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第六章 モブ山モブ生の途惑い(6)
俺はがくりと肩を落とした。
話が元に戻ってしまった衝撃もさることながら、香月がこの問題に一歩も引く気をみせないことに対する絶望感。いや、言うだけなら簡単なのだ。ただ、屋敷の父の会社に何かを香月&瀧居家のコンビがしようとしている以上、俺としてはそれを口にして確定的情報としたくはない。
大したことではないのだ。
背中に肘を入れられたのに比べれば、子どもの嫌がらせにもならない発言だ。それを量刑として加算されてしまっては、流石に屋敷の家族が可哀想ではないか。幸い、香月は肝心要のその情報を知らないらしい、ならばあとは俺がそれについて考えなければいいのだ。
「ふむ」香月が声を発する。「成程。考えまいとすると、二重に心の声が聴こえてくるのだね」
ひぃ。
俺はもう何をどう考えればいいかわからなくなった。
どうやら俺が意識に乗せまいとしている部分も香月には筒抜けらしい。ということは、屋敷が言った例のワードも伝わってしまったというだ。なんてチート技なんだ。俺は恐れ戦いた。人間は考える葦である。と、言った偉人が誰かは思い出せないが、それ即ち、人間とは考えずに生きていくことが出来ない生物だということだ。つまり、俺の心の中に無が存在しない以上、どう頑張っても何某かは香月に伝わってしまうのである。
「奥山、安心してくれないかい」
俺の内心の焦りを読み取ったのだろう。香月が言葉を継ぐ。
「私はただ全体の流れがどうなっていたのかを知りたかっただけなのだよ。事情を知っていた方が、屋敷本人とも戦えるからね。だから確認するのだが、屋敷に絡まれたのはその一度きりなのだね」
「うん、そうだよ。けど、本当にそれだけ?」
「うん。だから予定している以上はやらないよ」
「その予定とやらを、俺に教えて欲しいんだけど……」
「そこは大丈夫だよ、奥山。君も当事者の一人だからね。終わったらちゃんと報告するよ」
相変わらずこの件に関して香月は口が堅い。俺の再三の催促にも口を割ろうとしないのだから、相当だ。
俺が香月たちの作戦を知ったところで学外での話である。ビジネスが絡んだ問題になっている以上、邪魔が出来る筈もないのだが、それでも話をしてくれないということは、それだけナイーブな手段に出ているということなのだろう。
「すまないね、奥山。ビジネスの世界では、ヒト・カネ・モノ、そして情報が資産になる。良く言うだろう。情報を制すものは世界を制すとね。だから全てが終わるまでは、奥山であっても話をする訳にはいかないのだよ。これもまた大事な情報だからね。それが奥山の不安を招いていることはわかっているよ。ただ、君が考えているような酷いことをするつもりは本当にないから、そこは信じて欲しい」
当たり前のように俺の心を読んで返事をしてくる香月にどきりとするものの、俺は納得した。
俺にとっては学園内での問題に過ぎないが、舞台を学外に移し、そして屋敷の父の会社にアクションを起こしている香月たちにとっては、屋敷の問題は既にビジネスとなっているのだ。ならば、本当に俺に出来ることはもうない。ただ香月と瀧居家を信じて、結果が良いものになることを祈るだけだ。
「わかったよ、香月。あとで教えてくれるなら、俺はそれを待つよ」
そうなると今のところ残る問題はこの手だ。俺はちらと香月の手を見た。まだ離す気はないらしく、しっかりと俺の指に指を絡みつかせている。
そろそろいいのではなかろうか。
お互いに話すべきことを話した以上、香月が俺の心を読む必要はない筈だ。瀧居家も待たせている。雨も止む気配が見えないし、ここから先は場所を変えた方がいいだろう。そう考えた俺はそろりと指を引いた。
瞬間、香月の指に力が籠る。
うう。
俺は困窮した。手のひらに汗を掻き始めている。それがいつ指にまで及ぶのではないかと思うと気が気ではない。
自認モブであるところの俺は、自分の考えは至って一般的だと思って生きているのだが、そんなに俺の考えは香月にとって面白いのだろうか。ラジオを聴いているような気分だと言ってはいたが、そこまで自分が達者な考えをしているようには俺には思えない。むしろ臆病者な性格が災いして同じところをぐるぐる回るのが日常茶飯事なだけに、焦 れったい思いをするのではないかと思うのだが。
「私は奥山が好きだからね。好きな相手の考えや気持ちを知りたいと思うのは当然のことだろう」
俺が無言でいたからだろう。香月が心の声に返答してくる。
慣れないなあ。心臓が跳ね上がった俺は空いている手で頭を掻いた。
「ありがと。俺も香月のこと、好きだよ」
「そういった意味ではないのだがね」
へ?
