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第七章 モブ山モブ生の懊悩(5)

「じゃあ、俺は教室に戻るね」  予鈴とともに水無瀬川が教室から姿を消す。  バーベキューに香月とともに参加出来るだからだろう。今にもスキップを始めそうな足取りの水無瀬川を見送った俺は、机の上に次の授業の教科書とノートを出した。大分、小中の復習が進んだこともあり、最近は予習に手を出す余裕も出来てきた。勉強に手応えが感じられるのはとても嬉しい。俺は最来週に迫った期末テストに向けて密かに闘志を燃やしながら、午後の授業を受けた。  梅雨時なだけに今日は天気の変化が激しい。  少し晴れては曇り、また晴れたと思ったら雨が降る。傘は持ってきているが、差したところで荷物がぎゅうぎゅうな鞄は濡れがちだ。出来れば雨だけでも止んで欲しいと願うも、そうは問屋が卸さない。ついに雨が本格的となり、雷が鳴り始めたところで午後の授業が終わった。  とりたてて特筆すべきこともない終礼を受けて、放課後を迎える。  俺は急いで山口の許に向かった。改めてバーベキューの件について確認する。  山口としては、『不安はあるけれども、参加の意志に変わりはない』とのことだった。「それ言ってたら、いつまでも知り合いが増えないしね」高校からの入学組である自分に友達が少ないのを、山口なりに気にしていたようだ。そう言ってはにかんだ笑顔を浮かべた山口に、未だにビビりな俺とはえらい違いだと俺は感心した。  俺ももう少し知り合いが増えるよう頑張ろう。  知り合いや友達の人数が多いからどうといった話ではないが、いないよりかはいた方がいいのだろう。特に今から将来の人脈づくりをしている香月や大日向を見ているとそう思う。SNSなどの意見を見ていると、社会人になってから友達関係を新たに構築するのは難しそうであったし、学生時代の友人関係は大事にしておいた方がいいという意見も良く目にする。友達百人出来るかな――とまではいかなくとも、クラスが変わったときに孤独にならない程度の人脈は持っておこう。山口の前向きな態度に感化された俺は素直にそう思った。  部活に向かう山口と別れ、教室を振り返ると、香月と瀧居家の姿はもうなかった。  亘代のことを任せるように言った香月の不在に心がざわめくも、俺に出来ることはしたあとだ。だから俺は荷物を纏めて教室を出た。雷が酷くならないうちに家に帰ろう。そう思いながら階段に向かいかける。と、「奥山くん」と背後から声をかけられた。聞き間違えようのない快活な声。振り返ると澤井さんが鞄を手に立っている。 「今日、部活休みになったの。もし良かったら一緒に帰らない?」  わぁ。  俺は突如として発生した『自分に好意を寄せている女子との下校イベント』に焦った。何せこちらは生まれてからここまでそういったイベントと無縁で生きてきた非モテ男子である。一緒に帰るのは吝かではないが、何を話せばいいのかがわからない。  不安になりつつも、こうしたイベントをこなさなければ、いつまでもお互いを知ることがないままだ――と自分に言い聞かせる。澤井さんの告白にきちんとした答えを出す為には、ここで一緒に帰宅しなければ。俺はどぎまぎしながら「いいよ」と答えた。 「良かった。嬉しい。今日、奥山くんと話せてなかったから」 「クラスが違うと話をする機会、あんまりないよねえ」 「うん。これからも時々誘っていい?」  緊張感で胸がはちきれそうになりながら、澤井さんと一緒に階段を下りる。  隣からほんのり匂ってくる制汗スプレーの爽やかな香りが、女の子と歩いていることを意識させる。俺は自分の匂いが気になった。今日は体育があったし、汗臭くないだろうか。少し距離を取りながら、隣り合って昇降口に入る。  ゴロゴロと一際大きい雷の音が鳴ったのはその直後だった。  落ちてはいないが、音の大きさからして大分近い距離まで迫っている。「雷、近いね」不安そうな表情を浮かべながら、昇降口の向こう側を見詰める澤井さんに、「そうだね。澤井さんは歩き?」と、俺は尋ねた。 「ううん。迎えの車があるんだけど」 「そっか。それなら良かった。じゃあ校門まで送るよ」 「でも、危ないし。奥山くんも乗って行こうよ。ね? その方が私も安心出来るし」 「ええ? それは悪いよ」  澤井さんに誘われた俺は困惑した。相手は女の子だ。香月の車に乗せてもらうのとは訳が違う。 「澤井さんは女の子なんだから」 「でも……」  流石に二人で車に乗るのはまずいだろう。そう思った俺が固辞を続けると、「じゃあ、食堂で話でもしない?」と澤井さんが場所を替える提案をしてきた。確かに一緒に帰宅するのに、校門までというのも味気ない。この機会に少しでも澤井さんのことを知ろう。俺は澤井さんと一緒に食堂に向かうことにした。  いつも母が弁当を持たせてくれる俺はあまり立ち寄ることのない食堂だが、生徒たちには有効活用されているようだ。食堂の窓口はもう閉まっていたが、自動販売機が稼働しているからだろう。飲み物を置いて勉強している生徒や、談笑している生徒などがいる。 