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第1話(8)

 小さなレンタルギャラリーは、司によって集められた観衆たちで賑わっていた。入口で案内する攻のところまで熱気が伝わってくる。  著名な絵画のコレクターやマスコミ、さらには宝田や紫峰親子までいる。画商の宝田はともかく、紫峰親子はなぜ自分たちが招待されたのか分からず、戸惑っているようだった。ただでさえ、頼まれた絵が完成しなくて気まずい思いをしているというのに。  彼らの招待状には「新進作家の新作を公開します」とだけ書かれていた。最前には布がかけられた2枚の絵が並んでいる。  ひととおり招待客が集まったところで攻は扉を閉め、司に目を向けた。最前に立ってマイクを取る。これだけの視線やフラッシュライトを浴びても、その仏頂面は崩れない。 「皆さん、大変長らくお待たせしました。これから、私が発掘した新進作家の新作を発表したいと思います」  そう言って、右側の1枚を恭しくアンベールする。暗い紫色で塗りつぶされたキャンバスに、ところどころ金色の光が瞬いている。よく見ると、それは蛍のようであった。  観衆の反応は微妙で、しばしの沈黙からやがてざわめきが沸き起こる。 「なんですか、この落書きは!」  そう声を上げたのは宝田だった。狭い会場の隅々まで響き渡る。 「こんなものを私どもに見せるために集めたのですか?」  紫峰の妻も鼻で笑う。次第に会場中へと嘲笑の渦が広がっていった。それでも、司は顔色一つ変えない。遠くで見守る攻は肝を冷やしているというのに。 「失礼しました。では、こちらはいかがでしょう」  司は、左側の1枚をアンベールする。今度は少し乱暴に。姿を現したのは「金雲摩天楼図」だった。 「そ、そんな! 出かける時まで画廊に飾ってあったんだぞ」  宝田が分かりやすく取り乱す。紫峰親子の顔は青ざめているようだった。   「だが、私が見たものとまったく同じですよ」  コレクターの一人が宝田を訝しむような眼差しで見つめる。 「きっと、これは我々の画廊から盗んだものなんだ。きっとそうだ!」  宝田が司に詰め寄る。攻は前に出て阻もうと思ったが、人だかりが邪魔をして足を踏み出せない。  しかし、司は軽くあしらうと 「静粛に!」 と一喝して皆を黙らせた。視線が再び集中する。 「確かにこの『金雲摩天楼図』はコピーに過ぎません。もう1枚は今も宝田さんの画廊にあります。そして、この2枚を描いたのは……」  控室代わりに使う奥の部屋の扉が開き、一人の男が現れる。髪型を整え、髭をあたり、スーツをまとった姿は、年相応に若返っていた。 「ここにいらっしゃる水島蛍さんです!」  華々しくフラッシュライトが焚かれる。もちろん、良い意味だけでなく、悪い意味もこめられているのだろう。  会場の混乱に乗じて、紫峰親子が逃げ出そうとするのが見えた。攻は両腕を広げて立ちはだかる。 「まだ、話は終わっていませんよ」  屈強な体を前にして、二人とも観念したように前を向く。すぐに気づいたマスコミたちに取り囲まれた。 「水島さん、貴方はあの親子に命じられて、紫峰探雲の遺作を描かされていた。そうですね?」  司の問いかけに水島は大きく頷く。 「それだけではない。晩年の彼の絵も、ほとんど貴方が描いていたんですよね?」 「はい、全部俺が描きました」  司は右側の新作に目を向ける。 「これは、水島さんが初めて紫峰探雲の呪縛から解き放たれて描いた絵です。タイトルは『紫の蛍(むらさきのほたる)』と言います」  コレクターやマスコミたちがざわめき出す。 「確かに、こちらの絵も探雲譲りの力強い筆致だ」 「それでいて、前衛的で素晴らしい」 「私なら3,000万円出してもいいぞ」  先ほどまで、あんなに酷評していたのに、こんなにもあっさりと手のひらを返すなんて。司に操られているのが滑稽に思えて、攻は噴き出しそうになった。 「どうですか、水島さん。これだけ多くのコレクターやマスコミが貴方の自由に描いた絵を称賛しているのですよ」 「信じられません。俺の絵をこんなに褒めてくれるなんて……」  水島は感慨深そうな表情をして、両目に涙を浮かべていた。 「それでは、もうこの絵は必要ないですね」  そう言うなり、司はスーツのポケットからパレットナイフを取り出し、「金雲摩天楼図」のコピーに突き立てた。重厚なキャンバスが、無惨な音を立てて斜めに切り裂かれる。攻が見た司の横顔は、背筋が凍るほど冷たく、そして美しかった。  宝田は床に手を付き、項垂れる。 「もう、何もかもおしまいだ! 私の大事な絵が……」  思いがけない司の行動に、居合わせた誰もが息を呑む。もちろん、攻も。 「勘違いしないでください。魂の入っていないただのコピーに、5千万円の価値など無いと言っているんです。……紫峰さん、貴方たちには周りを欺いてきた悪事を償っていただきますよ」  紫峰親子はがっくりと肩を落とす。すぐに宝田が「金を返せ!」と詰め寄ってきた。攻が扉を開けて、外へと追い出す。 「そんな醜い争い、この場にはふさわしくないからね」  その後のレンタルギャラリーは水島の話題で持ち切りになり、司は甲斐甲斐しく世話を焼きながら、新作「紫の蛍」を売る相手を見極めているようだった。 (まったく、君は大したものだよ)  攻は、ますます司に惚れ直すと共に、これからも必死に食らいついていかなければならないと決意を新たにするのだった。 (けれども……)  こんな冷酷な男の甘い裏側を自分だけが知っている。そんな現実に、攻は鼻を鳴らして胸を張った。

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