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第四章 モブ山モブ生の春(3)

 暫し、その場に留まる。振り返ることなく自分の教室に入っていった篠邑さんに、不安を抱えたまま、けれども他に出来ることもない。俺は席に戻った。 「だからね、一生。俺はお買い得だよ。この通りの美貌だし、性格だって控えめだし。浮いた噂が一つもなくらい身持ちも固いしね」  水無瀬川が悠然と微笑む香月を目の前に、オンステージを繰り広げているのが目に飛び込んでくる。 「何の話?」 「見ての通りだ」  渋い顔の瀧居家が、小さく息を吐く。  どうやら俺が廊下に出ている間、弁当に手を付けずに喋り倒していたらしい。水無瀬川の弁当は驚くほど量を減らしていなかった。隙を見てはここぞとばかりに香月に絡みにいく辺り、流石は香月が絡むと様子がおかしくなると噂の水無瀬川だけはあるが、果たして香月は自分にハートマークを飛ばしている水無瀬川をどう思っているのだろうか。俺はお弁当箱の蓋を開きながら、隣にいる香月を見た。 「遥の話は本当に面白いね。そうは思わないかい、奥山」 「くぅ、つれない……つれないんだけど、そこがいいんだよね。ねえ、モブ山」  つくづく、水無瀬川は打たれ強い。自分を売り込む台詞をさらりと流されて、普通だったら文句の一つでも吐きたくなるところだろうに、全くめげもしなければ挫けもしないのだから大したものだ。とはいえ、香月と水無瀬川に挟まれる形となった俺は、どう立ち回ればいいのかがさっぱりわからない。 「えーと、いつも通りに、水無瀬川が香月にアタックしてたってことでいい?」  俺は弁当に箸を滑り込ませながら尋ねた。  本音を言うと、今の俺は香月の小学校時代の話が気にかかっているのだが、瀧居家を一言で押さえ込んだあのときの香月の態度を思い返すに、俺が訊いたところで素直に答えてはくれなさそうだ。香月が話さない(イコール)瀧居家もあてにならないということなので、この二人から情報を仕入れるのは難しいだろう。と、なると、小学校から香月と親しくしている水無瀬川ぐらいしか頼れる人間がいなくなってしまうのだが、香月に首ったけな水無瀬川が素直に口を割るとは思えない。 「良くわかってるね、モブ山。そうなんだよ。こんなに可愛い俺が一生懸命にアタックしてるのに、一生ってばつれなくてさ」 「遥は私にとって、大事な友達だよ」 「ほらね、これだよ。もう超クール。それが堪らないんだよねえ。痺れちゃう」  身悶えしながら弁当に手を伸ばした水無瀬川に、瀧居家が深い溜息を洩らした。  俺が篠邑さんと話をしている間に、香月と瀧居家の弁当は残りを大分少なくしている。きっと、水無瀬川の止め処ない妄想話をBGMに食べ進めたに違いない。そういった意味では流石の大物二人組だ。俺だったら水無瀬川の妄言に、いちいちリアクションをしているところだ。 「ところで教科書は誰に貸したんだい?」  とはいえ、香月としてはいい加減に話題を変えたいところであったのだろう。これ幸いと尋ねてくる。  まあ、水無瀬川の妄言をずうっと聞いていると疲れるだろうしなあ。ということで、俺は助け舟を出すつもりで、教科書を貸した相手が一組の篠邑さんであることを伝えた。すると、ああ。と、頷いた香月が「去年、同じクラスだったようだしね」さらりと口にする。  ひぃ。  俺は香月とは逆側に身体を引いた。  もう驚くことはないと思っていたのだが、去年のクラスメイトが誰だったかまで覚えられているとなると、俺の個人情報が完璧に香月に筒抜けになっているのではないかという疑惑が湧き上がってくる。いや、そのくらい、芙蓉グループの調査力をもってすれば容易いことではあろうが、そんな枝葉末節な情報まで調べ上げようものなら、ちょっとやそっとでは読み終わらない量の調査書になってしまうではないか。よしんばその全てに香月が目を通していたとして、どうやれば、こんなにも直ぐに、俺が篠邑さんと去年同じクラスだったことを口に出来たものか。 「え、えーと。それ、どこ情報なの、香月……」  答えずともわかると思っているのだろうか。微笑む香月は何も答えない。  代わりに瀧居家が口を開く。 「今更何を言っているんだ、お前は。全部調べたと言っただろう」 「いや、それはそうなんだけど、それにしてもよく覚えてるなあ、って……」  もしや、こういったことなのでは? 俺は篠邑さんの言葉を思い返した。『嫌なことはちゃんと嫌だと言わないと駄目だよ』もう調べられてしまったものを今更なかったことには出来ないが、よくよく考えてみれば、友達にしたい相手の情報を根こそぎ調べ上げるのは問題である。  香月は小学生のときにも同じことをしたのではなかろうか。  いや、だけど――俺は大日向のことを思い出した。俺の家の住所を俺に訊くことなく家に迎えにやってきた大日向。当たり前のように調べたと口にした辺り、大日向にとってはそれが日常だということだ。となると、香月や大日向クラスの上流階級では、そういった行動が当然のものとして行われているのだろう。