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真夜中のデカダンス(2)

 東京はすっかり秋めいて、半袖のポロシャツとハーフパンツでは少し寒い。そろそろ冬物を用意しなければいけないと、攻は剥き出しの腕をさすった。司と言えばいつもの黒いスーツの上下で、一年中変わらない。暑かろうが寒かろうが涼しげな顔をしている。 「今度、行きつけのブティックで服でも買ってあげようか」  バックミラー越しに話しかけると、司は作業していたノートパソコンから顔を上げ 「いりません」 とだけ返して、再び目線を戻した。攻のこめかみがピクピクと脈打つ。 「別に恩を売るとか、そんなんじゃないよ。君にはおしゃれをして欲しいんだ」 「仕事で着るなら、このスーツで十分です。休みだって無いですし……」  司がほぼ年中無休で仕事をしているのは攻も知っていた。顧客に呼ばれたら、週末でも祝日でも駆けつける。商売熱心と言えば聞こえがいいが、誰のために頑張っているのか知っている攻は複雑な気持ちだった。すべては熊谷が自由に絵を描けるため……。 「君はもっと自分の人生を楽しむべきだよ」  司は何も答えない。そうこうしているうちに、シトロエンは顧客が待つビルの駐車場に入った。攻は先に降りて、後部座席の扉を開ける。司は降りるなり 「それじゃ、僕は一人で顧客に会ってきますので、攻さんは頼んだ用事を片付けておいてくださいね」 と、通帳やキャッシュカードが入ったポーチと郵便物が入った手提げの紙袋を渡してきた。 「時間がかかって君を待たせるかもしれないよ。その間どうするんだい?」 「ご心配なく」  そう言って、司はスーツのポケットからスマートキーを取り出して攻に見せた。シトロエンの合鍵。先に戻った司が外で待たなくていいように、攻が渡したものだ。 「エンジンのかけ方やエアコンの付け方は知ってるよね?」 「バカにしないでください。それくらい分かりますよ」  攻は知っている。司は「ど」がつくほどのケチだから、どんなに暑かろうが寒かろうが、一人で乗車している時はエアコンを使わないと。夏の暑い最中に顔を真っ赤にしながら汗まみれになっていたのを見て、肝を冷やしたこともある。  まだ何か言いたげな攻を残して、司はビルの中に入ってしまった。仕方なく攻は踵を返す。せめて、頼まれた用事を早く片付けようと歩みを速めた。 *  ひととおり用事を済ませて、まだ陽が高いうちに司の家へ戻ると、ちょうど配達員がバイクで郵便物を届けに来たところだった。いつもならば攻が受け取るはずだが、車内の荷物に気を取られている隙に司が受け取ってしまった。 「……先生?」  まずい、と攻は司が手にした郵便物を取り上げようとする。司はのらりくらりと躱して家の中に入ってしまった。事務所代わりに使っている部屋へ入るなり、ペーパーナイフで開封する。汚い字で司の名前が書かれた白い封筒。中には、同じく汚い字が書かれた便箋が入っていた。  司は真剣に見入っている。攻も気づかれないよう、肩越しに覗いてみた。  司へ。  何度も手紙を送りつけて済まないな。  おまえをあんなに傷つけておいて、こんな虫のいい手紙を送る俺を笑ってくれ。  俺が描いた『真夜中のデカダンス』という絵が、白井景光(しらいかげみつ)という男の名前で発表されちまった。  抗議はした。でも、相手は地元の重鎮で、サークルの連中も白井には逆らえない。底辺でもがいている俺の言葉なんて、誰も信じちゃくれないんだ。  自分の魂を削って描いた絵が他人に横取りされるのは、悔しくてはらわたが煮えくり返りそうだよ。  本当に情けねぇ。自分の絵ひとつ取り戻せない無力な自分が心底嫌になる。  今さらおまえに頼る資格なんて無いのは分かってる。それでも、あの絵だけはどうしても諦めきれないんだ。あいつに奪われたままなんて絶対に耐えられねぇ。  立派な画商になった今の司なら、なんとかできないだろうか。どうか力を貸してほしい。こんなクズ野郎の身勝手な願いだが、頼れるのはおまえしかいないんだ。  どうか、助けてくれ。  熊谷刀 「なんて身勝手な!」と攻は内心憤慨した。自分から司を捨てて悲しい思いをさせたくせに。それでも司は落ち着いていて、むしろ「何度も……?」と首を傾げている。