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第四章 モブ山モブ生の春(4)
翌日の放課後、終礼が終わると同時に俺は一組の教室に向かった。
目的は大日向だ。
大日向の尽力で叶ったカットモデルである以上、きちんとお礼をするべきだ。俺が髪を切った経緯を知った両親が持たせてくれた贈答用のクッキー。わざわざデパ地下に寄って購入したのだそうだ。品のいい意匠のクッキー缶が入った紙袋を手に一組を訪ねる。
「あれ? 奥山くん、どうしたの」
あまり知った顔のいないクラスなので、少しまごついたが、篠邑さんが気付いて声をかけてくれた。俺は教室の中に視線を向けながら、「大日向に用があって来たんだけど、お話し中かなあ」と、口にした。
もう放課後になったというのに、直ぐに教室を出る生徒は少ないようだ。窓側に大日向を中心とするグループが出来上がっている。その数は十人近い。きっと俺を誘ったときのように、フランクに友達を作っているのだろう。「少し待っててね。今、呼んでくるから」そう言った篠邑さんが、その輪の中に入ってゆく。
声をかけられた大日向が俺の方を見た。少し驚いているようだ。俺がぺこりと頭を下げると、その表情が見る間に笑顔に変わる。
「おお、奥村。俺を訪ねてきてくれたんだな、嬉しいぞ」
するりと輪を抜けた大日向が、俺の許に歩んでくる。
立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花――とは女性を表する言葉だが、大日向の颯爽とした立ち居振る舞いはどう表現すればいいのだろう。毅然とした中にも優美さを感じさせる動き。俺が目を奪われていると、俺の目の前に立った大日向がにかりと笑った。
「どうだ。髪を切った反応は」
気にしてくれていたようだ。続けてそう口にした大日向に、俺は顔を綻ばせた。
「もうすっごい褒められた。大日向のお陰だよ、ありがとう」
「そうだろう。そうだろう。見違えたしな。俺のクラスでもちょっと噂になったぐらいだ」
それだけ、自分の提案に自信を持っていたのだろう。自分のことのように得意満面でいる大日向に、俺ははにかむ。
「あはは。いい噂だと嬉しいんだけど」
「勿論だ。そうじゃなきゃ俺様もこうして話題にはしないぞ」
大日向の期待に応えられたことが素直に嬉しい。何せ今日も何人かの教師に褒めてもらっているのである。髪を切っただけでこんなに褒めてもらえるのであれば、成績が上がったらもっと褒めてもらえるかも知れない。お陰で俺は授業に積極的になれた。わからないところを教師に質問出来るようになったのだ。
「それで、これ、両親からのお礼なんだけど」
俺は紙袋を大日向に差し出した。
「なんだ。気にすることはないというのに」
「母が特に喜んでくれてね。是非お礼をしなきゃって……」
「ふむ。つまり献上品ということだな」大日向が俺の手から紙袋を取り上げた。「そういうことなら有難くいただくぞ。だが、次からはそう気を遣うな。俺は俺のやりたいようにしただけだからな」
細かいところに拘らないのは、流石の億万長者 。香月もそうだが、大日向も大らかな性格をしている。
春に吹く温かな風のような香月に対して、秋に吹くからりとした風のような大日向。言動が破天荒なこともあって誤解されているようだし、強引に感じる部分もあるにはあるが、凄く細やかな気遣いをしてくれる人間だ。
「ところで大日向。今ちょっと時間ある?」
「何だ。友達の頼みとあれば、俺様は幾らでも時間を割くぞ」
「あ、大したことじゃないんだ。ただ、小学校時代の香月のことを大日向はどのくらい知ってるのかなって……」
「ふむ」大日向が顎に手を当てた。「何かを聞いたな、お前」
昨日の夜、俺は亘代に駄目元で香月の過去を知っていないかを尋ねた。答えはNOだ。楓陵学園に入学してからの香月については多少知ってはいるが、小学校時代の香月については何も知らないという返事だった。
そこで俺は考えた。
篠邑さんはあの態度だ。俺が尋ねても詳細を聞かせてはくれないだろう。水無瀬川はもっとだ。香月のことについて詳しそうな態度をみせているが、その詳細を香月の許可なく口にしたりはしない。瀧居家は論外だ。となると、他の人間を頼らねばならないのだが、いかんせん俺の交際範囲は限られている。他に香月に詳しそうな人間となると、大日向ぐらいしか残らない。
とはいえ、小学校は別な二人である。互いに噂を耳にしていたとはいえ、それはかなり局所的なものであるだろう。