俺はまじまじと香月を見た。身体を東屋の外に向けてゆったりと脚を組んでいる香月からは、巫山戯ているような気配は感じられない。
「あ、あの、それってどういう」
「言葉通りの意味だよ。私は奥山と友達以上の関係になりたいんだ」
姿勢を直して俺に向き合った香月が身を乗り出してくる。
ひぃ。俺は身体を後ろに引いた。テーブルの幅からして、香月が俺の顔に辿り着くことはないのだが、この目にしているだけで魂を奪われそうになる顔を間近にするのは勇気が要る。心臓が一気に早鐘を打ち鳴らす。と、いうか、香月は今何と言った? 友達以上の関係になりたい――俺の耳が壊れてしまったのでなければ、間違いなくそう言った筈である。
夢を見ているのではないか。
俺はそろそろと空いている手を頬に置いた。そして思い切り、自分の頬をつねった。痛い。ということはこれは現実の出来事であるということである。
え? 俺、モブ山モブ生だぞ。
俺は訳がわからなくなった。最近、モブからの脱却を目指しているとはいえ、それらしい成果は髪型を褒められたぐらいだ。澤井さんに告白されはしたが、それも髪を切った副産物である。そもそも、モブにだって生涯一度くらいは告白イベントも起こるだろう。それは即ち、まだまだ俺が目指すところには遠いということである。つまり、俺が純度の高いモブであることに違いはない訳で――。
「あの、香月。それってつまり」
「うん。私は奥山と付き合いたいと思っているよ」
ひゃあ。
訊き返してこの返事ということは、俺の耳は正常に働いているということだ。俺はテーブルの上に手を残したまま、後方に身体を引いた。
「な、ななななんで」
「言っただろう。君の心の声は私にとって心地のよいものなのだよ、奥山」
「で、でも、俺はモブで」
「モブだと自分を下げる割には、奥山には捻くれたところがない」
頬が酷く熱い。
もしかすると、俺はもう直ぐ死ぬのかも知れない。二日続けての告白イベントに、生涯の運を使い果たした気分になった俺はうっすら思った。だってそうだろう。澤井さんですら俺のステータスには不釣り合いなのだ。澤井興産の社長令嬢で、スポーツ万能。何をさせても中ぐらいの成績になる俺とは雲泥の差である。芙蓉グループの御曹司である香月なんて、俺からすれば月と鼈 どころの騒ぎではない。人生の頂点 が訪れたと思うのも当然だろう。
「君は素直なのだよ、とても。そして真面目だ。だから他人の言葉を真に受けて、自分はモブなのだと思い込んでしまう」
俺の手を両手で包み込んだ香月が、真っ直ぐに俺を凝視 めてくる。
冷えた手の温もりとは裏腹な熱っぽい瞳。雨の匂いに混じって、シトラスの香りが漂ってくる。味覚を除いた五感の全てに迫ってくる香月に俺の存在は包まれた。頭が逆上せる。俺は眩暈を起こしそうになりながら、香月の言葉を聞いた。
「私は君のそういった純粋さに惹かれたのだよ、奥山。納得してくれるかい」
明瞭 りと言い切った香月に、けれども俺は懐疑的だった。
俺はそんな風に想ってもらえるほど純粋ではない。これまでの勉強に対する姿勢を見ても明らかなように、俺は本来ものぐさな性質だ。直ぐに努力を放棄して、楽な方に逃げてしまう。ハンドボールだってそうだ。俺が香月が言うよに純粋であれば、肩の故障程度で部活動を諦めたりせず、マネージャーとして他の部員たちを支える側に回っていただろう。
素直さにしてもそうだ。
俺は言われるほど素直ではない。小さなことを気にして言いたいことを溜め込んでしまったり、何もなかったことにして遣り過ごしてしまったりと、とかく後ろ向きである。そう、素直であるということは、本来、もっと真っ直ぐで反射的なものである筈だ。だから俺は思うのだ。香月は俺を勘違いをしている――と。
