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第七章 モブ山モブ生の懊悩(4)
香月が車を出すと言い出したことで、早めに参加可否を伝えないといけないと思ったようだ。休み時間を使って母親に電話をかけた大塚だったが、小遣いの管理をしないのが悪いと取り付く島もなかったらしい。「興味はあったんだけどなあ」と、残念がる大塚を山口と一緒に慰めた俺は、それから三時間後。昼休みに改めて香月に山口と二人の参加になることを伝えた。
「何の話?」
俺の前の席を昼休みの定位置にしている水無瀬川が、今日も今日とてサンドイッチを片手に尋ねてくる。
「大日向にバーベキューに誘われたんだよね」
「ああ、それかあ」
どうやら既に誰かに誘われていたようだ。微妙な表情になった水無瀬川が、「服に臭いが付くのが嫌で断ったんだよね」と続ける。
「でも、一生が行くなら行ってもいいかも」
流石のぶれなさである。
香月の参加を聞いて意見を翻した水無瀬川に、俺は感心してしまった。何せ今の俺は、香月と澤井さんの告白への返事を保留にしている立場である。幼稚園以来、誰かをそういった意味で好きになることのなかった俺にとって、好きな相手に一直線な水無瀬川の態度は手に入れたくとも入れられないものだ。
俺もこんな風に誰かを想えたら。
幼稚園の先生を好きだった頃の俺は、幼稚園に行くのが毎日楽しみだった。先生が笑うと俺も嬉しくなったし、先生が怒ると自分の所為でなくとも悲しかった。あの気持ちは一体何処に行ってしまったのだろう。そう感じるくらいに俺の気持ちはフラットだ。いや、そういった意味では、香月との付き合いで感じる緩急激しい感情の数々は、恋にも似ているように思われもするのだが、これだけの美形を目の前にして、果たして何人の人間が平常心を保てたものか。それは、恋でなくともこうなるに決まってる――隣の香月を横目で窺った俺は、自らの上ずった鼓動にそう思わずにいられなかった。
「ねえ、一生。俺も一緒に行きたい。車乗せてよ」
「うん? 遥は大日向の家の場所はわかるだろう」
「一生と一緒がいいから言ってるのにぃ」
俺がぼんやり考えている脇で、水無瀬川が香月にせがんでいる。相変わらずな水無瀬川のメンタリティに、表情を渋くした瀧居家が、「お前の行動は一生の行動で左右されるものなのか」とぶっきらぼうに言い放った。
「恋する男だからね」
だが、水無瀬川は挫けない。臆面なく言ってのけると、「ねえ、一生。俺も混ぜてよぅ」と、香月に媚びるような視線を向ける。
「ははは。もう小学生ではないのだよ。遥も一人で行動出来るようにならないとね」
「全くその通りだな。そんなんだから金魚の糞と言われるんだ」
笑顔を崩すことなくやんわりと水無瀬川を嗜める香月に、厳めしい顔つきでずけずけと物を言う瀧居家。これだけの対応をされたら、気の弱い俺などはさっくりと引いてしまうものだが、今日の水無瀬川の辞書には撤退の二文字はないようだ。「いいでしょ、ねえモブ山」と、俺を向いて尋ねてくる。
「で、でも、俺の車じゃないし」
「モブ山ぁ」
「いや、でも、そこは香月と話をして欲しいかなあ、なんて……」
俺は言葉を濁した。
俺一人だけならば水無瀬川が居ても構わないし、むしろ歓迎するところでもあるのだが、水無瀬川と面識のない山口が一緒なのだ。人懐っこそうにみえてシャイな面がある山口が、ちょっとクセのあるキャラクターである水無瀬川と、果たして初対面で打ち解けられるだろうか。
「奥山だけでなく、山口もいるからね。遥もクラスメイトと一緒に行ってはどうだい。どうせ向こうで会えるのだよ」
どきり。
タイミング良く俺の考えを代弁した香月に、驚いた俺は慌てて自分の身体に目を遣った。香月が俺に触れていないことを確認する。ということは、俺の考えを読んだのではないということだ。ほっと胸を撫で下ろす。香月の礼の能力は俺の心臓に悪い。
「ううん、そうなんだけど……でも、山口って? モブ山の友達?」
俺は水無瀬川の言葉に頷いた。
