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第七章 モブ山モブ生の懊悩(3)
翌朝の亘代はいつも通りだった。笑顔で俺と朝の挨拶を交わし、笑顔で迎えに来た友達と一緒に家を出て行った。その明るさに不安を覚えるものの、俺からあれこれ訊くのは憚られる。俺は自分もまた家を出て学園に向かった。
角筈さんは今日も俺の跡をついてくる。
俺は振り返って軽く会釈をした。
会釈を返してきた角筈さんを背後に従えつつ、登校の道を往く。こうして俺を守ってくれるのは本当に有難いけれども、仕事は大丈夫なのだろうか。いずれきちんと形になるものでお礼をしなければなあ。そんなことを思いながら、バス停を通り過ぎる。
バスから降りた生徒たちに紛れるようにして、校門を抜ける。
今日は香月も澤井さんもまだなようだ。賑やかに交わされる挨拶を聞きながら桜並木を往き、昇降口を潜る。わはははは。と、響いてくる底抜けに明るい笑い声は大日向のものだ。何が起こっているのだろうと下駄箱の陰から覗けば、今日も今日とて沢山の友達に囲まれている大日向の姿がある。「お前も来い」といった声が聞こえてくるということは、バーベキューの誘いをしているところなのだろう。
俺は階段を上った。
最終的に何人になるのかはわからないが、ここにきて人数を増やしているということは、まだまだ大日向家の庭には余裕があるということだ。それなら遠慮は要らないか――教室に入った俺は鞄を自分の机に置いて、本田たちのところに向かった。挨拶を交わしたところで、「あのさ」と、バーベキューの話を切り出す。
「大日向にバーベキューに誘われたんだけど、皆も来ない?」
「ええ?」全員の目が丸くなる。
「大日向が友達を連れて来ていいって言ってるんだよね。賑やかな方がいいって。でも、俺一人だと浮いちゃうから、来てくれると嬉しいんだけど」
「いつ?」
意外にも山口は興味がありそうだ。顔を輝かせながら尋ねてくる。
俺が髪を切ってからというもの、折に触れて、香月や大日向のことを尋ねてくるようになった山口。高校からの入学組にとって、中等部からの持ち上がり組は謎めいているのだそうだ。「もう関係が出来上がっちゃってる感じがして、仲間に入り難いんだよね」とのこと。
だからなのかも知れない。「日にちが合えば俺は行くよ」と前向きだ。
「テスト明けの日曜日」
「テスト明けかあ」俺の返事に本田が困った風に目を瞬かせた。「法事があるんだよね」
「そっかあ」
「法事がなければ行ったんだけど」と、申し訳なさそうに口にしている本田の脇で、山口は乗り気だ。大塚を向くと「俺は大丈夫だけど、大塚は?」と尋ねる。
「知ってるヤツが他にいるなら行くけどなあ。てか参加費幾らだよ」
「二千円だよ」
「まあ、そんなもんかあ。親、出してくれるかなあ。俺、今月小遣いゲーセンに注ぎ込んじゃってさ……」
「また音ゲー?」
山口の言葉にバツが悪そうに大塚が頭を掻く。
俺とゲームの話で盛り上がることも多かった大塚は、最近、俺が勉強に精を出してゲームをあまりプレイしていないのが寂しいのだそうだ。だからか。学園からの帰途にゲームセンターに寄っては、そこの常連とゲーム談議に花を咲かせているのだという。勿論、話だけで終わることは少なく、ついでにワンプレイということも多いのだとか。それは金も出て行く筈である。
「うーん。二人だけじゃちょっと厳しいかなあ」
山口が悩まし気な表情を見せた瞬間だった。
「なら、私も行こうか」
背後からさも当然と聞こえてきた声に、俺はびくりと肩を揺らした。
振り返れば、山口の斜め後ろの席を中心に、香月のグループが固まっている。いつの間に居たのだろう。全く気付いていなかった俺は動揺した。昨日の今日なだけに、顔を合わせるのが恥ずかしい。
「おはよう、奥山」
