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第9話
「キスしていいか」
「唐突に何⁉」
荷物を抱えたエバンがクラウドの所に居候の為に訪れた夜。クラウドは快くエバンを迎えた。一人暮らし用の小さな家だったので寝室は一つしかない。エバンは居間のソファで寝ると言い張ったが、寝室の床に布団を敷いて同じ空間で寝る事をクラウドが譲らなかった。
『寝る時くらい一人になりたい人なんだよオレは!』
『異議あり! 今の俺達は期間限定の恋人同士だ、二人で過ごすべきだ! 本気で恋人扱いしていいと言ったのは君だろう!』
『過去のオレの発言がオレを追い詰めてきてる‼』
結果エバンが折れて二人は一緒の部屋で寝る事になった。クラウドは高々しく拳を突き上げて喜びを表現した。
そしてクラウドが張り切って用意した夕食を頂いた後。二人で居間のソファに腰掛けた瞬間の事だった。突然のキスの催促にエバンの頬に熱が集まった。クラウドは難しい顔をしている。
「本気で恋人扱いしていいとは言っていたがどこまで許可されているのか気になって仕方ないんだ」
「おい、もしかしてここ最近難しい顔してた理由ってそれじゃないよな」
「……違うとも言えるしそうだとも言える」
「どっち⁉」
自警団が全員集まった集会以降、クラウドの表情はどこか常に警戒の色が浮かんでいた。何かを気にしている、そのような印象をエバンは受けていた。
エバン自身も自分が狙われている事でいつもより気が張っているが、クラウドのものはその比じゃなかった。
「それも含めて色々と悩んでいたという事だ。気を取り直してキスしていいか」
「また言う……」
今のクラウドは若干は気を落ち着けている。警戒はしているが、期限が限られている恋人であるエバンを落とす事も重要と考えている為に今はそちらに集中している。エバンに対する欲求が次々とわき上がっており、それを慎重に見極めて加減しながら確認をしている。
「抱き締めていいか。色々と触っていいか。抱いても、いいか」
「え」
間。
エバンの両手を握って目をまっすぐ見てクラウドが伝えると、エバンは固まってしまった。目を見開いている。
暫くクラウドの言葉の意味を理解しようとエバンは必死に頭を回した。
(抱擁……じゃないんだよな。『抱き締める』とは別に『抱く』が入ってるって事は……?)
ようやく思い至った可能性を恐る恐るエバンは口にした。
「……もしかして抱くってセックスの事?」
「そうだが」
顔に赤みはさしていない。エバンは怪訝な顔でクラウドを訝しげに見ている。予想していた反応と違っていてクラウドは首を傾げた。
「く、クラウド。オレなんかの事抱きたいのか?」
「何故そんな意外そうなんだ、当たり前だろう」
そうクラウドが答えるとまたエバンは「えぇ……」と引き気味になった。信じられないものを見る目で見られてクラウドは閉口する。エバンも閉口してしまった。
しん。期間限定とはいえ恋人としての甘い時間を過ごす筈だった二人の間には気まずい沈黙がおりていた。それでもせめて、とクラウドはエバンの手を離さなかった。
少し経った後、ようやく事態を飲み込む事が出来たエバンがクラウドに声を掛けた。
「って事はやっぱり告白前後で押し倒されたのそっちの意味だったんだ……」
「逆にどっちの意味だと思ってたんだ」
「脅し」
「違うが」
「そうなんだ……」
未だにこいつマジか、のような目でエバンはクラウドを見ている。
クラウドは自身の過去の発言を思い返し心当たりがあった為、記憶違いかどうかエバンに確認を取る。
「……私は告白の時も君を抱きたいと暗黙に伝えた筈だが……」
片眉をあげて口をへの字にし、怪訝な顔をした。エバンも言われた事は覚えていた為その時の見解を言う。
「いやそりゃそっちの意味の可能性も勿論考えたけど、オレなんかを相手にそんな訳無いよなあって。本当に文字通りの『抱き締める』のが可能性があると思った」
エバンは頭を悩ませる。
「いやそもそも抱き締めるのもどうかと思うし、もっと言えば何でオレみたいな奴を好きに……?」
そのまま自身を下げる発言を繰り返すエバンに、クラウドは肩をすくめた。
「薄々思っていたが君は自己卑下が過ぎる」
「そんな事ねーって、普通だよ」
