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第七章 モブ山モブ生の懊悩(1)

 ――瀧居家には私が他人の心を読めることは内緒にしておいてくれないか。  市立公園の駐車場に戻る道すがら、俺と手を繋ぎながら香月はそう口止めをしてきた。何でも幼少期に他の人間もそうなのだと思い込んでいた香月は、瀧居家の心の声に何度か当たり前のように答えてしまったことがあったらしく、随分と瀧居家を怖がらせてしまったのだそうだ。  ――瀧居家のお陰で私は自分の能力が、他人にはないものであることに気付いたのだよ。  だから俺は瀧居家に何も言わなかった。  瀧居家も俺と香月の会話の内容を詮索してくるような真似はしなかった。ただ、想定していたよりもボリュームがあったのだろう。「長かったな」とは言われた。  帰りしなに喫茶店に寄って、一時間ほど、他愛ない話に花を咲かせた。期末テストが近いこと……それが終われば夏休みなこと……瀧居家に澤井さんをどうするつもりか訊かれたときはどきっとしたが、今日から始まったばかりの関係でもある。あまり待たせ過ぎないようにすると答えて、その場を遣り過ごした。  それよりも、である。  すっかり暗くなり、雨が本格的になった夜になって帰宅した俺は、着替えもせずに夕食を掻き込んで自室に籠った。そう、香月である。一体、いつから――とは思うものの、あれだけ俺を好きな理由を挙げてきたのだ。伊達や酔狂で言っているのではないのだろう。  と、いうことは、真面目に考えなければならないということである。  しかし、しかしなのだ。  亘代である。  亘代が納得をしてくれれば、俺は確かに気兼ねなく香月のことを考えられる。とはいえ、香月は亘代に何をするつもりなのだ。兄妹の仲を壊すような真似はしないと約束をしてはくれているが、普通に考えたら、自分の好きな相手が自分の身内に恋をしているなどという状況は修羅場以外の何物でもない。どう立ち回ったところで、俺と亘代の仲がぎくしゃくするのは避けられない気がするのだが。  だったら、俺の口から亘代に伝えた方がいいのではないか。  亘代とて、香月の口から俺への恋心を聞かされるより、俺の口から聞けた方が納得出来るだろう。そう思って腰を浮かせかけたところで、臆病風が吹き始めた。たった一枚の写真を欲しがったり、些細な情報でも欲しがったり、同じものを欲しがったりと、いじましいぐらいに香月に対して控えめな亘代。こんな風に恋している亘代を目にしたのは、俺は初めてだ。俺と違って行動的な亘代は恋に対しても行動的だ。小学生のときだって、即座にバレンタインのチョコだのクリスマスや誕生日のプレゼントだのを用意し、相手に自分の気持ちをぶつけにいっていた。残念ながら玉砕してばかりで成就したことはないのだが、思い立ってから行動までのスパンが短いからか、引き摺る期間は短く、俺からすればあっさりしていると感じるほどのスピードで日常に戻っていた。そういった意味で、亘代の香月への気持ちは、これまで亘代がしてきた恋とは一線を画すものだ。  何で俺なんだ。  亘代は可愛い妹だし、香月は大事な友達だ。この件をきっかけにどちらともぎくしゃくするような事態だけは避けたいのだが、そうなると、香月の気持ちをなかったことにしてしまうのが、一番穏便に済む解決策になってしまう。だが、ああも真面目に俺を好きだと言ってくれた香月を無下に扱ってしまっていいのだろうか。  澤井さんの件もある。モブだった俺を評価してくれていた彼女を軽んじるような真似はしたくない。かといって、彼女の気持ちにだけ向き合うのは香月に対して失礼だ。澤井さんのことを考える以上、香月のこともきちんと考えねば。しかしその為には亘代の理解が必要不可欠になってしまう。  矢張り、亘代に言うべきだ。  俺はまた腰を浮かせた。そしてドアの前に向かった。ドアノブに手をかける――と、脳裏に幼い亘代が泣いている光景が浮かんだ。いつのことだか忘れてしまったが、告白のときにかなり迷惑そうな態度を取られたのだという。「お前にだけは好かれたくない」とまで言われたとかで、酷くショックを受けてしまった亘代は、そこから三日ほど、食事が喉を通らない有様だった。  また亘代がああなってしまったらどうしよう。  