「俺、香月が言うほど純粋でも素直でもないよ」
「はは。そういった謙虚なところも好きだね」
目を細めた香月の顔は、眩いものを見ているような表情だった。
楓陵学園の高嶺の花である香月には、欠けているものが何もない。容姿端麗、品行方正、文武両道、温厚篤実。香月を表現する四字熟語は枚挙にいとまがないくらいだ。それだのに、香月はこんな顔をして俺を見る。まるで自分にないものを眺めるような顔で。
「奥山は自惚れないね。自惚れないから、他人と比べて自分が劣っているところを素直に認めるだろう。これは誰にでも出来ることではないよ。大抵の人間は欲と自尊心を履き違えて、こうありたい自分を本当の自分だと思い込んでしまう。だから自らの努力や実力の不足を簡単には認めないだろう? 奥山にはそれがない。ないのに捻くれていない。そう、いい意味でも悪い意味でも奥山はフラットなのだよ。自らのあるがままを受け入れて生きている。とても素晴らしいことだ」
恐らく、俺は香月の言いたいことの半分も理解出来ていないに違いない。ただ、香月が俺のことを真摯に考えていることだけは理解出来た。
四月から今日まで。期間にすれば二か月ほどと、お互いを良く知るにはまだ短い時間しか経っていない。現に俺の香月に対する理解は、香月の俺の理解には遠く及んでいない。優しいが、どこか掴みどころがない。それが俺の香月評だ。それに対して香月のこの解像度だ。それは、俺の心を読める香月がそのアドバンテージを活かして、俺を理解しようと努めたからでもある。
「ありがとう、香月」
だから俺はそう言った。
「でも、その、付き合うのは……」
「澤井さんのようには考えてくれないのかい」
言い淀んだ俺の言葉に対する香月の返事が胸が痛い。
香月が男だからといった考えは俺にない。相手がどういった属性の人間であろうとも、俺を好きになってくれたのだ。俺にはきちんと相手に向き合う義務がある。その思いに嘘偽りはない。
とはいえ、香月だけは駄目なのだ。
俺は可愛い妹である亘代のことを思った。
入学と同時に香月に恋をした亘代は、先日念願のピエール・マルコリーニのアイスクリームを通販で購入した。俺も半分お金を出したのだが、濃厚な味わいでとても美味しかった。それを噛み締めるように食べていた亘代。たった一つの高級アイスクリームでも、亘代にとっては香月が生きている世界に触れられた大事な記念物なのだ。だからこそ、空のカップを綺麗に洗って、小物入れとしている亘代のいじらしい気持ちを考えると、俺としてはどうあっても香月とだけは付き合う訳にはいかないという結論になってしまう。
「成程」
俺の心の声が聴こえ続けているのだろう。香月が短く呟く。
「なら、妹さんが納得してくれれば、私のことも考えてくれるのだね」
ええ?
俺は意識の外側から殴られたような気持ちになった。
確かに、現段階での俺にとっての障害は亘代である。その障害がなくなれば、俺は香月のことを考えられる。とはいえ、もう二年も香月に恋をし続けている我が妹なのだ。そう簡単に納得してくれるとは思えないのだが。
「奥山は何もしなくていい。これは私の気持ちの問題だからね。スタート地点にも立てずに敗北はしたくないのだよ」
「あ、あの、でも」
「大丈夫だよ。兄妹の仲を壊すような真似はしないよ」
本当だろうか。
俺は不安を紛らわすように、東屋の外に目をやった。雨足が少し弱まっている。「移動するなら今だね」俺の手を掴んで立ち上がった香月は、変わらず俺の手を離す気はなさそうだ。香月に手を引かれながら東屋を出た俺は、これから先、どうすればいいのかわからずに途方に暮れた。
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