尽くす俺の髪型を見て「カットのし甲斐がある」と、大いに盛り上がったこと。俺の髪を切ってくれたのが、入社半年の新人美容師さんだったこと……。  俺様な性格で、女子生徒から一歩引かれている大日向の面倒見の良い一面に三人は驚いたようだ。「へえ、大日向って優しいんだねえ」山口が感嘆の声を上げる。 「モブ山、気に入られてるじゃん。先週はあんなに怯えてたのに」 「そういや、日曜日に大日向と遊びに出かけたんだよね? どうだった?」  大塚と本田の言葉に頷いた俺は、日曜日の話をしようと口を開きかけた。 「奥山」  瞬間、頭上から柔らかい声が降ってきた。同時にふわりと匂ってくるシトラスの香りに、びくんと俺の肩が揺れる。  香月だ。  俺は少し距離を取ってから、後ろを振り返った。瀧居家を従えた香月が、微かに目を開いて俺を見詰めている。 「髪、切ったのかい?」  斜め後ろに立つ瀧居家も目を開いている辺り、俺のイメチェンは彼らを驚かせたようだ。まじまじと俺を見詰めてくる四つの瞳。何だか気恥ずかしい。俺はサイドに流した前髪を弄りながら尋ねた。 「どう、かな」 「良く似合っているよ。爽やかになったね」  花も綻ぶ笑顔が香月の顔に浮かぶ。良かった――俺は再び胸を撫で下ろした。  美容師さんには顔の形がいいと褒められた。特に頬から顎にかけてのラインが綺麗らしい。俺のようなむくみのない逆三角形のフェイスラインは、特にショートが映えるのだそうだ。「多分、君も驚くよ」カットをしながら、俺に魔法をかけるように言ってくれた美容師さん。もしかすると、それはこれといって特徴のない俺の顔を褒められないからこそのお世辞だったかも知れなかった。だが、これまでの人生に顔に関わる部分を褒められたことのなかった俺にとっては、自分の顔にも良さがあるのだという新たな発見だった。 「随分と思い切ったな」  瀧居家が深く頷きながら口にする。 「うん。登校する間中、ドキドキしっ放しだった。目を出すのは四年ぶり、くらいだしね」 「似合っているぞ。人が変わったようだ。これはもうモブ山とは呼べんな」  滅多に出ない瀧居家の褒め言葉に、俺は心は舞い上がった。  芙蓉グループの看板を背負っている香月は、その立場もあって他人との軋轢を避ける傾向がある。恐らく、自分のイメージ(イコール)芙蓉グループのブランドイメージであることに自覚的なのだ。自分の行動が自分が責任を負える範囲に収まらないことを理解しているのだろう。いつでも綽然とした態度を崩さない香月。とはいえ、それでは不埒な輩を招き寄せかねない。だからこそ、香月のお目付け役である瀧居家は、香月の分を補うように辛辣で忌憚のない意見を口にするのだ。  その瀧居家が褒めた。  これは自信を持っていいだろう。  俺は満面の笑顔を浮かべて、「褒めてくれてありがとう」と、二人に言った。  大日向に誘われてのことではあったが、これまでの俺だったら、自分には不釣り合いだと諦めているところだった。けれども、今は違う。俺は香月の為に変わりたい。その他大勢の中のひとりではなく、せめて端役ぐらいにはなりたい。そうすれば、香月の傍に居ても珍獣扱いされることはなくなる筈だ。その気持ちが勇気となって俺を前に進めてゆく。勿論、力を貸してくれた大日向には感謝をしてもしきれない。あとで報告ついでに、改めてお礼をしに行かなければ。 「しかし、どういった心境の変化だい? こんなにばっさり切って」  俺の髪に伸びてくる香月の手。気になるようだ。毛先を弄びながら尋ねてくる香月に、俺は擽ったいような気分になる。 「うーん。なんとなく、かな」 「女性などだと失恋がきっかけになるとも言うけれどもね」 「ええ? ないない。そんなことはないよ」  思いがけない角度からの指摘。香月の斜め上の発想に俺が驚くと、瀧居家が見兼ねたようだ。助け舟を出してきた。 「まあ、大体、イメチェンなんていうのは、深い理由があってするものではないからな」 「うん。前の髪型長かったし、もういいかなって、そんな感じ」  俺は適当に言葉を並べた。本当の理由を言うのは、香月に心配をさせるような気がして言えなかった。  だから直ぐに話題を変えた。 「いや、でも背筋が伸びるね。顔を出すと」 「成程。なんだか今日の奥山がぱりっとしているように見えるのは、その所為なのだね。確かに背筋が伸びている」 「はは。いいことずくめじゃないか。お前はこれまでずうっと小さく縮こまっていたからな。そのくら堂々としていた方がいい」  瀧居家は俺のイメチェンが余程気に入ったようだ。手放しで褒めてくる。  正直、眉と髪型を変えただけで、この印象に乏しい平凡な顔そのものが変わった訳ではないのだが、それでもこれまでのもっさい印象から脱した手応えはある。あとはこれをきちんと持続させなければ。俺は相変わらず俺の髪の毛を弄んでいる香月に気恥ずかしさを感じながらも、同時にここまで変われた自分に誇らしい気分でいた。

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