「私、雷が苦手だから、収まるまで付き合ってくれると嬉しい」 「うん、いいよ。俺もあんまり好きじゃないんだよね、雷」  食堂の片隅に陣取った澤井さんに続いて席に着いた俺は、先程一緒に自動販売機で購入した缶ジュースを片手に色々な話をした。  同じクラスだったときの思い出話に、家族のこと。今の友達関係や、進路について……どうも澤井さんには歳の離れた弟がいるらしく、男子と話をするのが苦ではないらしい。あまり話が上手くない俺の話をうんうんと聞いてくれる澤井さんに、俺がつまらなくないかと尋ねると、「ううん。全然」と笑顔で首を横に振った。 「弟と比べるのは失礼なんだけど、弟はまだ小学生でしょ。まだ突飛のないことを言い出すことも多くて。この間なんて、雲の中に雨の工場があるって言うのよ。理科でもう習ってない? って思うんだけど、弟は大真面目なの。毎日そういった話に付き合ってるから、学園で皆と話すのが凄く楽しくて」 「可愛いね、弟さん」 「偶になら可愛いこと言うなあ、なんだけどね」  それでも弟が可愛いのだろう。にこにこと微笑んでいる澤井さんを見ていると、こちらも幸せな気分になる。 「雷、大分遠くなったね」 「うん。帰るなら今だよ」  一時間半ほど話を続けたところで食堂を出る。  今日は午後は大気が不安定で、夜半まで雷予報が出ている。タイミングを逃して雷が激しい中の帰宅になってしまのだけは、澤井さんの為にも避けなければならない。俺は校門近くに停まっている澤井さんの車まで彼女を送った。「また明日ね」そう挨拶をして帰途に就く。  家に帰ると亘代はまだ帰宅していなかった。  矢張り、香月と話をしているのだろうか。心配になりながら鞄を部屋に置き、お弁当箱を洗いにキッチンに下りる。雷がまた激しくならない内に帰って来られればいいんのだが――、と考えながら洗い終えたお弁当箱を食器棚に仕舞ったところで、「ただいまぁ」と、玄関から明るい亘代の声が響いてきた。 「お帰り。濡れなかったか」 「うん。香月先輩に送ってもらった」  案の定な返答の割には元気な声に、「その……大丈夫、なのか。亘代」と俺が尋ねると、「何が?」と、亘代が首を傾げた。 「いや、香月と何を話したのかなー……なんて」 「やだぁ、お兄ちゃん。気になる?」  へへ。と、笑いながら俺に肩を寄せてくる亘代に、俺は大いに動揺した。これではまるで俺が嫉妬しているみたいではないか。 「ち、違うってば。俺はお前が落ち込んでいるんじゃないかと心配して」 「ないない。もうない」  とたたたと階段を上り始めた亘代がその途中で俺を振り返った。全てを吹っ切った爽やかな笑顔。昨日の今日なだけに無理をしているのではないかと、俺としては不安に感じるところではあるが、「なあに、その表情」と、亘代は意に介する様子がない。 「いや、本当に大丈夫なのか、亘代」 「うん。元々付き合えるとは思ってないし」 「だけど」 「お兄ちゃんが香月先輩の意中の人だっていうのは驚いたし、ショックだったけど、でもあたしがこれからも香月先輩を好きなことに変わりはないよ。だから安心して、お兄ちゃん。好きな人の幸せはあたしの幸せ、だからね!」  我が妹ながらの逞しさに、俺は安心すると同時に感心してしまった。  今まで数多くの失恋を経験している亘代は、全くそういった経験のない俺と比べて、失恋という出来事に耐性があるのだろう。きっぱりと香月の幸せを願う言葉を吐くと、そのまま階段を上ってゆく。俺はリビングに入ってテレビを点けた。少しして部屋着に着替えた亘代が姿を現す。 「てか、お兄ちゃん。香月先輩以外にも告白された人がいるの?」 「ええ? 香月、そんなことまでお前に話したのか」  開口一番の亘代の台詞に、俺の心臓の鼓動が早まった。うふふと笑いながら俺の隣に座った亘代が「モテ期だね」と、俺の顔を覗き込んでくる。 「モテ期、なのかなあ」 「モテ期だよぉ。お兄ちゃんのそういう話、これまで聞かなかったもん。てか、どうするの? お兄ちゃん優柔不断だから、あたしはそっちの方が心配。流されてどっちとも関係を持つような真似だけはしないでね」 「ないない。それは流石にどっちに対しても失礼だよ」 「どうだかぁ」亘代の肘が俺の脇腹を小突く。「返事を待たせるなんて、この色男ぉ」 「で、でも、良く知らないのに付き合うって決められないだろ」 「お兄ちゃん、そういうところ真面目なんだね。香月先輩、心配そうだったよ。奥山は優しいから断ることが出来ないんじゃないかって」 「いや、うん。まあ、そこは勇気を出して頑張ります……」  というか、亘代は香月からどこまで話を聞いたのだろう。俺よりも帰宅が遅かったということは、結構な時間を香月と話していたということだ。気になるなあ。俺はそろりと亘代の横顔を窺った。けれども亘代はもう自分の中で気持ちの整理を付けたあとなようだ。「ねえ、お兄ちゃん。あのケーキ美味しそう」テレビを指差すと、無邪気な声を上げた。

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