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番外編 香月一生の内心
物心ついたときから他人の心を読めるのが当たり前だった一生は、それが原因で他人の悪意に敏感だった。
天は二物を与えずとはよく言ったものだが、香月一生に関してはその例 には該当しない。『神が持てる限りの愛情を注いで作り上げた作品』と呼んでも差し支えないほどに、才能や能力、容姿に境遇と、凡そ人が考え得る全ての個人を評価する要素に恵まれた人間。一生は幸いにして鷹揚な性格の持ち主であったが、だからこそ、自身が無縁である人間の醜い感情を、他人から自分に向けられる僻 みや嫉 みや妬 みで知ることとなった。
尤も、それらを一生が知ったのは、自身の能力――精神感応能力 によってだ。
そもそも、一生は『やっていない商売は闇商売だけ』と謳われる芙蓉グループの御曹司だ。様々な業界に根を張る芙蓉グループの影響力は大きく、正面切って対立しようものならその報復の度合いは計り知れない。そういった意味で、一生が関わってきた人間は身の程をきちんと弁えられる賢い者たちだったのだろう。表面上は波風経つことなく一生の世界は動いていた。
それでも触れれば本音が見える。
仰々しく遇される自分という存在に一生が甘えなかったのは、だからだった。人間には建前と本音がある。二つの心を見ることが出来る一生は、人間という生き物が根本的な信用に足らないものであることを、幼くして悟ってしまっていたからこそ、努力を放棄しない人間に育った。少しでも気を抜けば、彼らは内心で一生を扱き下ろす。他人の心の醜さを思い知ってしまった一生は、その悪意に満ちた声を聞きたくがない為に、自分を磨くことで対抗しようとしたのだ。
そんな一生には例外があった。自らに無償の愛を注いでくれる両親と、自らに忠誠を惜しまない瀧居家修司だ。
幼少期から一生の傍に居る瀧居家は、一生からすれば不思議な人間であった。当時から厳格さの片鱗を窺わせていた瀧居家だが、一生に対しては献身的で、一生がしたいことを先回りして準備してみせるような聡い子どもでもあった。自らの能力に無自覚だった在りし日の一生は、そういった瀧居家の聡さに甘えてつい心の声に返事をしてしまうことも多かったのだが、瀧居家はそれを気味悪く感じつつも、一生から離れようとは思わなかったようだ。きっと勘がいいだけだとも思っていたのだろう。怖がりつつも凄いと一生を褒めてくる瀧居家の内心に曇ったものは何もなく、だからこそ、一生は瀧居家の純真な自らへの献身をただただ有難いものと受け止めた。
そういった幼少期を経て、少年期へと。
徐々に広がりをみせる世界の中で、一生は瀧居家以外にも表裏のない人間が存在していることを知った。聡い瀧居家は一生の周りのそういった人間で固め、一生が悪意に利用されることを防いでくれた。勿論、一生のお目付け役を標榜する瀧居家のすることだ。それなりの家柄の者を選び抜いた瀧居家に、一生は自分を守る為には当然のことと思いつつも、自身を取り巻く世間という環境が、それによってより過酷になってしまったことに気付かずにいられなかった。
耳に入ってくる自身に纏わる悪意ある噂話の数々。一生を僻み嫉み妬む者たちは、自分たちが選ばれない側の人間であるからこそ、些細な部分をあげつらって針小棒大な噂を作り上げた。所詮は実家の威光を笠に着るだけの人間だの、自分の才能に驕り高ぶっているだの、だからこそ一般庶民を傍に寄せ付けないのだなど……彼らの悪意と自分が無縁になれる日が来ないことを納得するようになった一生は、だからこそ、自らの興味関心が向いた人間を友達にしたいというほんの僅かな欲求を抑え切れなくなっていった。
奥山民生を一生が選んだのは、彼の内心が一生にとって単純に『面白かった』からだ。
それはこれまで一生が触れたことのない意識の流れだった。家柄に優れた一生の友人たちは、自身の育った環境以外の世界をメディアでしか知らない。だからこそ、自身を囲う環境を当たり前のものとして生きていたし、そこに疑いを挟むような真似はしなかった。だが、奥山民生は違った。臆病風を吹かせつつも、冷静に自分を見詰めている。繰り返される自問自答は、奥山民生が世の中に多様な価値観が存在していることを認めているからだ。
だからこそ、奥山民生は自分の立ち位置を自身に見合った場所に落とし込もうとする――そう、モブという第三者に。
それに気付いた瞬間の自身の感情の高ぶりを、一生はどう説明すればいいかわからない。例えるのであれば、それはとてつもないダイヤの原石を見付けたような興奮であった。
――もっと彼を知りたい。
奥山民生をただ『面白い』と思っていたところから一歩先に進んだ一生は、それ以降、ラジオを聴くような感覚で奥山民生の意識を読むようになった。
感情に流されていなければ、理性だけに支配されている訳でもない。フラットな奥山民生の思考は、ときに一生に気付きを与えた。普通の人間の常識、普通の人間のモラル、普通の人間の思考レベル……普通の人間との関りを断って生きてきた一生にとって、普通の人間である奥山民生は底が見えないびっくり箱だ。次から次へと一生たちにはない思考が飛び出してくる。
一生は奥山民生の意識に触れるのが楽しみになった。
隙を見付けては彼に触れ、その思考を読む。僻みも妬みも嫉みもない思考。奥山民生にあるのは、自分と世界をありのまま受け止めようとする柔軟な意志だけだ。それに気付いた一生はまた興奮した。どこまで彼は私を驚かせてくれるのだろう。自身の好奇心の向き先がただの興味関心の枠を超えてしまっていることに一生はうっすらと気付いていたが、ここまで読んでしまったものを今更止められる筈もない。一生は折を見ては奥山民生に触れ続けた。そして彼の心地よい意識の流れに身を任せた。
