37 / 43
第六章 モブ山モブ生の途惑い(2)
「モブ山は臆病過ぎるんだよ」
事の次第を俺から訊いた水無瀬川が、サンドイッチを片手にけらけらと笑う。
美容に気を遣っている水無瀬川の食事は、偶にパスタなこともあるが、大抵が温野菜サラダと全粒粉パンで作ったサンドイッチだ。水無瀬川曰く、全粒粉パンは普通の白いパンよりも栄養価が高いらしく、そこにたっぷりの野菜とチキンを挟み込めば、ビタミンもタンパク質も摂れるパワーフードが完成するのだそうだ。
「相手は女の子なんだから、そこまで心配しなくともいいでしょ」
「で、でも、女の子となると、何かあったときに対処に困るっていうか……」
俺は自分のご飯を掻き混ぜた。
今日の俺の昼食はそぼろ弁当である。おかずはうずらたまごとウィンナー、それとプチトマトにほうれん草のおひたしだ。普段は行儀が悪いので、ご飯を掻き混ぜたりはしないのだが、流石に今日は気持ちが落ち着かない。ぐしゃぐしゃとそぼろをご飯に混ぜ込みながら、水無瀬川の言葉を聞く。
「その心配がもうモブのそれだよね。好意かも知れないのに。てか、普通はそっちを先ず思い浮かべるでしょ」
そうは言われても俺はモブ山モブ生なのだ。
万が一、告白だったとしても、どんでん返しがないとは限らないではないか。漫画で見た罰ゲームで告白という展開が脳裏を過ぎる。それだけならまだいい。昨今ニュースを賑わせる美人局の可能性だってあるだろう。それならば最初から何も期待しておかない方がいいに決まっている。
それに、だ。
俺は相手の女子生徒を知らないのである。
これが告白だった場合、俺のすることは一つしかない。穏便且つ丁重にお断りする。
それか、お友達から始める。
これまでこういった経験がなかったくせに何を言うではあるのだが、せめて相手のことを知る時間は欲しい。いや、告白だと決まった訳でもないのにここまで考えてしまうのは自惚れているし、石橋を叩いて渡るにしても限度があるのだが、平坦な人生を歩んできた俺は想定外の事態に弱い。変に動揺して話を拗らせてしまうよりかは、あらゆる可能性を検討しておいた方が心構えも出来ようもの。そうすれば相手を困らせない程度にはスムーズに話を進められる筈だ。
「心当たりはないのかい」
名も知らぬおかずが詰め込まれている香月のお弁当箱は、早くも半量を減らしている。きちんと咀嚼しているのは間違いないのだが、俺たちのように何かにつけて箸を持つ手を止めたりしないからだろう。今日も食べるのが早い。
「知らない名前だったんだよね。だから多分、同じクラスになったこともないと思うんだけど……」
「何だか頼りないな」瀧居家が俺を睨んでくる。「しゃんとしろ、奥山。今日の放課後だぞ」
自身の恋愛事にはまるで興味のない様子の瀧居家だが、女性の好意の扱い方には一家言ありそうだ。朝からずっと、俺の煮え切らない態度を諫めてきては、腹を括るように促してくる。
「そ、そうなんだけど。でも、本当に知らない名前なんだよ」
それでも俺の腹は決まらない。
確かに、これが本当に告白であれば、俺の取っている行動は最低最悪だ。香月と瀧居家のみならず、水無瀬川にまで手紙の存在を明かしてしまっている。しかし、しかしである。生まれてこの方、俺は一度も女性に縁がなかったのだ。
これが香月や瀧居家であれば、幾度となく経験のある事態だろう。その分、余裕もあるに違いない。だが、俺は女性に呼び出されるという経験自体が初めてなのだ。これでスマートに立ち回れというのは無理だ。
「彼女の名前を教えてもらうことは出来ないかい。私たちの誰かが知っている可能性はあるよ」
「一生」
瀧居家としては、あくまで彼女の名誉を守りたいようだ。香月相手でも構わずに厳しい声を飛ばす。
「あまりこいつを付け上がらせるな」
「しかし、屋敷の件もあるからね。ただ呼び出されただけは目的もわからないだろう。どちらせにせよ、事前に相手の人となりを知っておくのは悪くないと思うが。奥山もその方が安心出来るだろう」
「しかしだな……」
瀧居家は渋っているが、俺としては情報が得られるのであればそれに越したことはない。何より覚悟が出来るではないか。全くのゼロよりかは展開に予想も付く。だから俺はおずおずと口を開いた。
「あの、澤井さんって言うんだけど」
「澤井ってどの澤井?」