そもそも、瀧居家も疑問を持つことなく俺の調査書を読み上げていたではないか。瀧居家の性格と立場からして、香月が問題を起こしそうになったら、絶対に止めにかかる筈である。  うーん。俺は宙を睨んだ。  上流階級の人間の常識が俺にはわからない。わからないからこそ、何が問題になるかもわからない。けれども、普通の人間からすれば、話してもいない自分の情報が筒抜けになっている状態は充分にホラーである。だが、彼らの態度からはそれが問題であるとは窺えない。  それ以上の問題って何だ。俺が悩ましさを感じていると、俺が驚いて黙り込んだように見えたのだろう。「今更、ビビんないでよ、モブ山」と、水無瀬川が俺の額を指で突いてきた。 「一生は君とは出来が違うんだよ? そのくらい、一度目を通せば覚えちゃうって」 「い、いや。勉強とは訳が違うでしょ」  確かに香月が必死こいて勉強している光景など想像も付かないし、休み時間をのんびり過ごしていながらにして、常に学年五位以内の成績をキープしていたりもするが、今の話は勉強ではなく、俺の個人情報の話である。全くの赤の他人の個人情報を、幾らこれから友達にするとはいえ、全部頭に叩き込むなど正気の沙汰ではない。  偶々そこだけ目についただけに決まっている。  不意に思い浮かんだ仮説に俺は飛び付いた。そうだ。俺は女子生徒と交流がないモブ山モブ生だ。俺の交流関係を洗えば、篠邑さんが浮いて見えるのは当たり前。なんてたって紅一点、なのだから。そう思って騒ぎ立つ心を慰める。と、香月がおもむろに口を開いた。 「まあ、大抵のことは一度で覚えられはするね」  ひぃ。  恐るべし、香月一生。  逆にここまでくると、何なら出来ないのかが気になるぞ。俺は綺麗な香月の顔を横目で窺った。 「でも、流石に項目が膨大だったからね。主要な内容しか頭に入れてはいないよ」  それは俺の情報を根こそぎ調べ上げたと白状しているのと同義だ。けれども、同時に俺の推理が当たっていたという証明でもあった。 「だ、だよね。全部は流石に覚えていないよね」 「うん。これまでの交友関係と出生地と生年月日と家族構成と学歴ぐらいだね」 「こ、これまでのって、いつの」 「幼稚園ぐらいからだね。初恋の相手が幼稚園の高崎恵(たかさきめぐみ)先生だったこととか、家族ぐるみの付き合いをしていた大磯新(おおいそあらた)が小学校入学と同時に引っ越してしまったこととか」  わあ。  幼児の頃の話とはいえ、香月の口から初恋の相手が語られるのを聞くと恥ずかしさが込み上げてくる。頬が熱くて仕方がない。だのに俺にはもう、顔を隠してくれる前髪はないのだ。 「なあに、モブ山。照れてるの」 「い、いや。あはは……」  水無瀬川は目聡かった。  俺は水無瀬川の視線から逃れるようにお弁当箱を持ち上げた。昼休みは案外短くて、体感十分といったところなのに、もう残り時間が十分を切っている。急がなくては。この機会にと思いながら俺は弁当を食べ進める。 「生年月日で思い出したのだが」香月が言った。「中間テストに取り紛れて失念していたが、奥山は十六日が誕生日だっただろう。テストも返却が終わったし、ささやかなパーティをしないかい」 「え、いいの? 祝ってもらうなんて、久しぶりなんだけど」  思いがけない申し出に俺の胸が弾む。  小学校では誕生日会をしたりもしたが、楓陵学園に入学してからというもの、中間テスト期間に誕生日が重なることもあって、言葉でお祝いされるぐらいしかしていない。家ではケーキが出るには出るが、もう十七歳になったからだろう。母も昔のように張り切って俺の好物を作るような真似はしてくれなくなった。 「ケーキぐらいは奢らせてくれるだろう? 君が主役なのだから」  俺がお金のことを言ったのを覚えてくれているようだ。普通の友達付き合いに見合った金額を探るような台詞。俺は勿論と頷いた。 「うん。俺も香月の誕生日にはケーキを奢るよ」 「なら、決まりだ。いつがいい? 私は今日でも大丈夫だよ」 「あんまり日が経ち過ぎちゃうと今更感も出るしね。香月がいいなら、今日がいいな」  俺と香月の会話を聞いた水無瀬川が身を乗り出してくる。 「それ、俺も混じっていい? こういうのは人数が多い方がいいでしょ?」  確かに、そうだよな。俺は香月を見た。香月が頷く。いいと言ってくれているのだ。俺は水無瀬川に視線を向けた。 「いいよ、水無瀬川も来てよ。そうしてくれると俺も嬉しい」 「やったぁ。モブ山、おめでとう……って、これは後で言わなきゃね」  今日は最高にいい日だ。沢山褒められた上に、誕生日まで祝ってもらえるなんて。  舞い上がった俺はふわふわした気分で午後の授業を受けた。何かすっかり忘れてしまっている気がしたが、それ以上に嬉しさが勝った。結局、俺が香月の小学校問題について思い出したのは、俺の家での誕生日パーティが終わったあとのことだった。

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