エバンにその自覚は無いようだった。
(……根が深いな)
クラウドの目が細められた。
その自己評価の低さに繋がるエバンが抱える過去にクラウドは思いを馳せる。火傷痕もその過去に密接に関係していると勘づいていた。傷だらけであるのに、それを無意識に自分でも感じているのに、それが普通だと思い込まされてしまっている。
(一朝一夕では解決出来そうにないな……)
クラウドがじっと見つめてくる事に気まずくなったのか、エバンの口は回る。
「ほらオレって何もかもテキトーになんとなくこなしてなんとかなるような奴だろ? べつに真剣に人助けしようとして自警団に入った訳でもないし。感謝目当てっていうか報酬目当てと言うか生活の為というかさ。……こんな志低い奴、本気で……」
エバンは空笑いをし、自身の事を語る。しかし言葉の最後では空笑いが持たずに、無理やり上げた口角が下がってしまっていた。その表情は苦しみに満ちていた。
クラウドが握ったままだった手に力を入れる。エバンはそれに肩を少しだけ揺らして反応し、クラウドを見た。
「俺は本気だ。俺は君を軽薄な人間だとは思わない。本当にそんな人間なら俺の苦しみに真剣に向き合ったりしなかったんじゃないか? ……俺は君が本当に好きだ」
クラウドが抱えていた苦しみに対して、エバンが誠実に向き合った事は確固たる事実であり、その姿勢こそがエバンの本質であるとクラウドは確信していた。
クラウドの再度の告白にエバンは目を見開いた。
「……、……。そう」
エバンは顔を伏せた。
自分の評価に対するクラウドの言葉には未だに納得は出来ていないが、自分に対する気持ちは間違いなく本物だという事はエバンも身に染みて分かっている。
(こんなオレでもクラウドは好きだと言ってくれるのか)
とくん、と心臓が高鳴った。
(そういえば、今までの人生でここまで密接に誰かと関わる事なんて無かったな。……自分から言いだした事だけど仮とはいえ恋人にまでなってる。オレらしくもない。『絶対に離さない』とまで言ってくれる存在がこの世にいるなんて思ってもいなかった)
とくん、とくん。顔に熱が集まってくる。
(今まで……何かあったらすぐ逃げられるように大事なものを作らず、人とも当たり障りのない関わりしかしてこなかった。どうせオレなんか周りに馴染めずに孤立してくだけだと思ってたのに)
伏せた顔を僅かに上げ、上目遣いでクラウドを怯えが混じった目でクラウドを見る。クラウドは真っ直ぐにエバンを見つめていた。それに肩を揺らしてしまう。
(……いいのだろうか、クラウドに寄り添っても。……いや、もう自分でも分かってる。オレはクラウドから離れたくないんだ。この甘美な状況に本当に溺れそうになってるのはクラウドじゃなくて……きっと……)
一度ごくん、と喉を鳴らす。恥ずかしさもあり、気まずさもあるが、エバンなりに覚悟を決めた。
「わ、分かったよ。……キスなら許してやる」
エバンはクラウドに目線は合わせられなかった。もう自覚もしているのに、素直になれずにいる。頬を赤く染めながらぶっきらぼうに振る舞った。
クラウドがにっ、と勝ち気に笑った。
「エバン……ありがとうでは早速」
「えっちょ早んむ」
クラウドは即座にエバンの顔を両手で包んで顔を近づけてきた。エバンが拒否する暇もなく口と口が重なる。あまりにも早い行動であった。余韻は何処かに飛んでいった。
エバンは口が完全に塞がったキス状態での呼吸に全く慣れていない。唇同士が触れ合っている事への照れもあったが同時に酸欠への危機感を感じていた。徐々に酸素が足りなくなり、酸素を得ようと抵抗してクラウドの口から自身の口を少しずらした。そうして酸素を吸った所で
「……っ、ん……」
「⁉」
クラウドの舌が口の中に入ってきた。エバンは驚愕で目を見開く。
(こ、この野郎舌入れやがって! しかもこっちガン見しやがって!)
知識としては知っていたがされるのは初めてであった。舌が舌で弄ばれている感覚に何とも言えない気持ちになりそうになりつつ、余裕そうなクラウドに内心苛立っていた。せめてもの抵抗として真っ赤な顔でクラウドを睨みつけた。
そうして顔を顰めたり真っ赤になったり、怒っているエバンの反応をクラウドは楽しそうに見つめていた。
(そ、そろそろ本気で苦しくなってきた……!)
