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第八章 モブ山モブ生の苦難(2)
「いや、うん、まあ、そういう話……?」
「気の早いことだな」
「だよね。先ずは答えを出す方が先だよね」
俺はこれ幸いと瀧居家に乗っかった。
恐らく瀧居家は、不穏になった香月の様子を悟って助け舟を出してくれたのだ。それが証拠に直ぐに手元の書類に目を戻してゆく。
「その通りだ。気をしっかりと持て。俺も野暮な真似はしたくないからな。四六時中、お前たちの様子を窺ったりはせん。一生に揶揄われるがままでいると、押し切られるぞ」
「忠告してくれてありがとう……気をつけます」
瀧居家なりに俺を心配してくれているようだ。俺はぺこりと瀧居家に頭を下げた。
あれにしてもこれにしても、全ては香月の告白を処理してからである。澤井さんにしてもそうだ。先走ってあれこれ考えたところで、最終的には俺の気持ち次第なのである。浮ついた気持ちで勇み足を踏まない為にも、瀧居家に言われた通りに気をしっかり持たねば。
「というか、お前、澤井はどうしてるんだ」
「え? 三回ぐらいかな? 一緒に帰ったりしたよ」
テスト期間中は流石に学園と家の往復だったが、その前のテスト勉強期間中は、澤井さんの部活動も休みに入ったということで、放課後の食堂で何度か話をした。その後は校門まで一緒に帰るというのが定番になりつつある。
本当は喫茶店などで話をした方がいいのだろうが、俺がどうしても気後れしてしまう為に叶っていない。澤井さんの送迎車に澤井さんと一緒に乗るのに抵抗感が拭えないのだ。
「ふむ。ならば俺としては言うことはないな。お前のことだから、澤井にアクションを起こせないのではないかと思っていたが」
「うん。俺からもちゃんと誘ってるよ。話さないとわからないこと、あるしね」
「知らない相手と付き合うのはギャンブルと一緒だしな」
家が決めた相手と結婚すると言って憚らない瀧居家だけれども、恋愛には一家言あるようだ。そう言って笑う。
全くその通りだ。
俺は俺の手を未だに弄んでいる香月の表情を窺った。いつも通りの穏やかな笑み。二か月半の付き合いになった香月は、噂に聞いていた香月評を大きく逸脱することは殆どない。きっと大らかに育てられたのだろう。いつ話をしても穏やかで、滅多に表情を崩すこともなく、俺を口説くのにしても余裕めいた態度を維持している。
そういった意味で、俺はもう香月を『知って』いるのかも知れない。
そうなるとあとは澤井さんなのだが、これが難しい。クラスが違う上に部活動に積極的な澤井さんとは、交流の機会があまりなく、テスト期間が終わったこれからは、またいつも通りになってしまう可能性が高かった。だから、夏休みの間に何度か一緒に出掛けたりして交流を持ちたいところなのだが、これまで女子生徒と友達付き合いをしてこなかった俺には何処に行って何をすればいいのかがさっぱり思い付かない。まさかお茶だけして解散という訳にもいかないだろうし、かといって遊園地だ映画だとなるとデートと何が違うんだとなってしまう。
うーん。友達の距離感で出掛けるのに丁度いいスポットって何処なんだ。いっそ宿題でも一緒にやるか。図書館だったら変な噂も立たないだろうし。
などと考えた瞬間だった。
香月がふふと笑った。
俺の考えを読み続けているようだ。というより、それが目的なのかも知れない。ラジオを聴いているようだと俺の心の声を評した香月は、隙を見ては大胆に俺に触れてくるようになっている。今にしてもそうだ。するりと俺の指に絡んできた香月の指に、俺はまだ不慣れなまま。火照る頬の熱を収めきれない。
「……瀧居家は恋愛には寛大だよね。香月のこととかもそうだし」
だから俺は瀧居家との会話に逃げ込んだ。
香月が付き合いを持つ相手を厳格に選別している瀧居家だ。香月が好きになる相手に対しても何らかのアクションを起こすと考えるのが普通だろう。だが、実際は違った。普段の杓子定規的な対応からは想像も付かないほど、瀧居家は香月が俺に好意を表現するのを好きにさせている。
それが俺には不思議でならなかったのだが、瀧居家には瀧居家なりの考えがあるようだ。ぺらりと書類を捲ると、面を上げることなく口を開く。
「俺には良くわからんものでもあるからな。わからんからと言って否定してしまうのは、自分の無知を認めないのと一緒だろう」
「確かに、そうだね。無知に対して無自覚なのは駄目だって、俺の父さんも言うし……」
「その通りだ。お前の御尊父はしっかりしているな」また瀧居家がぺらりと書類を捲る。「それに、だ。今の世の中はガバナンスだコンプライアンスだサステナビリティだインクルーシブだと煩いだろう。勿論、それらをお題目のように唱えている企業や経営者も少なくないが、それではいずれ時代に取り残されるだけだぞ。何せ、俺たちの受けている教育が教育だ。下の世代が変わってきている以上、今は理念でしかないこれらの思想が世の中のスタンダードになる日は間違いなく来る。だからだな」
