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真夜中のデカダンス(4)

 7年ぶりに訪れる司の実家は、相変わらず玄関の前が植木鉢やプランターの花々で飾られていた。シトロエンが到着するなり、母親が大げさなくらい喜んで迎えてくれる。 「司、元気だった? 佐伯先生まで……。急に帰るって言われて驚いたわよ」 「ちょっと用事があってね。突然だけど、二人で泊まってもいいかな?」 「いいわよ。料理もたくさん用意するから食べていってね」  くつろいでいるうちに父親も帰ってきて、家の中が賑やかになる。隅々まで綺麗に片付いたリビング。熊谷や相川のアパートとは大違いだ。攻が司の母親の料理を食べるのは、7年前のクリスマス以来。その時と同じく茶色い揚げ物が多いが、味はまあまあだった。 「司、仕事は忙しいのか?」 「うん。毎日お客さんと会って、その合間に展示会を催しているよ」 「ちゃんと食べてるの? 少し痩せたみたいで心配だわ」  ここぞとばかりに攻が口を挟む。 「大丈夫です。弓岡君のことは私がしっかり見てますから」  司が横目で睨むのが視界の端に見えた。 「私たちも佐伯先生がそばにいてくださると安心ですわ」  信頼を勝ち得て、攻は鼻を鳴らした。司がうんざりした表情をしながら話題を変える。 「父さん、母さん。白井景光って知ってる?」 「ああ、白井さんなら知ってるぞ。つい最近まで県議だったし、絵が上手いことでも有名だしな」 「あら、司は白井さんを知らないの?」  絵のことなら詳しいはずの司が白井を知らないことに母親は首を傾げた。 「不勉強でね。最近、素晴らしい絵を発表したことで名前を知ったんだ」 「それはいかんな。白井さんはおまえを知ってるかもしれないのに」  父親の言葉に司がハッとした顔をして大げさなくらい驚いて見せる。攻にはどこまでが素でどこから演技なのかさっぱり分からない。 「そうよ。私たちもよく街で聞かれるの。あの、弓岡司さんのご家族ですかって」  どうやら、司の名前や功績は東京から遠く離れたこの街にも広まっているらしい。当然、絵描きの端くれである白井が知っていてもおかしくはないだろうと攻は思った。 「それなら、一度挨拶に伺わなければいけないね」  司の言葉に両親が地元の新聞や広報誌をひっくり返して、白井の連絡先を調べようとする。今ならスマホで検索すれば一発なのに、と攻は思いながらも、なすがままにさせておいた。  連絡先が分かるなり、司は皆が見ている前で電話をかける。 「白井様ですか。はじめまして。私、東京で画商をしている弓岡司と申します。ああ、ご存じでしたか。恐縮です。実は『真夜中のデカダンス』について興味がございまして、一度お会いできればと思ってお電話しました」  すらすら流れるようなやり取りを両親たちは誇らしげに見守っている。あっという間に明日の10時に面会するという約束を取り付けて、司は電話を切った。 「司。立派な大人になってくれたわね。私、ずっと心配していたの。あの熊谷って先生と一緒に暮らしていたのを知った時は、どんな大人になってしまうのかって」  母親の言葉に、司の顔がかすかに曇るのを攻は見逃さなかった。 「あの時は本当に勘当してやろうかと思ったぞ」  父親が冗談のようにガハハと笑う。すかさず、攻がフォローした。 「あれは若気の至りです。もう忘れてあげましょう。今は私が付いていますから心配はいりません」 「佐伯先生、これからも司をよろしくお願いしますね」  母親が頭を下げる。司はうつむいたまま何も言わない。やがて顔を上げると 「やっぱり今夜はホテルに泊まるよ。佐伯先生と明日の打ち合わせもしたいし」 と言い出した。 「何を言うの。部屋だって片付けてあるし、明日の朝食だって用意しているのよ」 「夜遅くまで打ち合わせしていたら、父さんも母さんも迷惑だろ?」  気まずい空気が流れる。司が熊谷の話で機嫌を損ねているのは明らかだった。攻は傍らにあったグラスを持つと、司の父親にウイスキーをねだった。 「おや、珍しいな。普段は全然口にしないのに」 「お父様が美味しそうに飲まれていらっしゃるので、どんな味がするのか興味が湧いてきたのです」  慣れた手つきで水割りが作られ、攻に差し出される。初めて口にする琥珀色の液体。意を決すると一息で飲み干した。水と穀物とアルコールの味しかしない。司は隣で唖然としている。 「ハハハ。佐伯先生、ペースが早すぎますよ。もっと、じっくり味わってください」  父親はもう一杯水割りを差し出す。これ以上飲んだら潰れてしまうと分かっていても、攻は同じペースで飲み干した。この気まずい空気を変えるためなら何だってする。後のことは司に任せよう。体が急に熱くなって、頭が眩暈のようにぐるぐる回り始めた。 「司。お母さんもそう言っているんだ。今夜はここに泊まろうよ……」  両親の前なのに、司の名前を呼んでしまう。肩を掴もうと思った手のひらが滑り落ちる。そして、攻の体はそのまま司に崩れ落ちてしまった。やはり、自分の名前を呼んでしまう司の慌てる声が遠のいてゆく。 「攻さん、大丈夫ですか? 攻さん!」 *  攻が再び目を覚ますと、ベッドに寝かされていた。見覚えのない部屋の中、薄ぼんやりと灯る明かりのほうへ視線を向けると、デスクライトだけ点けてパジャマ姿の司が机に向かっていた。 「司、ここは……」  起き上がろうとすると頭がズキズキして攻は呻き声を上げた。気づいた司が慌てて駆け寄る。 「寝ていてください。僕は大丈夫ですから」  そう言って、机の上にあった水差しからコップへ水を注ぎ、攻に渡した。ひんやりとした口当たりに、ムカムカとした気分がスッと晴れ渡ってゆく。 「どうしてあんなことをしたのですか? まったくお酒が飲めないのに」 「……君をこの家に引き留めるためさ。私がお酒を飲んだらシトロエンを動かせないだろ?」 「アルコール中毒になったらどうするんですか? 救急車を呼ぼうかと思ったんですよ」  尖らせた司の唇を啄む。司は何の抵抗もせず受け入れた。 「隣で添い寝してほしいな」 「何を甘えているんですか」 「体を張ったご褒美がほしいんだ……」  自分でも驚くくらいに弱々しい声。司は大きくため息をつくと、デスクライトを消して攻の隣に潜り込んだ。両腕で包み込むように抱きしめる。伝わる体温に心が安らぐのを感じた。それでも、具合の悪さが勝って攻の一物はびくともしない。 「今夜は大人しく眠ってくださいね」  司の言葉に頷きながら、攻の意識は再び遠のいていった。

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