輪の中から自然に離れた香月が俺の隣に立つ。当然だが、その隣には瀧居家が立っている。
「二人で充分だと俺は思うがな」
いつもうっすらと笑みを浮かべている香月とは対照的な表情。眉の吊り上がった厳めしい顔つきで俺を見下ろしている瀧居家に、俺は腰が引けそうになる。もう二か月ほどの付き合いになるが、瀧居家のこの表情には慣れない。
「お、おはよう、香月、瀧居家。えと、どこから聞いてたの」
「大日向にバーベキューに誘われたというところからだね」
どうやら俺が教室に入った直後にはもう教室にいたようだ。あっさりと初めから話を聞いていたと口にする香月に、「耳がいいなあ」と、山口が感心する様子をみせる。
「三人ぐらいまでなら同時に話を聞けるよ」
「凄いなあ。現代の聖徳太子だ」
無邪気な感想を口にした山口に香月がふふと小さく笑う。その隣で相変わらず厳めしい表情でいる瀧居家が、「出来た方が将来役に立つからな」と、自分もまた複数人の話を同時に理解出来るような台詞を吐いた。
確かに、複数の話を同時に聞いて処理出来れば、それだけ仕事の効率が上がる。俺からすれば常人離れしているようにしか思えない能力だが、将来、芙蓉グループを背負って立つ二人としては身に付けて当たり前の技能であるのだろう。
俺は試しに教室内の会話全てに耳を澄ませてみた。音が一度に耳に押し寄せてくるような感覚は、乗り物に乗って酔ったときのふらつき感にも似ている。これではまともに声が聴こえない。耐え切れなくなった俺はそれぞれの音を選り分けようとした。
ところが音を選り分けようにも、全部を一度に処理という訳にはいかなかった。必ずどこかの音に必ずフォーカスが当たってしまう。当然、その間、他の音は雑音 と化す。うーん。俺は諦めた。一朝一夕に身に付く技能ではないだろうが、それにしても適性がない。この状態で三つも声を聞き分けられるなど、香月も瀧居家もどうかしている。
「本当に行くの、香月」
俺は香月の顔をまじまじと見詰めた。
「うん? バーベキューだろう。私が行っては駄目かい」
「大日向主催だけど、いいの?」
「大日向が遠慮して欲しいというのであれば、その通りにするが」
「ううん。ただ、誘っても香月は来ないんじゃないか、みたいなことは言ってたよ」
「そう聞くと、行ってやろうという気になるな」
意外にも俺の言葉に瀧居家が反応した。
来ないと思われているのが癪に障ったのか。それで行ってやろうという気になる辺り相当に天邪鬼な気がするが、大日向の話が事実であれば、瀧居家の能力を高く買っている大日向は、瀧居家に自分の右腕になるようアプローチをしている筈である。だからこそ瀧居家としては思うところがあるに違いない。先程までの厳めしい表情が一変、不敵な笑みに変わっている。
「喧嘩をしに行く訳ではないのだがね」
瀧居家をちらと横目で窺った香月が苦笑を浮かべる。
「え? もしかして不仲なの」
慌てる山口に、「そういったことではないよ」と、香月が表情を戻した。
「ライバルのようなものだね」
「そっかあ。二人とも学園の有名人だもんね」
しらと言い切った香月に山口が納得するも、俺は、本当に大丈夫なのだろうか。と、思わずにいられなかった。
そもそも和気藹々と仲良くするような二人ではないのだ。
俺を友達にすると大日向が乗り込んできたときもそうだったし、屋敷の件が大日向に伝わったときもそうだった。挑発的な態度の大日向に、含みのある言葉を返す香月。その癖、妙になあなあなところをみせたり――と、この二人の関係値は温度差が激しい。それに山口や他の参加者が耐えられるのか。
俺は躊躇した。
折角の楽しいバーベキューである。空気を悪くするのだけは避けたいところだ。
「二人が行くというのであれば、大日向の家まで車を出すが、どうする?」
とはいえ、香月は乗り気なようである。俺と山口の顔を交互に見ながら尋ねてくる。
