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02-12.花火の残響
少し上った場所だけ木が途切れ、枝の間から村側の空が見えた。
村の灯りは木の下へ隠れている。
屋台も、人の姿も、ここからは見えない。
ただ遠くに提灯の赤い光が少しだけ滲み、祭り囃子が風の加減で聞こえたり途切れたりしていた。
「ここなら見える。多分」
ナツが石畳へ座ったので、俺も隣へ腰を下ろす。
昼間の熱が少し残っていて、苔の匂いが近かった。
座った途端、藪の中から蚊が寄ってきて、耳の横で細い音を立てる。
「蚊いんじゃん」
「そりゃいるだろ。山だし」
「刺されたらお前のせいな」
「何でだよ」
綿あめを間へ置き、袋を開ける。
閉じ込められていた甘い匂いが、湿った夜気へ一気に広がった。
村の屋台で嗅いだ時より濃く、土や草の匂いの中では少し場違いなくらい甘かった。
ナツが袋の中を覗く。
「雲?」
「は?」
「雲みたいだ」
真面目な声だった。
やっぱり「雲」って言った。
あまりにも予想通りの言葉に、思わず笑う。
「雲食えると思ってんの?」
「知らねえ。食ったことない」
「そりゃそうだろ」
「これは食えるの」
「食える。砂糖だから」
指で少し千切り、口へ入れる。
舌へ触れた途端に溶け、べたつく甘さだけが残った。
「ほら」
袋をナツへ向ける。
ナツは薄桃色の塊をしばらく見てから、指先で少し摘まんだ。
力を入れすぎたのか、綿あめが指へまとわりついている。
「取れねえ」
「下手くそ」
「べたべたする、なんだこれ。付着してとれねえ」
付着。意味は分かるけど、誰かの口からあまり聞いたことがない言葉だ。
ナツはまだ、最初の頃みたいに言葉遣いが固い時がある。そのくせ、口が悪い。どんどん俺に似てきてる。
「そのまま食えよ」
ナツが指を面の口元へ持っていった。
閉じた口へ触れた綿あめが、ゆっくり小さくなる。
相変わらず、どうやって食べているのか分からない。
「甘い」
「うまい?」
「すげえ甘い」
「まあ綿あめだし。砂糖のかたまりだから、甘いもんなんだよ」
ナツはもう一度手を伸ばした。
今度はさっきより大きく取る。
「……気に入った?」
「べつに」
「じゃあ食うなよ」
袋を遠ざけると、ナツも身体ごと近づいた。
「食わねえとは言ってねえだろ」
「これ俺のだし。俺の許可なく食うな」
「はあ? 持ってきたの俺にくれるためじゃねえの」
当然のように言われて、ぐっと言葉に詰まる。
別に。……べつに、ついでだし。ナツの為に持ってきたわけじゃない。
俺が食べたくて買って、でもナツが食べたことないみたいだったから、ちょっとだけ分けてやろうと思っただけだし。
「……半分だけなら食っていい」
「半分?」
「そう。俺も食うから」
「お前もう食ったじゃねえか」
「さっきの一口だけだろ」
ナツが袋の反対側から綿あめを掴んだ。
引っ張られてふわふわとした塊が伸び、真ん中から不格好に裂ける。
「おい、汚ねえ取り方すんな!」
「お前が暴れるから。取れたから別にいいだろ」
「取れりゃいいってもんじゃねえ」
言いながら、自分の分を口へ押し込む。
甘すぎる。
口の中が砂糖でいっぱいになり、水が欲しくなった。空気まで甘くなったみたいで、少し息苦しい。
隣ではナツも、面の口元へ綿あめを当てている。
ふと、面がこちらを向いた。何となく身構える。
「……雲、うまい?」
また何か言われるかと思ったけど、さっきの俺の質問を反復するみたいに聞かれただけだった。
「……雲じゃねえ」
「お前が持ってきた雲」
「綿あめって教えただろ」
「桃色の雲」
「覚える気ねえな?」
ナツの肩が揺れた。わざと言っている。
綿あめを食べ終える頃、遠くで放送が聞こえた。
音が山へぶつかり、何を言っているのかは分からない。ただ、周りのざわめきが一度大きくなったあと、少し静かになった気がした。
「そろそろ花火始まりそう」
「どこで」
「空。多分あっちのほうじゃね」
木々の隙間を指す。ナツが同じ方へ面を向けた。
待っている間に、ヨーヨーを渡す。
「ナツ、これやるよ」
「なに。……なんだこれ」
ナツがヨーヨーを手のひらに乗せ、丸いゴムの中で揺れる水を見た。
石畳へ届くわずかな灯りが、青い水の中で歪んでいる。
「水入ってる。……何に使うんだこれ。用途は。ラムネみたいな飲料か。ぶよぶよしてる」
また妙に固い響きの単語を使ってる。ちょっと面白い。
ナツの手からヨーヨーを取る。
「こうするんだよ」
指へゴム紐を掛け、手のひらへ向かって何度か弾ませた。
ヨーヨーが水の重さで伸び、ぽん、ぽん、と柔らかい音を立てる。
「それだけ?」
「それだけ」
「つまんねえ」
「じゃあ返せよ」
ナツは返さなかった。
自分の指へ紐を掛け、真似して水風船を弾ませる。
