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第八章 モブ山モブ生の苦難(5)
ど、どどどどどどどどうしよう。続く沈黙に、俺は完全にテンパってしまった。
鳩が豆鉄砲を食らったどころの騒ぎではない。インターネットで偶に見かける目の丸いキャラクターがこっちを向いているAA 、それそのものの顔がずらりと並んでいる。彼らのその表情からは、香月と俺の関係を弄って遊んでいただけで、本気でそう思っていた訳ではなかったのが窺えた。だよな。そうだよな。香月と俺では月と鼈 どころか、月とカマドウマだもの。
「矢張り、奥山は面白いね」
腕を解く気配のない香月は、しっかり俺の考えを読んでいるようだ。他人に聴こえぬようひっそりと、俺にだけ聞こえる声で云い切ると、花でも愛でているような表情を浮かべてふふと笑った。
「い、いや、香月? 笑っている場合じゃないよ」
「うん? 奥山は不満かい?」
「いや、その、この空気をどうするのかな、って……」
と、いうか、大日向が折角丸く話を収めようとしてくれていたのに、何故香月はこんな公明正大に、自分が俺に恋をしていることを言い切ってしまったのだ。イミガワカラナイ。わからないけれども、どうにかしないことには、この凍った空気は元に戻らなさそうである。
「あ、あの、その、皆様……」
とにかく何か言わなければ。焦った俺が口を開いた瞬間だった。
「モブ山ぁ……」
水無瀬川の鼻にかかった声が響き渡った。
俺は更に焦った。忘れていた訳ではない。むしろ気掛かりで仕方がない存在だ。折れてしまわなければいいのだが。それはこれまでのアプローチを間近で見てきたからこその感想だった。日頃、勝気な人間こそ、打たれ弱いとも聞く。本当にどうしよう。水無瀬川という最も恐れていた存在の出現に、俺の背中を冷や汗が伝う。
「――そういうことはちゃんと言ってよね」
ぐるりと俺の前に回り込んできた水無瀬川が口唇を尖らせる。不貞腐れているようにも映る顔。無理もないと思っていると、水無瀬川は意外にも、「前に言ったよね」と言いながら、俺の頬を指でちょんちょんと突いてくる。
「俺は寛大だから、一生に他の愛人がいても構わないよ」
「え? あれ本気で言ってたの?」
俺は驚いた。
愛人志願にせよ、他の恋人の存在を認める発言にせよ、俺は香月を落としたい水無瀬川なりの懐柔策だと思っていた。だが、水無瀬川自身はそうではなかったようだ。俺が呆気に取られるほど、にっこりと笑ってみせると言い切る。
「当たり前でしょ。男に二言はないの。だけどそれはお互いの存在を知っているからこその話。知らなかったら許すも何もないでしょ」
強い。
俺は水無瀬川の水に濡れたように黒々とした瞳を見詰めた。強い光を放つその目からは、嘘や偽りは感じられない。
いつもなら水無瀬川の不屈のバイタリティに呆れるところであるが、今水無瀬川がが置かれている立場が立場である。何せこれだけの人間が顔を揃えている場で、当の本人である香月から、自身への猛烈なアプローチを否定されているのである。だのにこの強心臓。水無瀬川は本当に強い。そして逞しい。
「だからちゃんと考えなよね、モブ山。事の次第如何では共闘するよ、俺」
「あ、ありがとう。水無瀬川は強いね」
「当たり前でしょ。この程度で怖気づくような貧弱な精神で、どうして一生の隣に立てるのさ」
鈴が転がるような笑い声。愛くるしく澄んだ声で笑った水無瀬川に、場の空気が和らいだ。
潮が打ち寄せるようにゆっくりと、ざわめきが戻ってくる。俺を抱き締めている香月の腕は剥がれることはなかったけれども、水無瀬川が寛大に俺を許したからだろう。その程度のこと、といった空気が漂っている。
それで機を見たようだ。黙って成り行きを見守っていた香月が口を開く。
「そういうことだから、温かく見守ってくれると嬉しいよ。私が振られたら……そうだね、また大日向にパーティでも開いてもらおうか。ここで星空を見ながらキャンプをするのも楽しそうだ」
その提案を放置しておく大日向の仲間ではない。「キャンプか! いいな!」佐野原が口火を切ったのを契機に、口々にキャンプをどう過ごすかの案が飛び出してくる。湖があるのだから釣りをしようだの、このバーベキュー会場を使ってキャンプファイヤーをしようだの、朝にはラジオ体操をしようだの……微笑みながらそれを見守る香月に、積極的に彼らに交じって意見を出す水無瀬川。瀧居家だけは渋い表情を崩すことはなかったが、これはもう仕方がない。香月があの場面であの爆弾発言をするなど、誰にも想像がつかなかったことなのだ。
「なあ、大日向。夏休みにキャンプしようぜ」