まさか自分から行くと言ったものをぶち壊しもしまい。矢鱈と好戦的な瀧居家が不安要素ではあるが、瀧居家にとって主人である香月がこういった態度であるものを、こちらも自らぶち壊しはしまい。
俺は香月の良心を信ずることにした。何より、いつも奥手な山口がこれだけ興味深々なのである。それだったら参加させてやりたいではないか。「どうする、モブ山」俺を窺う山口に頷いて、「そういうことならお世話になろうかな」俺は香月に笑いかけた。
「でも、大塚は?」山口が口にする。「大塚が行けるとなったら、三人になっちゃうよ。車にお邪魔するのはちょっと……」
「うん? 大丈夫だよ。そうなったらリムジンを出そう」
さらっと言ってのける香月に、はへええ。と、目を丸くした山口が頓狂な声を発した。
俺も思わず「リムジン」と声を出した。
車に興味のない俺でも知っている高級車である。それを気軽に出すと言い切った香月に、俺は腰が引けそうになった。たかがバーベキューに行くにしては大層過ぎる車の登場だ。とはいえ、お世話になると言ってしまったあととあっては、乗らないとは言い難い。
「だ、大丈夫? その、そんなにいい車出しちゃって……」
俺は香月を見上げておどおどと尋ねた。うん。と、香月が頷く。
「大日向の家は大きいだけに駅から離れているのだよ。車の方が迷わずに済むだろう。まあ、私のついでだと思って、気を楽にするといい」
「その方が箔も付くしな」はは、と瀧居家が笑う。「大日向の家にもリムジンくらいはあるだろうが、お前たちの送迎に使ったと知ったら、あの性格だ。苦々しく感じるのは間違いない」
ひぃ。
俺は瀧居家とは逆側に身体を引いた。
何と戦っているのかは不明だが、瀧居家が香月以上に大日向を意識しているのは間違いない。通りで山口が香月と話をしていても寛容な筈だ。
大丈夫なのかなあ。俺の胸を再び不安が占める。香月も同じ気持ちであるようだ。「喧嘩をしに行くのではないというのに」と、眉を寄せる。
「安心しろ。俺は何もせん。言われたら言い返すぐらいだ」
「それが良くないと思うんだけど……」
瀧居家が好戦的になると大事になるのは、屋敷の件で思い知っている。まさか天下の大日向グループ相手に企業戦争を仕掛けたりはしないだろうが、向かうところ敵なしの勢いで言葉を吐く瀧居家のすることである。嫌味ぐらいで済むのであれば御の字だが、果たして俺と同じくらいびびりな山口があのいたたまれない空気に耐えられたものか。
俺はそろりと山口を見た。呆気に取られた表情をしている。
「瀧居家」
俺と山口の顔を見下ろしている香月が瀧居家の名前を呼ぶ。それで香月の言いたいことを覚ったのだろう。「わかっている。冗談だ」そう返して、ははは。とまた笑った瀧居家に、俺は乾いた笑いを浮かべた。
どこまでが冗談で、どこからが本気なのかまるでわかりゃしない。
けれども、根が素直な山口はそれで安心したようだ。「なあんだ」と、胸を撫で下ろすとぺこりと頭を下げて、「じゃあ、お世話になるね。ありがとう、香月」と、自分の席に着く。早いものでもう予鈴が鳴っている。「じゃあ、またあとでね」クラスメイトたちが教室中にばらけてゆく中に混じって、俺も自分の席に戻った。
本田と大塚も自分の席に戻ったようだ。教科書とノートを取り出しているのが目に入る。
静かなざわめきの中、担任の登場を待つ。
心配だ。俺は瀧居家の方に目を遣った。涼しい表情で席に着いている瀧居家は、もう目の前の授業のことしか考えていないようだ。机の上に開いた教科書とノートに目を落として、待ち時間を潰している。まあ、瀧居家は俺よりも大人だしなあ。気分の切り替えが早い瀧居家に俺は大丈夫だろうと自分を納得させて、ようやく教室に姿を現した担任に視線を向けた。
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