面白がっているようだ。水無瀬川が身を乗り出してくる。
「貴代美さん、らしいけど」
「じゃあ四組だ。澤井興産の社長の娘さんだよ」
「しゃ、社長の娘さん」
俺は途惑った。胸の鼓動が微かに早まる。
そういった大層な人間に呼び出されるような心当たりは一つもない。もうこれはクレームで間違いないのではないか。そう思いながら、乱れた息を整えるべく紙パックのジュースを飲む。
「澤井興産は関東一円で車に関する事業をしている会社だな。レンタカー業務や自動車整備、アクセサリー販売など手広くやっている。近年はカーシェア事業にも乗り出して、それなりの業績を上げているようだ」
口では何のと言いつつも、いざ名前を聞けばそのままにしておけないと思ったのだろう。まるで数式を暗唱するようにすらすらと澤井興産の詳細を述べる瀧居家に、俺は異世界の生物を見ているような気分になった。どれだけの情報が瀧居家の頭の中に詰め込まれているのかは不明だが、学園の生徒に関わる情報はそらで言えそうな雰囲気がある。
とはいえ、今のところわかっている情報は、澤井さんがお嬢様であるらしいということだけである。これでは何も明らかになっていないに等しい。俺が知りたいのは彼女がどういった人間であるかといった情報や、俺に接近しようとしている目的である。だから俺は瀧居家に向き直った。
「ええと、他に情報はないの? 例えば香月が言ったように人となりとか」
「少し待て」
ブレザーの内ポケットからスマートフォンを取り出した瀧居家が操作を始める。何をしているのだろうと見守っていると、どうやらそこに情報網を構築しているようだ。「明るくて朗らかな女性のようだぞ」と、スマートフォンに視線を向けたまま、瀧居家が答えてくる。
「というか、お前と中等部で同じクラスになったことがあるようだが」
「ええ?」
「モブ山ぁ」
「お、覚えてない……」
瀧居家と水無瀬川の冷ややかな視線に晒されながら、俺は一生懸命中等部のときのクラスメイトの顔を思い出してみるが、その中のどれが澤井さんなのかはわからない有様だ。というか、全員はもう思い出せない。しかも俺はクラスの片隅にひっそりと生息している人間な為、一年を通じてまともに口をきかないクラスメイトがそれなりにいる。
口をきかない= 記憶に残り難いなので、名前すら覚えていない生徒も多い。恐らく、澤井さんもそうした生徒の一人だと思われるのだが、その程度の接点しかない相手が、果たして何の用で俺を呼び出そうとしているのか。瀧居家が詳細を把握していないということは、香月絡みで何かあったりした相手ではなさそうだ。と、なると、本当に個人的な用件で、澤井さんは俺を呼び出しているということになる。
「でも、良かったよ。少なくとも接点はあったようで」
「う、うん。全く知らない相手じゃなかったね。覚えていないことは申し訳ないけど……」
香月の言葉に俺は頷いた。
瀧居家のお陰で判明した事実に、これはもしかすると、俺が悲観するほど事態は悪くないのかも。と、いう気持ちが湧いて出る。そう、俺自身の記憶はさておき、相手が噂以上の意味で俺を知っている相手なのは間違いないのだ。もし仮に呼び出しの理由が噂に絡む話であっても、面識があった相手である。全くの他人よりかは誤解が解き易い筈だ。
うん、なんとかなるような気がしてきたぞ。
気持ちが落ち着いたからだろう。急激に空腹感が襲ってきた。俺はそぼろとご飯が均一にならされた弁当を口に頬張った。ご飯に絡むそぼろが旨い。よし、きちんとご飯を食べて放課後に備えるぞ。そう思いながら、一口、二口と弁当を食べ進める。
「モブ山って、本当にわかり易いよねえ」
「こういう人間ばかりなら、俺も苦労は要らんのだがな」
まだまだ情報が寄せられているのだろうか。瀧居家はスマートフォンを弄り続けている。そこに展開されている情報が気になるところだが、一番知りたかったことは知れたのだ。これ以上をせがむのは欲張りであるし、何より澤井さんに失礼だ。
「奥山」
俺の名を呼ぶと同時に香月が手を俺の頬に伸ばしてくる。どうやらご飯粒がついていたようだ。ほら、と俺の目の前にご飯粒がついた指を差し出した香月に、俺は恥ずかしさを隠し切れない。「子どもじゃないんだからさあ」水無瀬川が呆れ果てる前で、俺はゆっくりと頭を掻いた。
ともだちにシェアしよう!

