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第八章 モブ山モブ生の苦難(3)
「おお、来たな!」
バーベキューの会場となっている大日向家の庭に入ると、陽気な大日向の声が響いてきた。
いや、これは庭と呼んでいいのか? 俺は周囲をぐるりと見渡した。
少なく見積もっても外周1kmはあるだろう小さな湖を囲うように生い茂る木々。湖の周りには遊歩道が設えられ、点々と東屋が建っている。その一角に設えられたバーベキュー会場には、ずらりとバーベキューグリルが並び、早くも到着している他の生徒たちが賑やかな声を上げながら、肉だの野菜だのを焼いている。
「す、凄いね。これ……」
俺は香月たちとともに大日向の前に立った。
「そうだろう、そうだろう」
居並ぶバーベキューグリルの奥にある白いテントの中で、大日向家の使用人さんと思しき人たちが忙しく立ち回る中、白いシャツにジーンズといったシンプルないでたちでともに食材を切っていた大日向がわははと笑い声を上げた。
噴水に花壇のみならず、花のアーチまで並んでいた前庭の広さにも圧倒されたが、その比ではない。先の見えない木立は森のようである。ジョギングが出来ると笑っていた大日向だったが、その言葉は誇張ではなかったのだ。富豪の日常を目の当たりにした俺は、その桁違いの財力に目を白黒させるばかりだ。
「ところで何だ、お前らのそれは」
「差し入れだよ」
香月と瀧居家がそれぞれ肩に提げていたクーラーボックスを大日向の足元に置く。何だろう? 俺はクーラーボックスを覗き込んだ。何だと言いながら身を屈めた大日向が蓋を開けば、中には大量のアイスクリームが詰まっている。
ピエール・マルコリーニだ。
模様も何もないカップにブランド名が彫り込まれただけのパッケージング。だが、そのシンプルさが却って高級さを醸し出している。
「本当は海鮮を持ってきたかったのだがね、この時期だろう。食べた人間に何かあってはまずいからね。だからデザートにしたのだけれど」
「余計な気を遣うなと言うのに」
「今日はその分楽しませてもらうからね。その挨拶代わりだと思ってくれないか」
「まあいい」立ち上がった大日向が、背後の使用人さんを振り返る。「おい、これを適当な頃合いを見て出してくれ。アイスクリームだ」
恭しく頭を下げて大日向家の足元からクーラーボックスを持ち上げた使用人さんが、奥にあるそこそこの大きさの冷蔵庫に中身を収めてゆく。バッテリーで駆動させているようだ。低く響いてくるモーター音。どう見ても、ちょっとバーベキューを、などという設備ではない。
「帰るときに言え。クーラーボックスを返す」
「ああ、わかったよ」
相変わらず香月相手だと刺々しくなる大日向だが、他の生徒の手前、やり合ったりはしないようだ。香月も大日向とぶつかるつもりはないのだろう。俺と山口を振り向くと、「奥山、山口、行こうか」と、促してくる。
「肉を持っていけ。このど阿呆」
呆れ果てた大日向の声が背後から突き刺さる。俺は頭を掻きながら、山口と一緒にテント内のテーブルの前に立った。山と並んでいる肉と野菜が乗ったアルミ皿を取り上げる。「香月は?」振り返って香月に尋ねると、「俺がやるから大丈夫だ」と、俺の隣に並んだ瀧居家が二人分のアルミ皿を手に取った。
「へへ。凄いね。キャンプ場に来たみたいだよ」
「広いとは聞いてたけど、ここまでとは思わなかったよ」
俺は山口と会話しながらバーベキューグリルのある場所に向かった。後ろから香月と瀧居家がついてくる。
今のところグリルを囲んでいるのは十数名ほどだ。居並ぶ顔を見てみれば、いつも大日向と一緒にいるメンバーが大半である。ということは、残りの生徒たちはその連れになるのだろう。どうやら水無瀬川はまだ到着していないようで、俺が交流のある生徒は一人もいない。
