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第五章 モブ山モブ生の決意(5)

 昼休みともなれば、外でランチと洒落込む生徒で賑やかな中庭だが、放課後は静かだ。稀に吹奏楽部や合唱部が練習していることもあるが、今日はそういったこともなさそうで、ベンチに腰掛けているのは俺と香月しかいない。爽やかな風が吹き抜ける度に、背後のサツキの木がさやさやと音を立てて揺れる。香月に連れて来られる形で中庭にやってきた俺は、香月の隣で香月が話を始めるのを待っていた。  瀧居家は学年棟の脇に控えている。  香月を俺と二人きりにすることに不安はないのかを尋ねたところ、「お前にその度胸があるなら、俺はこんな真似はせん」と笑っていた瀧居家。屋敷のように弾かれる生徒が多い中で、香月の我儘がきっかけとはいえ、二人きりで話をすることを許されるまでになった。いつの間にか獲得していた信頼に、俺は身が引き締まる思いだった。 「小学校の三年生のときだったよ」  ぽつぽつと香月が話し始める。  さわ、と肌を撫でた風が香月の前髪を払った。正面にある小川に視線を注いでいる香月は、いつも通りに余裕然とした表情を浮かべてはいるが、その声音は寂し気に響いた。俺は居ずまいを正して、香月の話に耳を傾けた。 「クラス替えで同じクラスになった子に、生徒たちから注目を集めている子がいたんだ。名前は敬人(けいと)と言ったね。そばかすが目立つ顔だったけれども、いつもにこにことしていて笑顔を絶やさない子だった。でも、私はその子のことを全く知らなくてね。彼が何故そこまで人気を集めているのか、最初の内は全くわからなかったんだ」  当時から香月の人間関係は瀧居家がコントロールしていたのだそうだ。だから香月には全く接触のない生徒も多かった。香月もそれでいいと思っていたようだ。というか、それが当たり前だと思っていた香月は、自らの友人を瀧居家が選別している現実に疑問を持つことすらしなかったのだという。 「私が通っていた小学校は名門私立中に進学する子ばかりが通うところでね。楓陵学園同様に、家柄の良い子が多かった。だからある程度は同級生の素性を把握していたのだけれども、敬人はそうしたデータが全くない子でね。正直、そういった子があれだけの人気を集めていることが、私には不思議で仕方がなかったんだ」  瀧居家が選ばなかった――という一点で、敬人の素性にある程度の察しを付けた香月は、遠巻きに彼の観察を始めた。同時に、瀧居家に敬人のデータを集めさせた。その結果、予想通りと言うべきか。香月は敬人が一般家庭と呼ぶべき家庭の子であることを知るのである。 「父親は普通の勤め人でね。従業員が五十人程度の中小企業の社員だった。会社内での評価は高くて、若くして次長にまで上り詰めてはいたが、大企業ではよく見るぐらいの能力だったね。敬人の成績も上の下くらいで、そこまで人を集められる能力には思えなかった。けれども彼には不思議な魅力があってね、打てば響くというのかな。人の言葉に対して、三手先ぐらいを読んだ返事をするような子だったんだ。しかも、雑学を良く知っていてね。話が面白い子でもあったんだよ」  冷静に観察を続け、敬人の長所を見抜いた香月は、敬人に興味を喚起された。そしてこう考えた。未来の芙蓉グループの役に立つという意味で、敬人は瀧居家の眼鏡に適う人材ではなかったが、友人として付き合っていくのには、こうした話題に富む人間が一人はいた方がいいのではないか。 「瀧居家は難色を示したが、私はどうしても敬人と話がしてみたかった。だからわがまま券を使ったのだよ」  そこで香月は、まだ俺にわがまま券の実物を見せていなかったことを思い出したようだ。財布の中からスリーブに仕舞ったわがまま券を取り出して見せてくる。まだ大きさも不揃いな瀧居家の稚い字。周囲にストライプの縁取りがしてある辺り、瀧居家なりに一生懸命考えて作ったことが窺える。 「可愛いだろう」  きっと、瀧居家にこの券を渡された日のことを思い出しているのだ。目を細めた香月が、色とりどりの色鉛筆で文字が描かれたわがまま券を、大事そうに財布に仕舞い込む。そして、ふふ。と、笑い声を上げると話を続けた。 「瀧居家はそれはもう面白くない表情をしていたね。だが、敬人との時間は私にとっては充実したものとなったよ。とにかく会話のスピードが速いんだ。そこにぽんと私が知らないような雑学が混じってくる。眉唾な内容もそれなりにあったが、話のタネにするのには丁度良い面白さだったね。だから私は敬人と親しい友達になりたくなった」  どうやって敬人とより親しくなろうかを考えた香月は、誕生日が近いことにかこつけてプレゼントをすることを思い付いたのだという。 「ぴょんぽん、だったかな。奥山も覚えているのではないかな。その頃流行っていた消しゴムがあってね」  事前のリサーチを怠らない人間である香月は、敬人の好みや、興味関心があるものを瀧居家に命じて調べ上げた。その中のひとつがぴょんぽんだったのだそうだ。俺も覚えている。良く跳ねるという意味不明なコンセプトの消しゴム。何故、消しゴムに跳ねる必要があるのかわからなかったが、その意味のわからなさが俺を含めた子どもたちにはとてもウケた。どのくらいウケたかと言うと、社会現象になったぐらいだ。  当然、入手は困難になった。  転売ヤーや文具好き、そして流行り物に手を出さずにいられない大人たちにも目を付けられてしまったのだ。 「正規ルートでの入手は難しかったからね、伝手を使ったんだ。それでも三つしか手に入らなかった。それを誕生日プレゼントと称して渡したのだがね、こちらが驚くほどに喜んでくれてね……」  それが間違いの元だった――と、香月が小さく息を吐く。 