やりたいことが一通り出尽くしたところで、誰かが言った。
だが、大日向は何事か考え込んでいたようだ。反応が鈍い。うむぅ。と、唸った大日向に、「何だよ。キャンプ好きじゃないのか?」他の誰かが尋ねる。
それでも大日向の反応は鈍い。余程、難しいことを考えているのだろうか。眉根を寄せている大日向に、全員が首を傾げた刹那だった。
「わかったぞ!」
大日向が声を張り上げた。
「俺様という存在は広く人民に分け与えられるものである。違うか、モブ山」
くるりと俺に向き直って尋ねてきた大日向に、首を傾げたくなる思いに囚われる。
何を言っているのか、そして何が言いたいのか、さっぱりわからない。
けれども大日向の圧は凄まじい。そこは流石の鉄鋼王の血筋だ。ただ立っているだけだというのに、有無を言わせない勢いがある。
「そ、そうだね。そう思うよ」
だから俺は取り敢えず大日向の言葉を肯定した。
「そうだろう、そうだろう」気を良くした大日向が続ける。「俺様の魅力は老若男女問わず受け入れられるものだからな」
「うん、まあ、大日向は万人受けするアイドル顔だよね」
「良くわかってるじゃないか! 流石はモブ山だ!」
大丈夫なのか。と、誰かが口にした。
先程は大日向の発言を面白がっていた一団だったが、今度は風向きが違っていた。どうやら突飛なことを言い出した大日向を、逆に心配しているようだ。いや、呆れていると言った方が正しいのかも知れない。全員が微妙な面持ちでいる。
それでも大日向は止まらない。むしろ俺が同意を示してしまったばかりに、調子づいてしまったようだ。「故に、性別の壁に囚われるのは無粋であると言える」と宣うと、ずいと俺の方に身体を進めてきた。
「う、うん。そ、そうかもね……」
とはいえ、人間には持って生まれた性的志向というものがある筈である――とは、俺は言わなかった。大日向を変に刺激するのは避けたかったし、何より、今はそれが常識であっても、将来的にどういった解釈に進むのかは誰にも見通せないのだ。そう、俺たちはまだ高校生だ。研究者に及ぶほどの知見もなければ、未来を予測するだけの知識も持ってはいない。
そうである以上、生活規範 でないとどうして言えたものか。俺が香月からのアプローチに心を揺らがせているように、性的志向は揺らぐものであるかも知れないだろうに。
「モブ山、俺様は男女に等しく愛を注ぐぞ」
「決意表明だね。いいと思うよ」
俺が頷くと、本当に大丈夫なのか。また誰かが言った。
周囲を窺えば、皆、呆れるのを通り越して顔面が崩壊している。それもそうだ。大日向の野望はハーレムの樹立である。即ち、大日向のこの言葉は、そのハーレムに男女問わずに参加させるということである。全員が気が気でないのも無理はない。
「だからだ、モブ山」
だが、大日向は止まらない。がしりと俺の肩を掴むとずずいと顔を近付けてくる。
瞬間、俺を抱き締めている香月の腕に力が籠る。
「お前、俺と付き合え」
ひぇ。
俺が間近に迫った大日向の顔に慌てふためくより先に、香月が俺の身体を横に逃がした。た、助かった。俺はそのまま香月の背後に回った。それが気に入らなかったようだ。「お前のものではないぞ」大日向が香月を睨みつける。
「わかっているよ」
「立場はイーブンだ。それでいいだろう」
「決めるのは奥山だからね」
「その通りだ」
香月の言葉にわははと笑った大日向が、香月の脇からひょいと俺を覗き込んでくる。
「返事は待つぞ。俺は優しいからな。お前が断ったとしても大丈夫だ。安心しろ。俺様の愛は万人に等しく与えられるものだからな。だが、受けてくれるのであれば大事にしてやる。一生不自由はさせないぞ」
ひ、ひぃ。
俺は香月の背中を掴んだ。一難去ってまた一難どころの騒ぎではない。澤井さんのことすらまだ決着が付いていないというのに、香月だけならまだしも大日向までなんて――俺は恐る恐る大日向の肩越しに背後を窺った。全員が世界の終わりが訪れたような顔で宙を仰いでいる。
うう。助けが期待出来ない。
どうすればいいんだ。俺は途方に暮れた。
大日向はいい奴ではあるが、そういう対象に見られるかと問われると、とてもそんな風には見られない。何より希望がハーレムである。その他大勢の中に紛れ込まされてしまっては、存在感のない俺である。あっという間に大日向の意識の外に追いやられてしまうだろう。
言葉に詰まっていると、ふと、頬に影がかかった。ついぞ黙っていられなくなったようだ。俺の横に立った瀧居家が、「安心しろ。どうせ対抗意識だ」と、盛大に面白くなさそうな声で口にした。
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