ううん。どうやって知り合いを増やして帰ろう。
悩んだ俺は彼らの近くの空いているバーベキューグリルのところに陣取った。知らない人間に気安く話しかけるのは、人との交流に慣れていない陰キャにはハードルが高い。何かの弾みで会話が始まるといいななどと思いながら、山口と肩を並べて肉を焼き始める。
「俺、お腹もうぺこぺこ。朝食抜いてきたんだよね」
俺とは異なり、食べる気満々で来たようだ。山口がアルミ皿の中身を一度にバーベキューグリルにぶちまける。俺は山口の大胆さに驚きながら、自分は少しずつ肉だの野菜だのを焼いていった。
大日向の仲間の中には香月と交流のある生徒もいるようだ。早くも何人かの生徒に囲まれている。彼らは香月がバーベキューに参加するとは思っていなかったらしく、「来るとは思わなかったよ」と、驚きに満ちた言葉を発している。
「おおい、山口! 山口じゃないか!」
隣のバーベキューグリルを囲んでいる一団の奥から山口を呼ぶ声がしたのは、山口が紙皿に焼いた肉と野菜をてんこ盛りにした瞬間だった。「田所、来てたの?」ぱあっと顔を明るくした山口が、「モブ山も行こうよ」と、俺の袖を引く。俺は慌てて焼いている肉だの野菜だのを紙皿に盛った。アルミ皿にはまだ半分ほど食材が残っているので、両手に皿を持って隣のバーベキューグリルに移動する。
「去年、同じクラスだった田所だよ」
「噂のモブ山だ! 実物と話が出来るなんて嬉しいね」
山口の紹介に明るい声を上げた田所に、俺は「初めまして」と軽く会釈した。同時に周囲の生徒からも「よく来たな!」「今日は食ってけよ!」などと声が上がる。
えーと、こういうときは笑えばいいんだよな。いつぞや水無瀬川に褒められたことを思い出して、俺はにっこりと微笑んだ。少し口元がぎこちなくなったような気がするが、仕方ない。俺は突発的な出来事に弱い陰キャである。かなり手足が緊張で強張っているが、それにしては良くやった方だと思う。
「てか、山口とモブ山はどうやってここまで来たんだ?」
「香月の車に乗せてもらったよ」
「へええ。あの香月の! いいなあ。モブ山効果だ」
鼻筋の上に少し残るそばかすと、純朴そうな面差しが印象的な少年――田所が山口の返答に素直な声を上げる。
俺にとっては身近な存在である香月は、交流のない生徒からは『あの』と定冠詞を付けて呼ばれるような存在だ。そう、学園の高嶺の花。俺も今年の四月まではそちら側の人間だった。それだけに、田所の驚きがかなり理解が出来る。
「凄いね、リムジンって。ドリンクカウンターまであってさ」
「リムジンかあ。流石だなあ」
田所を筆頭に、おお。と、声を上げた一団に、「皆は何で来たの?」山口が無邪気に尋ねる。その返事から察するに、大日向邸は駅からバスで三十分ほどかかる高台にあるのだそうだ。成程。俺は納得した。それでは香月が車に乗って行けと言う筈である。
「俺たちだけだったら辿り着けたかわからないね」
それを聞いた山口が笑う。
「本当だよね。初めての場所だし、送ってもらって正解だったかも」
俺と山口は暫く田所たちと話をしながら、肉だの野菜だのを食べた。
流石の食べ盛りだけあって、凄まじい勢いで肉が減っていく。この調子で全員が揃うまで食材がもつのだろうか。俺が冷や冷やしている間にも生徒の数は増えてゆく。
一時間もすると、昼どきになったからだろう。バーベキューグリルの周りは集まった生徒で埋め尽くされていた。
それをわははと笑いながら歓待する大日向。食材の仕込みが終わったようで、ドリンクを片手にあちこちの輪に顔を覗かせている。
「おお、俺様の友達とも仲良くなったようだな!」
