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第八章 モブ山モブ生の苦難(6)

「色々あったけど、楽しかったね」  帰りのリムジンの中で、山口がしみじみ口にした。 「山口が楽しめたのであれば、良かったよ……」  俺は疲労感に苛まれていた。  大変だったのだ。  衝動的とも取れる告白に口を挟んだ瀧居家に、すわ一触即発かと思いきや、そこは明後日の方向に破天荒な大日向である。しかも大日向にとって、香月の右腕である瀧居家は喉から手が出るほど欲しい人材だ。こうした前提が重なるとどうなるか――。そう、大日向はそれは豪快に瀧居家をハーレムに誘った。瀧居家が脱力して二の句が続かなくなるほど、あっけらかんと。   とはいえ、超が付くほどの堅物として通っている瀧居家である。  大日向の一見冗談にしか思えない本気の思い付きが、瀧居家の逆鱗に触れるのではないかと焦ったのではなかろうか。俺のときは呆気に取られるばかりだった一団は、慌てて大日向を止めにかかった。愛で縛り付けるような真似をせず、きちんと実力を認めてもらった方がなんとかかんとか言って。その、彼らのいじましい努力の結果、大日向は「愛の切れ目が縁の切れ目では困るな」と、瀧居家へのスカウトを撤回したのだが、その後も「お互いを良く知ろう」と、大日向に付き纏われたまくった俺としては、それだったら俺のときも止めてくれと思うより他なく。 「モブ山はちょっと大変だったね」 「ちょっとではない気がするんだけど」 「でもほら、香月は勿論だけど、大日向もいい奴だもの」 「まあ、大日向は悪い人間ではないね」  俺への恋心をオープンにしたからだろう。香月は山口の目を憚ることなく、俺の手を弄んでいる。というか、爆弾発言からこっち、ずうっとどこかしら俺の身体に触れている状態だ。  そんなに俺の思考が面白いのだろうか。俺は香月を見上げた。にこりと俺に向かって微笑みかけてくる香月の整った面差しに、目を奪われる。こんな芸術作品のような顔をした人間に、俺は好意を向けられているのだ。頭がぽわっと逆上せてきた俺は、慌てて首を左右に振った。いかん。このままでは香月に流される。 「うん。面白いし、気のいい奴って感じだよね。もっと強引な感じを予想してたけど、意外だった」  そういった香月にすっかり慣れてしまったのか。それとも単純に目に入っていないのか。意にも介さぬ様子で山口が続ける。 「奴は思考の方向性さえ正しければ、いい指導者になれそうではあるのだがな」  本日の大日向の被害者二号であるところの瀧居家は、文武両道である大日向の実力は認めているようだ。溜息混じりに口にすると、「ある意味馬鹿ではあるが、真っ直ぐな馬鹿ではある」褒めているのかいないのかわからない言葉を続けた。  確かに、『自分が香月のようにモテない→だったら恋愛対象を広げればいい』という発想の転換をしているぐらいだ。大日向がある意味愚直であるのは間違いない。普通であれば、常識が邪魔をしてしまうところだろうに。そういった意味で、大日向は広い視野と広い心を持っている。  しかしそれに巻き込まれてしまった身としては、今後どうするべきかが悩ましい。  俺は宙を見上げた。澤井さんに、香月。そして大日向。どのご家庭も俺の家とは比べ物にならないレベルのお金持ちだ。それが俺にとっては不安要素の一つだった。勿論、恋というのは家の格式でするものではないし、人間性こそが重んじられるべきであるとは思うのだが、通学に車を使うご家庭の子息子女と徒歩でてくてく歩いて行く俺とでは、基本的な常識からして違うのは間違いない。現に香月とて最初は大変だったではないか。そういった些細な違和感が、後々お互いの足を引っ張ることにならないとは言えないだろう。  そうである以上、俺は自分の身の丈に合った相手を選んだ方がいいのではないのか。  