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第1話(4)

 翌日。司と攻は紫峰家の前にいた。門に据え付けられたドアホンを鳴らすと、すぐに脇の木戸から門番らしき男が顔を出した。訝しげに二人を値踏みしてくる。 「先ほどお電話した弓岡です」  司がそう言うと、何も返事をせずに屋敷の中へ入り、やがて門が開いた。シトロエンで前庭まで乗りつける。  閑静な住宅街に建つ屋敷は、司の一軒家と同じくらい、古びてこじんまりとしていた。紫峰が贅沢することに興味を持たなかったのだろう。  なのに、司と攻が応接間に足を踏み入れると、そこは豪華な調度品で溢れ返っていた。出迎えた紫峰の妻と息子も煌びやかな服装をしている。どちらも、遺作を売った金で手に入れたに違いない。攻をただの付き人だと思ったのか、一瞥すらくれなかった。 「弓岡さんがわざわざお出ましになるとは、どういう風の吹き回しですか」  表面上はにこやかだが、警戒しているのが分かる。その証拠にお茶は出されたが、菓子は無い。まるで早く帰れと言わんばかりだ。 「顧客でIT企業のCEOがいるのですが、先生の未発表作を欲しがっておりまして……」  司の言葉を遮るように息子が続ける。 「あいにく父の絵は、宝田さんのような一流の画廊を通すことになっていましてね。あなたのような画廊を持たない風呂敷画商にお譲りするようなものは残っていませんよ」  母親が隣で冷たい笑みを浮かべる。こちらは全部偽物だと知っているのに滑稽なものだ、と攻は笑いを堪えるのが大変だった。口元の緩みを司に気づかれたのだろう。やんわりと足を踏まれる。 「画廊を通せば多額の手数料が引かれますが、ご遺族との直接取引であれば……仮に5千万円の値がついた場合、そっくりそのままお支払いできると思いまして、馳せ参じた次第です」 「ご、5千万円を直接!?」  息子と母親の目の色が分かりやすく変わる。急に手を叩いたかと思うと、すぐに召使いらしき女性が現れて、有名店の和菓子を運んできた。 「どうぞ、召し上がってください。お付きの方もさあ」  勧められるがまま、攻は遠慮なく和菓子に手をつける。司は、苦虫を噛み潰したような顔で一瞥すると話を続けた。 「さすがにもう遺作は無いでしょうから、描きかけや未完成のスケッチでも構いません。もし、よろしければ先生のアトリエを拝見させていただいてもよろしいでしょうか?」  親子が顔を見合わせて逡巡する。アトリエを見られたら困ると言わんばかりに。 「今日はそのCEOから手付金を預かってきております」  司はかばんの中から札束を取り出し、テーブルの上に置いた。途端に親子の目の色が変わる。ここに来る前に銀行へ寄って用意したものだ。母親が積極的にアトリエへ連れていくよう息子を促す。 「……では、案内しましょう。付いてきていただけますか」  アトリエは離れにあった。障子戸を開けるなり、絵の具や油の匂いが鼻腔をくすぐる。主が亡くなってから1年も経つというのに、まるで今しがた開封したばかりの新鮮な匂いだった。  司が息子と話している間、攻は注意深くアトリエを観察した。イーゼルの周りには真新しい絵の具のチューブが散乱し、床には寝袋のようなものまで転がっている。つい先ほどまで誰かがいたような気配が漂っていた。 「あのう……」  声がして攻が振り返ると、そこには貧相で小柄な痩せた男が立っていた。陽に当たっていないのか夏なのに肌は青白く、寝不足なのか落ち窪んだ目の下には濃い隈が出来ている。  息子は男を見て声を荒げた。 「み、水島(みずしま)、来客中と言ったじゃないか。奥へ引っ込んでろ!」  水島と呼ばれた男はビクッと肩を震わせ、「申し訳ありません!」と言い残すと、逃げるようにその場から立ち去った。けれども、攻は見逃さなかった。服の至るところに絵の具が付いていたのを。  司は何も見ていなかったかのように、のんびりとした口調で息子に話しかける。 「どうやら、顧客の期待に添えるものは無さそうですね。この話は無かったことに……」  踵を返そうとしたところで、息子が慌てて腕を掴んだ。 「お待ちください! ……実はまだ家を片付けている最中でして。もしかしたら新たな遺作が見つかるかもしれません」 「その際には真っ先に声をかけていただけますか? 『金雲摩天楼図』のような大作であれば、5千万円以上は優に出してくれるでしょう」  攻には、司が微かに笑ったように見えた。 「もちろんです。ぜひ弓岡様に」 「それでは、手付金を預けておきましょう。その代わり、この話はくれぐれもご内密に」  司の言葉に攻は思わず声を上げそうになる。かろうじて口だけがポカーンと開いて、声は出さずに済んだ。息子は「ありがとうございます」と頻りに頭を下げる。  結局、親子は外まで見送りに来てくれた。司は丁寧に頭を下げ、シトロエンの助手席に乗り込む。門を出て、バックミラーに親子が見えなくなったところで、攻はまくし立てるように話しかけた。 「なぜ手付金を置いてきたんだい? 返ってこないかもしれないじゃないか」  司は涼しげな表情で窓の外を眺める。 「そうでもしなければ真剣に偽物を作ってくれないですし、簡単に口外されるかもしれないじゃないですか。そう考えると100万円なんて安いものですよ」  普段は自分の食事をケチるのに、商売となれば大胆だ。司の本性に攻は慄いてしまう。 「だけど、このままじゃ偽物を掴まされてしまうよ」 「だからこそ邪魔をするんです」  何か企んでいる顔。どうやら、司の中ではすでに計画が出来上がっているらしい。 「君が何を考えているのか、私に話して欲しいな」 「いいですよ。その前に、くすねてきたお菓子をいただけますか?」  どうやら司は紫峰親子と会話しながらも、攻が余ったお菓子をくすねていたのを横目で見ていたらしい。ハーフパンツのポケットから取り出して渡すと、司は子どものように顔を綻ばせた。 「わあ……あの店の豆大福だ」  嬉しそうに頬張り、口周りに粉が着く。堪らず攻はウインカーを左に上げて、シトロエンを路肩に停めた。そして、道行く人たちに気づかれないほど素早く、司の唇を食んだ。あんこの甘い味が広がり、攻の口周りにも粉が着く。 「……まったく、君は悪い子だ。こんなにも私を惑わせて」  突然の出来事に司は固まったように動きを止めた。それでも、攻が照れを隠しながらハンドルを握るなりクスッと笑う。 「さあ、これから忙しくなりますよ」  豆大福を食べ終えた司は、いつもの腕利き画商の顔に戻っていた。

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