鼻で息をすればいいという思考になかなか至れずにエバンは顔を歪ませる。離れて欲しいという意味を持ってクラウドの肩を手で何度も叩くが、クラウドは更に舌を絡めてきた。エバンは上顎をなぞられて、背中にゾワッとした感覚が走る。それを逃す為に思わず目を強く瞑るが
(視界が無くなると余計にゾワゾワする‼ ダメだこれ‼)
感覚が過敏になってしまった。
エバンがまた目を薄く開いていく。
そんな酸欠で苦しい中。徐々に見えてくる視界の中。
――エバンは、クラウドの眼に光る星を見た。
(何だ、これ……)
酸欠で意識が朦朧としていたが、視界に見えた光の正体が気になり
「ンンーッ!」
「おっと」
エバンは渾身の力を込めてクラウドを引き剥がした。クラウドもそろそろエバンが限界だろうと察していた為特に抵抗なくあっさり離れた。
「悪かった、苦しかったな。次は、」
「ち……ちょっとクラウドくん、目見せて! ゲホッ」
ようやくまともに出来た呼吸すら後回しにして、エバンはクラウドに詰め寄った。
「……目?」
エバンが苦しみのあまりに自分を引き剥がしたと思ったクラウドは、エバンの反応に疑問を抱く。
エバンが戸惑っているクラウドの両頬をぐっと掴んでクラウドの顔を近づけてじ……と左目を覗き込んだ。その勢いにクラウドが少し肩をはねさせた。
クラウドの青い瞳。よく覗き込まないと視認出来ないが、紋章のようなものがその眼球にあった。仕組みは全く分からなかった。
「やっぱりそうだ。目に小さな星? いや何だこれ紋章……? みたいなものがある」
「!」
エバンに指摘されるとクラウドの肩が強張った。目線を反らした後、クラウドはエバンの両手を掴み、ゆっくりと顔から離させた。その表情は気まずさに満ちていた。クラウドは左目を手で隠した。
「……気のせいだ、太陽でもずっと見てしまって目が眩いだだけだろう」
「いや今は夜だし部屋の中だしオレの視界クラウドくんでいっぱいだったんですけど」
クラウドの肩が揺れる。
「ぐっ……では空に浮かんでいる方の星か月で」
「いやだから視界いっぱいクラウドくんだったんだってば」
「ぐ……」
「クラウドくん誤魔化しへったくそ」
「君に言われたくない」
軽口の応酬でクラウドの動揺もおさまってきたようで、まだ厳しい顔はしているが顔色は少しずつ落ち着いてきていた。その経過をエバンは眉を下げて心配そうに見ていた。
暫くしてから、クラウドはエバンの名を呼んだ。何? と極力優しく応えたエバンに、クラウドは頭を下げた。
「この目の事は、誰にも他言しないで欲しい。頼む」
沈痛な面持ちで頭を下げてくるクラウドに、エバンは動揺する。こんな弱々しい姿のクラウドを見るのは楽しむのを怖がっていた時以来だ。
「……オレにも言えない?」
クラウドは少し考え込む。その後首を振った。
「もう終わった事だ。この目にはもう何の意味もない……筈だ」
「そう、なんだ」
左目を隠している左手を、クラウドは握り込んだ。強く力を込めているからか、左手はわずかに震えている。
「こんな目……抉り出してしまえれば……」
クラウドは憎しみを込めて言葉を吐いた。過激な発言にエバンは目を見開いた。
「抉っ……⁉ い、いやそれはまずいだろ! 片目が見えないってかなり……その、不便だろ」
エバンは慌てて左目を掴んでいるクラウドの腕を取った。クラウドの気迫は本当に今この場で目を抉り出そうとするように思えた。
エバンは止めようと口を開くがうまく言葉が紡げない。
そんなエバンに、クラウドは苦笑し左目から手を離した。その左手をエバンは指を絡めて握る。万が一にも自傷に走らせないように。
「……そうだな。結局痛みやその後の不便さへの恐怖に勝てず、覚悟も決まらずに今日この日まで来てしまっている。俺は弱い」
クラウドに自傷の気は無いようで、握られた左手は力を抜いている。
「それ弱いとかそういう次元の話じゃないって、当たり前の事だ」
「……そうか」
自傷を恐れるのはおかしな事ではない。クラウドはエバンの手を握り返した。
「気づかれたのは恐らく君が初めてだ」
「至近距離でしっかり覗き込まないと見えないもんな」
今こうして話をしている距離では目の紋章は確認出来ない。以前クラウドにエバンが押し倒された時は目を瞑ってしまっていたし、それどころでは無かったから気付かなかったようだ。