俺の足が竦む。  香月に任せるべきなのだろうか。ぽっと湧いて出た考えに、俺は首を左右に振った。そして、勇気を振り絞ってドアノブを回した。ここで香月に任せきりにしてしまっては、俺は何も変われない。香月の隣に立つ為に強くなると決めた以上、このぐらいのことは自分で処理出来るようにならなければ。 「あ、お兄ちゃん。丁度良かった。宿題教えて欲しいんだけど」  斜向かいにある亘代の部屋のドアをノックすると、笑顔を浮かべながら亘代が顔を覗かせてくる。  困った。俺の決心がまた揺らぐ。  泣かせたくない。 「どうしたの、お兄ちゃん。何かあったの?」  俺がどう返事をしたものか逡巡していると、亘代が俺の顔を覗き込んできた。 「あ、あ、いや……」  言い淀んだ俺に、余程の事態が起こったのだと覚ったのだろう。いや、俺の表情が余程情けなかったのかも知れない。眉を顰めた亘代が、「とにかく中に入りなよ」と、俺を部屋の中に招き入れようとする。  こんな優しくてしっかりものの妹に悲しい思いをさせるのは嫌だ。  俺の中に、宿題だけ教えて終わりにしてしまおう。そういった気分が湧き上がってくる。  そうだ、そうしよう。そう思うと気が楽になった。同時に、本当にそれでいいのか。という疑問が浮かんできた。今を遣り過ごしたところで、いずれは亘代の耳に入る話だ。俺に聞かされるか、俺以外に聞かされるか。くそう。俺は泣きたくなりながら亘代の両肩に手を置いた。 「亘代、落ち着いて聞いてくれないか」 「お兄ちゃん、大丈夫? 顔が青いよ」 「大丈夫だ。だから聞いてくれ」 「う、うん」  俺の勢いに押されたのだろう。亘代が居ずまいを正す。 「あのな」  俺は息を吸った。そして、言葉とともに吐き出す。 「香月に告白された」 「え」  短く声を発した亘代が、きょとんとした表情で俺を見る。容易には事態を把握出来ないのだろう。たっぷり五秒、俺の顔を注視した亘代が「だ、誰が」と、狼狽した様子で尋ねてくる。 「俺が」 「う、嘘でしょ、お兄ちゃん」  人間、予想外の出来事が起きると正常な反応が出来なくなるようだ。半笑いを浮かべた亘代の表情に、動揺の大きさが見て取れる。「俺にこんな嘘が吐けるか」俺は亘代の肩を掴んでいる手に力を込めながら言葉を繋いだ。 「いつ」 「今日」 「何て」 「付き合って欲しい、って」  瞬間、俺の胸に手が置かれる。ぐいと亘代に身体を押された俺はよろめいた。俺の手が亘代の肩から剥がれる。  直後、バタン、と、目の前でドアが閉ざされた。 「亘代!」  俺は慌ててドアに飛び付き叩いた。  ドアが閉ざされる直前の亘代の表情が瞼に焼き付いている。瞳に涙を溜め、口唇を噛み締めて、泣くまいと必死に堪えていた亘代。俺はもう気が気ではない。ドンドンとドアを叩きながら亘代の名を呼ぶ。 「大丈夫!」短く鋭い声がドアの向こう側から響いてくる。「あたし、大丈夫だから!」 「亘代!」 「今は一人にして。明日は大丈夫だから!」  俺はドアに置いていた拳を下ろした。部屋の中から聞こえてくるすすり泣く声に、ごめん。とだけ言い残して部屋に戻る。慰めてやりたいのに、それが許されない。当然だ。亘代にとって俺は、恋をした相手の意中の人である。どうしてその相手に慰められたいと思うことか。  俺は己の無力さを痛感しながらベッドに腰を落とした。  何も思い浮かばない。  ぼんやりと壁を眺めていると、不意にスマートフォンが振動した。もしかして――と思いながら、ベッドの枕元に置いてあるスマートフォンに手を伸ばす。けれどもそこには誰の名前も浮かんでいなかった。数字だけが並んでいる画面に、すわ迷惑電話かと身構える。  流石に今日の今日で香月からの電話もないか。  俺はスマートフォンを枕の上に放り投げた。ところがこれがしつこく鳴り続ける。切れたと思えばまた鳴り、十回ほどコールを繰り返してまた切れる。それが五度ほど続いたところで俺は根負けした。通話ボタンを押して電話に出る。 「もしもし」 「おお、やっと出たな!」  腹の底から陽気な声に俺は首を傾げた。相手が大日向なのはわかったが、電話番号を教えた記憶がとんとない。

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