不穏な噂が立つようになったのはその頃だった。
香月一生は奥山民生を囲おうとしている。
勿論、友達としてではない。恋愛感情を含む関係としてだ。
その噂を一笑に付した瀧居家に対して、一生は蟠るものを感じずにいられなかった。相手にしないのが一番であるとわかっていながらも、自身の胸に刺さるものがあるのを感じずにいられない。その違和感の理由を一生が知ったのはもう少し後になってからだ。
――私にとって奥山は興味深いだけではなく、可愛いのだ。
一生にとって、一歩扱い方を間違えば手の内から逃げていってしまう奥山民生は小動物のようなものだ。例えるのであれば、ふるふると耳を垂らして震えている子兎のよう。だから一生は奥山民生と親しくなる為の手間を惜しまなかった。それは、手間をかけるだけの価値を、一生が奥山民生に見出していたからだ。
それでもこの時点での一生はまだ自身の感情に無自覚だった。
自身の感情が妙な方向に向いていることに一生が明確な自覚を持ったのは、大日向大成が教室に乗り込んできたときだ。大日向に奥山を渡したくない。大日向が自身に対する対抗心で奥山民生に手を伸ばしたことを一生は理解していたが、それでも尚、抑え込むのが難しい感情が湧いて出る。それは紛れもない独占欲だった。思いがけず感じることになった自身の強い感情に途惑い、そして翻弄されることとなった一生は、そこで自身が奥山民生に向けている執着心の度合いが普通ではなくなっていることに気付いた。だから考えた。自分にとって、奥山はどういった存在であるのか。そして思い知った。私のこれは恋だ。
そういった視点を持ったときに、一生は自身の奥山民生に対する意識や執着心が腑に落ちた。だが、それは同時に果てしない不安との戦いの始まりでもあった。いずれ彼を失う日が来るのではないか。過去に一度の失敗を犯している一生は、自分が必要だと感じた人間が、また自分の許から離れてゆくのではないかという恐怖を感じずにいられなかったのだ。
一生はより深く奥山民生を知ろうと考えた。
いや、知ろうとせずにいられなかった。
一生の奥山民生に対する好奇心は留まることを知らなかった。自身が知れることは全て把握したい。奥山民生を知らなかった十六年間の空白を埋めたい衝動に駆られた一生は、その感情に突き動かされるがまま、奥山民生のことを調べた。引っ込み思案で臆病で、出しゃばったことを嫌う奥山民生は、今と同じくクラスの片隅でひっそりとしているような少年であったようだが、それを知っても一生は幻滅しなかった。むしろ好意が増した。何を知っても、一生には奥山民生が可愛くて可愛くて、そして愛おしくて仕方がない。
一生は時間をかけることにした。
ビジネスの成功には気の遠くなるほどの下準備の時間がある。それと同じだ。絶対に欲しいものを手に入れる為に必要なことを、将来的に芙蓉グループを背負って立つ一生は理解していた。
何といっても、まだ付き合いを始めてから二か月しか経っていないのだ。昼食をともにしているといっても、それは奥山民生の友人たちが教室で昼食を取らないからでもある。放課後にしてもそうだ。奥山民生の友達は部活動に精を出している。そういった意味で、奥山民生と香月一生はお互いの空いた時間をともにするだけの仲でしかなかった。
何よりここで迂闊に気持ちを伝えてしまった結果、折角積み上げてきた関係が壊れてしまったら。過去に友人関係で傷を負っている一生にとって、奥山民生と友達ですらいられなくなるのは耐え難いことであった。
だから一生は時間をかけて奥山民生との関係を深めてゆくことにした。先ずきちんと友達の地位を確立し、その上で奥山民生の中に自分への好意を根付かせる。一生の野望は遠大だった。
だのに世の中は上手く回らないように出来ている。
まさかの恋の季節の到来。
澤井貴代美の告白に、一生は妙な納得感を覚えていた。この自分でさえも魅力的に感じる人物であるのだ。昔より奥山民生を知っている人間がどうして奥山民生の魅力に気付いていないなどということかあろうか。
とはいえ、他人に奥山民生を取られるのは、一生には耐え難いことだ。何せ、他人の心が読める一生には、自身が世界で一番奥山民生の内面を知っているという自負がある。勿論、こういった能力が他人にはないものであることを一生は承知していたし、奥山民生の性格からして、恋人が出来たからといって友達関係をおざなりにするようなことはないと信じてはいたが、それでも、恋人という立場が友達という特権階級を脅かすものであるのは知っていた。というより、本能的な危機感がその可能性を示唆して止まなかった。
――私は私と奥山の間に、恋人という存在が割って入ってくることを許せない。
奥山民生への気持ちを諦めて、友達の地位に甘んじるか。全てが壊れるのを覚悟の上で、自分もまた動くか。二択を迫られた一生は自分もまた行動を起こすことを『選択』した。澤井貴代美の告白を例え奥山民生が断ったとしても、将来的に同じ事態が別の人間で起こる可能性は残される。そのことに一生は気付いてしまったのだ。
ならば、機を見てどうこうなどといった悠長なことはせず、直ぐに動いた方がいい――ビジネスライクに物事を考えることに慣れていた一生は、潮目が変わったことを察したからこそ迷わなかった。動くからには絶対に奥山民生を手に入れる。表面上は取り澄ましている一生の内に秘めたる激情を知る人間は、今のところ当の本人である香月一生以外にはいなかった。
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