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第1話(1)
美術館の展示室には、新進気鋭の若手画家たちによる作品が所狭しと並べられていた。
司は腕組みをしたまま、一枚の抽象画の前で足を止める。傍目には熱心に芸術を鑑賞しているように見えるが、長年付き添う攻には分かっていた。頭の中では、猛スピードで電卓が叩かれているのだと。
「この絵が気に入ったのかい?」
「ええ。荒削りですが、光の捉え方が面白い。今は無名で二束三文の価値しかありませんが、僕が然るべき顧客に売り込めば、ゼロが3つは増えるでしょうね」
涼しげな横顔でえげつない利益を口にする。1円にこだわる司らしいビジネスライクな眼差し。攻が苦笑したその時だった。
「弓岡さんじゃありませんか。こんなところでお見かけするなんて奇遇ですな」
でっぷり太った小柄な男が気安く司に声をかける。美術館の中だというのに、その声は天井の高い展示室の隅々まで響き渡った。他の来館者の視線が集中する。
男は、夏の暑さのせいか、多量の汗が皮脂と混じり合い、顔をテカテカと光らせていた。司は、作り笑顔を浮かべているものの、この男を内心では嫌がっているのが攻には分かる。その証拠に口元が引き攣っていた。
攻の記憶だと、名前は確か宝田 だったと思う。司と同じ画商で、良くいえば人懐っこく、悪く言えば図々しいことで有名だった。人脈を駆使して人気作家の絵を集めることに心血を注いでいる。
「こんな若手画家たちの展示会に宝田さんが現れるなんて珍しいですね。何か興味のある絵でもありましたか?」
宝田の真意を確かめようと、司が探りを入れる。
「いやあ、最近大きな買い物をしましてね。あいにく”これ”が無いのですよ」
そう言って、宝田は指で輪っかを作る。その仕草が下品に見えて、攻は眉を顰めた。
まるで、何があったか聞いてくださいと言わんばかりの口調に、司は嫌々そうに付き合ってみた。
「良い絵でも手に入れたのですか?」
「よくぞ聞いてくれました。実は紫峰探雲 の遺作が新たに見つかったのです」
「またですか?」
司の仏頂面がかすかに曇る。紫峰探雲といえば、狩野派の末裔を自称する人気画家で、現代の風景を狩野派のタッチで描くのが特徴だった。1年前に、天寿を全うしたと言える年齢で亡くなっている。
亡くなった直後に遺作が見つかるのは珍しくない。家族や関係者が自宅や倉庫を片付けている時に見つかるケースが少なくないからだ。愛人の家にあったなんて話もよく耳にする。
けれども、紫峰の遺作は司や攻が知っているだけでも、これで7作目。人気作家の遺作にしては多すぎる。晩年は筆を持てないほど衰弱していたというのに。
司は思うところがあったのだろう。急に宝田に頬を寄せると、耳打ちするように話しかけた。
「さぞかし、高かったんでしょうね」
「ええ、ずいぶんと奮発しましたよ。ここにある絵を全部買い占めても、まだ余るくらいにはね」
展示室には若手画家の絵が、ざっと見渡しても50点以上はある。紫峰は没後もなお人気が高いから、それくらいの金額で買っても元が取れるのだろう。
「もし、よろしかったら見せていただけませんか?」
司の問いかけに、宝田はわざとらしく逡巡してみせた後、満面の笑みで快諾してくれた。
「ちょうど良かった。今日、画廊に飾ったばかりなんですよ」
「それでは、美術館が閉館した後にでも……」
「なるべく早くお越しください。売れてしまうかもしれませんからね」
再び大声で高笑いすると、宝田は展示室から去っていった。その背中を見送り、司は分かりやすく肩を落としてため息をつく。攻は気遣わしげに声をかけた。
「本当に行くつもりなのかい?」
「ええ、こんなに遺作が頻出するなんて、明らかにおかしいですから」
司は攻の腕を引き、瞳を潤ませて見上げる。何かおねだりする時の顔。
「もちろん、君を一人では行かせないよ。私のシトロエンで行こう」
来館者たちに気づかれないよう、司は普段の仏頂面からは想像できない、向日葵のような笑顔を向ける。攻は、思わず抱きしめたくなる衝動に駆られて、我慢するのが大変だった。
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