俺が思っている以上に、瀧居家は同性間の恋愛問題を深く考えているようだ。書類を読みながらすらすらと自論を述べてみせると、「ビジネスにおいて柔軟性は必要不可欠だ。どうしても譲れないものなど、片手で数えられるぐらいが丁度いい」と話を締めた。
それは逆に言えば、いい加減な対応は許さないということでもある。
俺はその方が怖かった。
俺が香月に対してどういった結論を出そうが、瀧居家は許してくれるだろう。但し、それは俺が真面目に考えた結論であるという前提に基づいてだ。流されてどうこうなどという話になれば、流石に思うところが出るに違いない。厳しい滝家の言葉に晒されるのだけは避けなければ。
とはいえ、澤井さんもいる以上、一学期中に答えを出すというのは無理だ。矢張り、夏休み中に澤井さんと交流を持たねば。俺は二学期中にはなんとか答えを出すべく、澤井さんとの今後の交流について考え始めた――……。
車が停まったのはその五分後くらいだ。
山口の家の近くに着いたようだ。「住所でいえばこの辺りのようだね」窓の外を窺った香月が俺を向く。「山口に出てくるよう連絡をしてくれないかい?」俺は香月に促されるがまま、山口と繋がっているSNSにDMを送った。待っていたのだろう。レスが返ってくるより先に、山口が近くの家の門から姿を現す。
「おはよう。今日はよろしくね……って、凄いなあ。テレビでしか見たことない世界だ」
運転手さんがドアを開くのにおっかなびっくりした様子で車の中に乗り込んできた山口が、リムジンの中を見て二度驚く。「驚くよね、これ」俺はようやく離れた香月の手に安堵しつつ、山口に笑いかけた。
「うん。実物はテレビよりも凄いね。カウンターまである。あ、これ乗せてもらうお礼。母さんから」
「そんな気を遣わなくともいいものを」
瀧居家の隣に陣取った山口が、手に提げていた紙袋を差し出す。それを受け取った香月が窓の外に視線を向けた。スモークが貼られた窓の向こう側に映る住宅街の中、山口の母親と思しき女性が門前に立っている。
「瀧居家」
「うむ。礼をしてこよう。少し待っていてくれ」
香月の呼びかけに応える形で車を降りた瀧居家が、山口の母親相手に頭を下げている。恐縮した様子の山口の母親に、そりゃこうなるよね。と、俺はしみじみ思った。俺の両親が寝ていて良かった。この車を目にしたら、のんびり屋の俺の両親も流石に家から飛び出してきただろう。
「これはお茶請けにしよう。山口も何か飲むかい。カウンターにあるものは好きに飲んでもいいよ」
瀧居家が戻ってくるのを待って香月が口にする。勧められるがままカウンターを覗き込んだ山口が、はへぇ。と、声を上げた。
「なんか知らない飲み物がいっぱいある」
俺と似たような感想を口にした山口に、瀧居家が笑い声を上げた。「矢張り、友達だな。似たような反応をする」ということらしい。
俺は立ちあがってカウンターの前に中腰で立った。
普通の人間と香月を付き合わせることの重要性に気付いた瀧居家は、素直な気質である山口を香月から遠ざけようとは思わないようだ。偶に教室で俺を含めて話をしていても、煩く言ってくることはない。だからだろう。最初は瀧居家におずおずとしていた山口も、今では普通に口がきけるようになった。
「お茶と紅茶とジュースがあるけど、何にする?」
「モブ山は何を飲んだの?」
「俺たちは紅茶。美味しかったよ。飲み易くて」
「なら、俺もそれで。どんな味がするのかなあ」
「それは飲んでのお楽しみだね」山口の言葉に答えた香月が続ける。「私にもおかわりをくれないかい、奥山。奥山も好きにおかわりをしていいよ。大日向の家まではまだ距離がかなりあるからね」
「うん。ありがとう、香月」
俺は香月から空になったグラスを受け取った。ついでに瀧居家にもおかわりの確認をするが、今は飲み物はいいようだ。「向こうに着くまでに、これを頭に叩き込まなければならんからな」と、書類に視線を落とし続けている。
三人分の飲み物をグラスに注いだ俺は、それぞれグラスを渡した。そして、席に腰を落ち着けて窓の外を見る。流れゆく景色が一度も通ったことのない道を走っているのを伝えてくる。
いよいよ大日向の家に向かうのだ。
大日向に訊いたところでは、最終的に四十人以上が参加を決めたらしいのだが、勿論、そんな規模のバーベキューなど初めての経験である。香月たちがいるとはいえ、圧倒的なアウェー感は否めない。緊張するなあ。俺はこくこくと紅茶を飲みながら、迫りくるバーベキューとそこに参加している同級生たちとの交流に向けて気合を入れた。
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