それでも俺は大日向を頼ることにした。何も調べずにいざその瞬間にショックを受けるよりかは、予め心の準備をしておきたい。そう、俺はビビりなのだ。小心者であるが故に、石橋を叩かねば気が済まないほどの。
「うん。昨日、ちょっと篠邑さんに言われてね……」
俺は教室内の様子を探りながら大日向に話を切り出した。とはいえ、篠邑さんは、大日向を呼び出して直ぐに教室を去ったようだ。もう姿が見えない。
「香月に気を付けるようにか」
「いや、というより、嫌なことは嫌ってちゃんと言うようにって……」
「篠邑らしいな」
「でも、何に対して嫌って言えばいいんだろう? 篠邑さんは香月の小学校時代を知っているみたいだったけど」
「それで気になったんだな」
「うん。嫌なことって言われても、そもそも俺と香月って常識が違うでしょ。だからどこからが嫌のラインになるのかがわからないなあって」
ふーむ。と、唸った大日向が宙を睨んだ。
矢張り、難しいか。俺は大日向の端正な面差しを見上げた。そして少し冷静になった。篠邑さんに忠告されたことで構えてしまったが、言われたことは至ってシンプルだ。嫌なことは嫌と言えばいい。そこに香月の過去は関係しないだろう。
お金の件と一緒だ。
常識が異なる以上、擦れ違うことはある。けれども、そこできちんと教えれば香月は理解してくれる。そうだ。俺は自分が恥ずかしくなった。篠邑さんの言葉に動揺して香月の過去を探ろうとしてしまった。それは香月を信頼していないのと同義ではないか。
「これは言おうかどうしようか迷ったことなんだが」
降ってきた言葉にはっとなる。
俺に視線を戻した大日向が、悩まし気な表情を浮かべている。恐らく、今でも言っていいのか迷っているのだろう。それなら聞かない方がいい。俺は首を横に振った。
「あ、いいよ。無理をしてまで聞きたいとは思ってないから」
「いや、お前は知る権利がある。隠しておいて、あとでいざこざが起きるのも嫌だしな」
眉の引き締まった真剣な表情。大日向の強い言葉に呑まれた俺は襟を正した。
「だから言うが、日曜日にな、俺たちの跡を尾 けていた車があったんだ」
「え?」俺は眉を顰めた。
「まあ、実際良くあることではあるんだ。大日向グループに大きな動きがありそうなときに、マスコミが俺の動きを探りにきたりな。だが、この間の連中はそれとはちょっと毛色が違った。高橋も多分素人だろうと言っていたし、俺もそう思う」
「それって、つまり……」
背筋を冷たいものが伝った。
大日向の言いたいことは理解出来た。だが、一般的小市民である俺にとって、その現実は受け入れ難いものだった。そう、随所でタイミング良く電話をかけてきた香月。それは香月が俺の動向を知っていたからではなかったか。
「さあな。俺にはわからん。だが、その連中はお前を家に送り届けたら消えた。疑りたくもなるだろう」
どう返事をしたものか悩ましい。
香月を疑いたくはない。だが、大日向の言葉を疑うのも難しい。だから俺は常識の違いに縋ることにした。香月や大日向のような上流階級の人間は俺のような中流階級の人間とは常識が異なる。もしかすると、俺にとっては異常事態であっても、彼らにとっては当然のことであるかも知れない。
「そういうのって、良くやることなの?」
「知り合いの跡を尾けさせる、か? 俺はやらん」腕を組んだ大日向が難しい顔つきになった。「ただ、香月は小学校時代に一つ大きな問題を起こしているからな。やりかねないとは思っている」
だよなあ。俺は小さく溜息を吐いた。
身辺調査は仕方ないことにしても、跡を尾けさせるのは流石にやり過ぎだ。
「でも、その問題ってなんなの? 篠邑さんははっきり言わなかったけど。あ、難しいならいいよ。さっきも言ったけど、無理に聞こうとは思ってないから」
「まあ、調べればわかることではあるからな、言っても問題はないだろう」
明瞭 り物を言う大日向にしては、随分と言い淀んでいる感がある。それだけナイーブな問題なのだろう。俺は悩んだ。これを訊いてしまったら後戻りが出来ないような気がする。
「本当に無理はしなくていいよ。それで大日向が困るような事態になったら、俺じゃどうにも出来ないし」
「それについては心配するな。俺を誰だと思っている。天下の大日向グループの御曹司だぞ」
わはは。と、大日向が笑う。
どこか乾いた笑いに、俺は不安になった。聞かない方が幸せなんじゃないか。けれども、もう大日向は話すと決めたようだ。俺を真っ直ぐに見下ろしてくると、ゆっくりと、重かった口を開いた。
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