そう、モブはモブらしく、である。  香月との噂に対する大日向や大日向の友達の態度からして、俺が未だそういったポジションにあるのは明白だ。意外性が抜けない組み合わせ。そういった俺が果たして香月の隣に立つ資格があるのだろうか。水無瀬川は明瞭(はっき)りと言い切った。貧弱な精神では香月の隣には立てないと。俺は自らの気弱さを払拭することが出来ない。今日だって香月や大日向に守られてばかりだった。  俺はちろりと香月の顔を窺った。こうした考えも全て香月には筒抜けな筈である。だというのに綽然とした態度を崩すことなく座っていられる。香月にとって、他人の心が読めてしまうという現実は、それだけ自身の人間性を鍛えるものであったのだろう。  強く、ならなくては。  俺は居ずまいを正した。  俺が考えているよりも、香月の置かれている環境は過酷だ。何といっても、剥き出しの人の心が読めてしまうのである。俺は自分の思考を振り返って、その貧弱さを恥じた。香月はこんな俺の心を読んだ上で、その中にあった『俺』という人格を認めてくれているのだ。 「奥山は大日向のことはどうするんだい」  不意に耳に飛び込んできた香月の声に、俺は馬鹿正直に答えたものか逡巡した。とはいえ、香月には俺の考えは全て筒抜けなのだ。誤魔化しても意味はない。ようやく香月が俺の心を読めるという現実に慣れてきた俺は、だから悩ましさを素直に吐露することにした。 「うーん。俺としては断りたいところなんだけど……ほら、俺、そこまで器用な性質じゃないから、香月と澤井さんだけで手一杯というか……大日向のことまで考える余裕がないというか……それに、大日向の目的はハーレムだしね。俺がその中に入っても、忘れ去られるだけなんじゃないかって思っちゃう」 「勿体ないなあ。こんなにわかりやすいモテ期もないよ」  揶揄い混じりに山口が言う。 「期待を持たせるのも悪いでしょ。大日向はあの性格だから引き摺らないとは思うけど、かといって、実際、考えられないものを長引かせるのも失礼だし……」 「所詮は一生に対する対抗心だろうしな」  俺が言わずにおいたことを瀧居家がずばりと口にする。  その通りな瀧居家の言葉に、俺は深々と頷いた。そもそも大日向が俺を友達にすると言ったのは、香月が俺に急接近したからである。しかも今回は、香月の衝撃発言のあとの蛮行だ。それで大日向の目論見を察せないほど俺は愚鈍ではない。  確かに大日向は有言実行である。  俺に気遣いを忘れない大日向は、仮に恋人になったとしても、きちんと自分の責任を果たしてくれるだろう。だが、そこに澤井さんや香月のような気持ちが存在しているのかと問われると、俺としては甚だ疑問だと答えずにはいられない。それに、そもそも個人のリソースには限りがある。そうである以上、愛の総量が限られているのは疑うべくもない。だとすると、大日向が一人ひとりに注げる愛の分量には限りがある筈だ。 「まあ、これは俺の我儘なんだけど、やっぱり一対一の付き合いで愛し愛されたいかなって」 「そういうことなら約束するよ。私は奥山だけを大事にすると」  ひぇ。  機を逸らさず俺を口説きにかかってくる香月に、すっかり油断していた俺の頬が染まる。 「あ、あの、香月。でも、もうちょっと、返事は待ってね……」  するりと絡んできた指が、深く俺の手を繋ぎ留めている。恥ずかしいなんてもんじゃない。冷えた香月の手の温もりに、俺の胸が盛大に早鐘を打ち鳴らした。 「ねえ、これってもう付き合ってるって言うんじゃないの?」  のんびりとした口調で疑問を口にした山口が、同意を求めるように隣の瀧居家を振り仰いだ。瞬間、瀧居家が気まずそうに顔を顰める。俺に訊かれてもな――宙を仰いだ瀧居家に、何を考えているのだろう。香月がふふふと笑った。F

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