その大日向がようやく俺たちの輪にやってきた。時刻は十二時半。俺がここに来てから一時間ちょっとが経過している。
「うん。皆、いい人だね」
俺は隣に立った大日向を見上げた。
俺が想像していた以上に、大日向の友達は陽気で明るく、細かいことを気にしない気風だ。しかも頭の回転が速いのか、人の言葉を引き出すのに長けている。だからだろう。はにかみ屋の山口や引っ込み思案の俺でも、楽しく輪の中にいることが出来た。
「そうだろう、そうだろう」俺の背中をぽんぽんと叩いた大日向が周囲を見渡す。「こういう奴だぞ、モブ山は。お前ら、泣かせるなよ」
どっと座が笑いに包まれる。
大日向の放つ圧倒的な陽のオーラは、こういった人間を引き寄せるのだ。弾けんばかりの笑顔を浮かべてバーベキューを楽しんでいる一同に、俺は来て良かったと思った。とはいえ、俺は元来大人しい人間であるので、毎日がこれだと疲れてしまうかな。と、いう気持ちも無きにしも非ずだ。こういった思い切り楽しむことを前提にした場だからこそ、安心していられるというのはある。
「そういや、大日向。水無瀬川は来た?」
「うん? さっき来たぞ。ほら」
大日向が指差す先を見れば、二つ隣のバーベキューグリルの近く、香月の隣に陣取っている水無瀬川の姿が目に入る。
「相変わらずあいつは、香月を前にするとおかしいな」
遠目に見ても目にハートマークが浮かんでいるように映る水無瀬川のデレデレな表情に、大日向が呆れたような声を発する。「お前、あれと一緒に昼食を取っているようだが、大丈夫か?」俺の顔を覗き込んで問いかけてくる大日向の大真面目な表情が滑稽だ。
「大丈夫だよ」俺はこくりと頷いた。「オンステージになることも多いけど、そういうのを見ているのも楽しいし」
「オンステージとは何だ」
「うーん。香月へのアプローチ?」
「……大変だな、お前も」
誰彼構わず友達にして歩いている大日向だが、水無瀬川のようなある意味掴みどころのない人間は苦手なのだろう。しみじみ呟くと、手にしているペットボトルの中身を飲み干す。
「水無瀬川は香月のことが好きなの? クラスに来るといつもあんな感じだけど」
不思議なものを見るような表情で香月と水無瀬川を眺めていた山口が、俺を振り返って口にする。
「あれで恋じゃなかったら、俺はそっちの方が怖いぞ」
どうやら水無瀬川の恋心は同級生たちには筒抜けであるようだ。大日向の言葉にその場に居た全員が深く頷く。
だが、俺は返答に困ってしまった。
きっとあっけらかんとした水無瀬川のことだ。誰かに訊かれれば、あっさりと香月への恋心を認めるに違いない。ついでに「だから香月を取らないでね」と、相手を牽制するぐらいのことはする。それが俺の良く知る水無瀬川遥という少年だ。
それでも、である。
だからといって俺が水無瀬川の恋心を暴露していいものか。俺が悩ましさに眉を歪めていると、「愛人志望だよね?」さらりと田所が言った。
「し、知ってるの?」
「あの二人と同じクラスだったことあるけれど、香月は毎日良く相手出来るなって思ってたよ」
心の底から香月に同情しているような田所の表情を目の前に、俺は笑っていいのか呆れればいいのかわからなくなった。
俺のクラスでも、周囲の視線を憚らず、積極果敢に香月にアプローチを続けている水無瀬川である。それは同じクラスならば尚更だろうに。その様子が想像付くだけに、俺としてはどう反応したものか悩ましい。
いや、傍で見ている分には本当に面白いのだ。よくぞあそこまで自分を売り込む言葉が次から次へと出てくるものだと感心するぐらいに。だが、幾らそれを香月が受け流す術に長けているとはいえ、香月の意中の相手は俺である訳で――。
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