お坊ちゃまの中では比較的気さくな気質の水無瀬川だが、それは話す必要に迫られたときだけだ。大日向のようにのべつまくなし声をかけて歩くような人間ではない。その所為か、面識のない人間については本当に何も知らなかったりする。
俺の友達もそういったカテゴリに入るようだ。「モブ山の友達は大人しそうなのが多いからなあ」と、首を傾げる。
「遥は賑やかだからね。山口が驚いてしまうよ」
「一生は優しいなあ。そういうところが堪らない」
相変わらずやんわりといなしてくる香月に、水無瀬川がしなを作る。
「でも、俺、借りてきた猫ぐらいにはなれるんだけどね」
本当だろうか。俺はまじまじと水無瀬川の顔を見た。
クラスメイトの視線がある中で際限なくアプローチを続けられる水無瀬川が、車内という閉鎖空間で我慢が出来るとは到底思えないのだが、水無瀬川自身は自信があるらしい。全く表情を変えることなく、ふふふ。と、自信ありげな含み笑いを洩らす。
とはいえ、知らない他人がいるという状況は、何だかんだで気遣いの人間である水無瀬川を踏み止まらせたようだ。「まあ、知らない相手と車内で一緒になるのが嫌っていうのはわかるから、今回は我慢するよ。その代わり、ちゃんと向こうでは相手にしてよ。ね、一生」と、ようやく引く気配をみせる。
「それは勿論だよ、遥」
「やったね。楽しみだなあ」
喜ぶ水無瀬川を視界の端に置いたまま、俺は考え込んだ。
どういった面子がバーベキューに顔を揃えるか明瞭 りしていない状況だ。知っている人間が増えるのは有難い。
だが、香月も瀧居家も、そして水無瀬川も、俺側の人間である。もっと言えば大日向もそうだ。そうなると気掛かりなのは山口だ。俺の誘いに応えてくれた山口が肩身の狭い思いをしないよう、当日は気を付けなければ――。
俺は食べ終えたお弁当箱の蓋を閉めた。そして机の上に残った紙パックに手を伸ばした。ちゅるちゅるとストロー越しにオレンジジュースを啜る。と、俺の肩を突いてきた香月が俺に向かって手を伸ばしてくる。
「奥山、一口貰えるかい」
「あー、また。そんなにジュースが飲みたいなら、俺があげるのに」
頬を膨らませた水無瀬川に「このジャンクな味がいいのだよ」俺から紙パックジュースを受け取った香月が微笑む。
「うん。甘いね。オレンジの味が仄かにする」
「美容に良くないなあ。果汁5パーセントとかでしょ、それって……」
これまで当たり前のように、香月からせがまれるがまま、俺はジュースを渡してきた。友達同士では良くあること。そう思いながら。
けれども今日はもう違う。
香月は俺を好きだと言った。それはつまり、俺に対してある種の欲を抱いているということでもある。
その欲を俺は受け止められるのだろうか。
「有難う、奥山。美味しかったよ」
「香月、本当にそう思ってる?」
「うん。思っているよ」
俺は香月から紙パックを受け取った。
ストローに口をつけると、香月の温もりが伝わってくるような気がして妙にくすぐったい。俺は改めて自分の手に視線を落とした。昨日、香月が離さなかった俺の手。雨の中二人で手を繋いで歩いたあの時間に、俺は確かな高揚感を感じていた。
けれども、それは俺の思い上がりからくる錯誤であるのかも知れない。
澤井さんと手を繋いだらわかるのだろうか。ふと頭を過ぎった思考にいやいやと俺は首を振った。香月は香月だし、澤井さんは澤井さんだ。そんな比較方法を試すなど双方に対して失礼だ。そもそも澤井さんの告白は一昨日、香月の告白は昨日のことではないか。答えを焦るには早過ぎる。
「なあに、モブ山。難しい顔をしちゃってさ」
「あ、ごめん。山口のことを考えてて」
俺は顔を上げた。
急がなくとも、いずれ答えは出る。そう信じよう。
香月の欲にしたところで、俺が香月をそういった意味で好きになれば自然と湧き上がってくることだろう。そういった意味で、今の俺と香月は、きっと友達以上恋人未満というヤツなのだ。そう自分の気持ちを結論付けた俺は、幾分肩の力が抜けたのを感じながら、昼休みの残りを過ごしていった。
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