「今更この目の意味を知っている奴がいるとは思えないが、もし誰かに聞かれても『知らない』と答えてくれ。私も詳細は教えない。無知とは時に無敵の盾にもなるんだ」
「知っているだけで急所になり得る、って事か……」
エバンは、詳細を知りたくないと言えば嘘になると思った。
(オレも、自分の火傷痕とか過去の事はクラウドに話していない。話そうとは……あまり思っていない。そんな状態でオレだけがクラウドから聞こうとするのは、やっぱり不公平だよな)
エバンは自分の火傷痕へと視線を移す。もう痛みはない筈なのに痛みを感じたように思えた。
エバンは、クラウドにも目には見えない傷があるような気がしてならない。お互いに傷ついた過去があり、それを今も何処か引きずっている。
(……キリニネラの名前を聞いた時から、オレもクラウドも普段と様子が違う。……もしかして、[[rbクラウドもキリニネラに何か関係が? > ・・・・・・・・・・・・・・・・・]])
そこまで考えたが、ハッとしたエバンは首を振った。
エバンは握り合っている手を少し引いて、クラウドに呼び掛けた。気付いたクラウドがエバンを見る。
「分かった。これ以上聞かないし、誰にも言わない」
「ありがとうエバン……」
クラウドはエバンの気遣いに心から感謝をし、珍しくくしゃっとした笑顔を向けた。
◆
「一段落した所で俺は君を甘やかして甘やかしたくてたまらないから君と戯れ合いたいのだが」
「え、今日はこれでもう寝る流れじゃね⁉⁉」
エバンは手にしていた枕を思わずぎゅっと握ってしまった。
寝室に移動してお互い布団も敷いて寝る支度をしていた時に、突然クラウドが声を掛けてきてエバンは驚愕した。完全に寝るつもりであった。
「同棲生活一日目、期間限定とは言え付き合い始めた恋人同士、何もしない訳もなく」
寝間着姿のクラウドは腕を組み目を閉じている。自身の発言にうんうん、と首を縦に動かして頷いているようだ。
「『何も』って訳じゃないだろ。き、キスしたじゃねーか」
エバンが頬を染めて反論する。
「足りない」
が、クラウドは納得していないのか不服そうな顔をしていた。クラウドとしては、折角許可を貰えた事もありエバンと触れ合いたい欲がある。
「た、足りないってお前な。もう夜遅いし、明日も普通に仕事だし……まだ期限までは日があるんだから慌てなくても、というか慌てる必要は……」
エバンが口をすぼめてぼそぼそと回避する為の理由を言っていく。恥ずかしさのあまり掛布で顔を隠し出してしまった。
クラウドは思索し、エバンの言にも一理あると思えたものもあった為、
「……ではせめて君を抱き締めながら寝てもいいだろうか」
代替案を提示した。驚いたエバンが掛布から顔をのぞかせる。気まずそうに目線をそらしている。
「オレ寝相悪いぞ」
「構わない」
「寝ぼけてお前の事蹴飛ばすかもしれない」
「大丈夫だ」
「………………」
何を言っても譲らないクラウドに、エバンは溜息をついて諦めた。
「朝とんでもない事になってても知らねーからな……」
遠慮がちにエバンはクラウドのベッドへと向かう。一人暮らしにしては大きいベッドである。二人で並んで寝ても多少窮屈なくらいで眠れそうだ。
緊張しながらクラウドの横へと入り、掛布を被る。クラウドも深く掛布をかけ、布団に入ってきたエバンを抱き締めた。
ちょうど胸に耳が触れた為、エバンにクラウドの心臓の鼓動が聞こえた。緊張と羞恥と照れで全く眠れないのではと危惧していたエバンだったが、規則的なその音に
(お、思ったよりは落ち着ける……かもしれない……)
肩の力が抜けていった。そのまま目を閉じる。クラウドもそんなエバンの様子を微笑ましく見つめた後目を閉じた。
いつしか、二人は眠りに落ちていた。
翌朝、ベッドから上半身が落ちて床に額を擦り付けているクラウドと、そのクラウドの上に乗っかってベッドに足と頭の向きが逆の大の字で寝ているエバンの姿があった。
「お前も寝相悪いじゃねーか‼」
「……」
指摘されたクラウドはそっぽを向いていた。
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