「私は敬人をもっと喜ばせたくなってしまったんだよ、奥山。たった三つの消しゴムに喜んでくれた敬人に、他のプレゼントを贈ったらもっと喜んでくれるだろう。浅はかにもそう考えてしまったんだ」  そこからの香月は理由をつけて敬人にプレゼントを渡すようになった。面白い話を聞かせてくれたお礼と言っては、敬人が好きなキャラクターのグッズを渡し、消しゴムやシャープペンを忘れたと嘘を吐いて借りては、雑学好きな敬人の為と百科事典を渡した。けれども敬人が喜んだのは最初の内だけだった。次第に表情を暗くするようになった敬人に、香月は悩ましさを抱えてゆくようになってゆく。 「何がいけないのか、私にはわからなかった。私が住んでいる世界では贈答は当たり前の儀礼だ。何かをされれば礼をする。それに比べれば敬人にかけた金額はさしたるものでもない。なのに彼は言うんだ。『こんなにはいいよ』と」  何をすれば敬人が喜んでくれるのかわからなくなった香月は、両親に相談をした。それが更なる悲劇を生むとは知らずに。 「瀧居家はあれで優しい男だからね。私のわがままを聞くと決めた以上、その障害は排さねばならないと考えていたようだ。だから両親は私が敬人と付き合いがあることを知らなくてね……」  香月曰く、香月の両親は住む世界が違う子どもに自分の息子が並々ならぬ執着心を抱いていることに大いに驚いたらしい。香月の悩みに答えることなく、香月に敬人との付き合いを控えるよう言ってきたのだという。 「両親の言いたいことも今ならわかる。彼らと私では常識が違う。そうした相手と付き合う為には、かなりの努力が必要だ。けれども、当時の私には、そうした現実がわからなかった。だから引かなかった。敬人は私にとって必要な人間だと両親に滔々と説いたんだ」  息子の説得に香月の両親は折れた。というより、折れざるを得なかった。  相手は同じ小学校の同じクラスの生徒である。本当に付き合いを止めさせる為には香月を転校させねばならない。中学への進学を考えると、それは避けたい気持ちが強かったのだろう。だから香月の両親は、息子の我儘を受け入れることにした。  だが、非凡ではあるものの、学業にそれが反映されない生徒との付き合いである。外聞を憚った香月の両親は、それならばせめて、息子に釣り合う家柄にしてはどうかと、敬人の父親に地位を与えることにした。そう、芙蓉グループ企業へのヘッドハンティングを持ちかけたのである。 「私はそれを止めなかった。むしろ、これで気兼ねなく敬人と付き合えるぐらいに思っていた。だが、そうは世の中上手く回らないように出来ているね、奥山。敬人の父親は誇り高い人間だった。だから私のしたことや、私の両親がしたことが腹に据えかねたようだ」  余程、辛いのだろう。俯いた香月の膝の上の手が色を失っている。  いつでも綽然とした態度でいる香月が、決して他人に見せてこなかった弱さ。それに俺は動揺した。こんなに香月に辛い思いをさせてまで自分は何を聞いているんだ。そういった思いが湧き上がってくる。 「香月、もういいよ」  俺は香月の背中に手を回した。慰めになるかはわからない。それでも何かをせずにはいられなかった。 「無理をしてまで話すことじゃないよ。だからもういいんだよ、香月」  そうっと背中を摩りながら言えば、「いや」と、香月が首を振る。 「私はもう二度と同じ過ちを繰り返さない為にも、君にはきちんと話をすべきだと思っているんだよ、奥山。そうすれば君は、私が間違えてしまっても止められるだろう。いや、止めてくれ。私はわざと友達を追い詰めているのではないんだ。信じて欲しい。本当に、ただ、わからないのだよ」  嗚呼――と、俺の口から熱い息が洩れ出た。  香月は自分のしていることが、一般人の常識からかけ離れているということに気付いている。そしてだからこそ、恐れている。 「……敬人は、どうなったの?」  俺の言葉に香月が面を上げる。そして、毅然とした表情で正面を見据えると、ゆっくりと口を開いた。 「転校したよ」 「え?」 「敬人の父親が酷く腹を立てて、学校に怒鳴り込んできたのだよ。『この学校の生徒はうちの息子を金で買うつもりなのか』とね。そのついでに転校手続きをしていったのだそうだ。学校は大騒ぎになったよ。人気者の生徒が、私と私の両親の行いで姿を消してしまったのだから」  その結果、香月は学校の秩序を乱す存在として、職員会議で処分を検討されるに至ったのだ。  他の生徒からの嘆願もあり、幸いにして退学は免れた香月だったが、その後の学校生活は安穏とはいかなかったようだ。目を離すと何をしでかすかわからないと思われたのだろう。何処に居ても教師が目を光らせている状態だったのだという。 「仕方のないこととはいえ、辛かったね。私は敬人と友達になりたかっただけだったから」 「そっか……」俺は宙を仰いだ。  だから香月は、俺が最初の方で香月に言った『友達は対等』という言葉を繰り返すのだ。一方的な好意を敬人に押し付けてしまった自分への一種の戒めとして。そしてだからこそ、俺に自分を止めて欲しいと望んでいるのだ。自分では一般的な常識の範囲がわからないからこそ。 「香月」俺は言った。「ちゃんと俺、香月が間違ったら止めるよ。だから、香月もわからないことは聞いてね。俺、必ず教えるから」 「ああ、わかったよ。奥山、有難う。私の長い話を聞いてくれて」  長く話し続けて疲れたのだろう。香月が俺の肩に頭を乗せてくる。「少し、休んでもいいかい」そう尋ねてきた香月に俺は「うん」と、頷いた。

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