そして、疑いの眼差しで攻を見つめた。 「攻さん。これまで先生の手紙が届いていませんでしたか?」  攻は出来るだけにこやかに返す。 「届いてないよ。……そうだ、きっと住所を間違えていたんだ。田舎ならともかく、都会は少しの間違いでも届かないからね」  司は、まだ何か言いたげだったが、グッと堪えているようだった。おそらく、自分ほどの知名度があれば、住所が多少間違っていても届くはずだと思っているのだろう。けれども、それを声高に主張するのは、自分が有名人だとアピールしているみたいで気恥ずかしいのかもしれない。 「僕、先生を助けに行きます!」  立ち上がって外へ出ようとする司を攻は遮った。 「待って! 仕事はどうするんだい?」 「先生が困っているんです。今すぐ助けに行かなければ」  このままでは、本当に熊谷のところへ行きかねない。攻は腕を回してがんじがらめにする。 「ひとまず落ち着こう。仕事をドタキャンしたら、これまで積み上げてきた信頼が台無しだ。そんなの熊谷先生だって望んでいないよ」 「でも……」 「そうだ。私が代わりに行って話を聞いてこよう。それでいいね?」  どうして、そんなことを口走ってしまったのか攻自身も分からない。ただ、すぐに「しまった……」とは思った。  司はまだ逡巡しているようだったが、攻に従うことに決めたのだろう。濡れた眼差しで見上げると 「……攻さんに任せますね。先生を助けてください」 と委ねてくれた。攻はホッとすると同時に、とんだ厄介事を引き受けたものだと頭が痛くなるのを感じた。それでも、約束した以上は実行に移さなければいけない。  事務所を出て2階に上がり、絵が飾ってある部屋に入る。司の肖像画を除いてガラクタにしか見えない絵たちを目の当たりにすると、「あの男の描く絵に横取りする価値があるのだろうか?」という疑問が浮かぶ。攻はスマホを取り出して手紙に書かれていた熊谷の電話番号を入力した。  仕事中で出られないことを祈ったが、意外とワンコールで出た。 「もしもし、熊谷ですが」  相変わらずの耳障りな甲高い声。 「久しぶりですね、熊谷先生。佐伯ですよ」 「……なんだ、てめぇ! どうして俺の電話番号を知ってやがる!」  切りたくなるのを堪えて、攻は会話を続けた。 「人聞きの悪い。貴方が手紙に書いたでしょう?」 「司に出した手紙を勝手に見たのか!」 「ええ。私は弓岡君のパートナーですからね」  決して嘘はついていない。少なくとも世間はそう見ている。 「俺は認めないぞ!」 「そんなことより困っているんですよね? 弓岡君から頼まれて私が行くことになったので、ご都合を伺いたいのですが」  熊谷がしばし黙り込む。ようやく口を開くといじけた声で 「都合なんて無ぇよ」 と返してきた。つまり定職には就いていないらしい。 「それでは、明日の午後3時頃はいかがでしょうか。お土産も持っていきますよ」 「いらねぇよ! それより司を連れて来いっていうんだ」 「それは聞けない相談ですね。弓岡君は貴方もご存じのとおり忙しいですから。まさか貴方が弓岡君に何をしたか忘れたわけではないでしょう?」  電話の向こうで熊谷が悔しさに歯ぎしりする音が聞こえる。攻はほくそ笑みながら 「それでは明日お会いできるのを楽しみにしてますね」 と言って、熊谷の返事を待たずに電話を切った。  事務所に戻ると、攻は司から50万円が入った茶封筒を渡された。 「これは?」 「ガソリン代や宿泊費など諸々です。攻さんには迷惑をかけますから」  司らしい気遣いだと思った。だからこそ受け取れない。 「心配はいらないよ。私のポケットマネーで支払うからね。そうだ、君の実家に泊まれば節約になるんじゃないかな?」  司の両親とは東京で何回も顔を合わせているが、実家を訪れるのは7年ぶりだった。司のそばにいるのをアピールする絶好の機会にもなる。 「それならホテルに泊まっていただくほうが100倍有難いです」  司は茶封筒を押しつけてくる。攻は受け取る代わりに司の唇を啄んだ。 「悪いようにはしないから私を信じてほしいな」  司はまだ疑いの眼差しで攻を見つめていたが、その頬はほんのりと赤く染まっていた。

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