最初はうまく手のひらへ戻らず、石畳へぶつかった。
「下手くそ」
「うるせえ」
もう一度弾ませる。
今度は強すぎて、ヨーヨーが手の横へ跳ねた。
水の塊がぶるぶる震える。
「もっと軽くやんだよ」
「分かってる」
「分かってねえから下手なんだろ」
「うるせえな、お前よりは上手い」
「一回もできてねえじゃん」
ナツは何度も繰り返した。
失敗するたびに力が強くなっている。
そのうち割るんじゃないかと思った時、遠くの空が明るくなった。
赤い光が木々の隙間へ広がり、少し遅れて大きな音が届いた。
――ドンッ
腹の奥へ響くような音だった。
山の空気が震え、葉がざわりと揺れる。
「……今の?」
ナツが空を見る。
「ん。いまのが花火」
もう一つ上がる。今度は黄色だった。
枝と葉に隠れて全部は見えない。丸く開いた光の半分だけが空へ現れ、すぐに細い筋を引いて消えていく。
音はまた遅れて来た。
光が消えたあとに、どん、と石畳まで震える。
「遅え」
ナツが言った。
「何が」
「光ったあとに音が来る」
「遠いからだろ」
「何で」
「知らねえよ。そういうもん」
「知らねえのに偉そう」
「あ? お前よりは知ってるし」
次は青い花火だった。
――ドドンッ
木々の間に一瞬だけ色が満ち、ナツの白い面も薄く青く染まった。
片頬の朝顔の模様が、花火の光の中で少し違って見えた。
「綺麗だろ」
俺が言うと、ナツは返事をしなかった。
本当に花火を見ているのか、面の奥の目がどこを向いているのかは分からない。
それでも黙ったまま、空の方を見詰めている。
次々に光が上がる。赤、黄色、青、白。
――ドンッ、ドドドン、ドドンッ
全部が見えるわけではなく、枝の向こうへ隠れるものもあった。
煙が流れてくることもないし、祭りの熱気もここまでは届かない。
でも音だけは大きかった。
どん、と鳴るたびに、暗い山がほんの一瞬だけ違う色に変わる。
虫の声は花火の間も鳴り続け、甘い綿あめの匂いと濡れた苔の匂いが近くで混ざっていた。
山の下では、村の方から誰かの歓声が上がっている。
その声は遠く、波みたいに届いては消えた。
「祭りって、どんなん」
不意に、ナツがぽつりと口を開く。
「……ん」
何と説明したものか迷って、少し考える。
ナツには、どう言えば通じるだろう。
「……色んな音がして、匂いがして、色んなものがある」
「いろんなもの?」
「さっき言ったけど屋台がたくさんあるんだよ。ヨーヨーと綿あめだけじゃなくて、金魚とか……あ、お前金魚知ってる? 赤くて、指くらいの大きさのちっちゃい魚。赤くねえのもいるか。でもなんかそういう小さめの魚を網ですくったり、射的……んと、的に向かって銃……むずいな説明……。なんかこう、専門の器具使って、的に弾当てるやつとか。当たったら景品くれるんだよ、ぬいぐるみとかさ。輪投げとかもそう。後は林檎とか果物に飴かけて固めたやつとか、焼きそばとか氷にシロップつけて食うやつとか、まあ色々あるよ」
「ふうん。人はいんの」
「いるよ。歩くだけでぶつかるし、暑いし、食いもんとかなんか色んな匂い混じってて面白いよ」
ナツは少し考えるように黙った。
「お前も来ればよかったのに」
何となく口にした。
「綿あめだけじゃなくて、美味しいものも面白えもんももっといっぱいあるし。花火だってここより近くで見える」
「行けねえ」
「なんで」
「行けねえもんは行けねえんだよ。それに行かなくても、お前が持ってきたからいいだろ」
言われて、口が止まった。
ナツは空を見たままだった。
次の花火が上がり、白い光が面へ映った。
「……毎回、色々持ってくると思うなよ」
「今日は来たじゃねえか」
「べつに。どうせ知らねえと思って、お前に自慢するためだよ。ナツにやるためじゃねえし」
「次は何」
「聞けよ。だから持ってこねえって」
「ふうん?」
ナツが笑った。
その拍子に、指へ掛けていたヨーヨーを強く弾く。
ゴムの水風船が石畳へぶつかる。
ぱん、と小さな音がした。
一瞬遅れて、中の水が弾けた。
「うわっ」
ゴムが潰れ、冷たい水が石畳へ広がる。
ナツのズボンと俺の脛にも掛かった。
「おっまえ……割ったな!?」
「知らねえ。勝手に割れた」
「どう見ても犯人お前だろうがよ!」
「石が悪い」
「またそれかよ!」
水は石畳の窪みへ流れ、苔の間へ染み込んでいく。
そこへ次の花火が上がった。
赤い光が、濡れた石へ一瞬だけ映った。
揺れる水の中で色が砕け、すぐに暗くなる。
――ドンッ
遅れて音が来た。
ナツは破れたヨーヨーを指から下げ、しばらく黙っていた。
多分、不貞腐れてる。
「……拗ねてんの?」
「拗ねてねえ」
「割ったの自分じゃん」
「もっと丈夫なの持ってこいよ」
「俺のせいにすんな」
「お前が買ってきたんだろ。選ぶのが下手くそ」
「は? お前だろ。お前が下手だった!」
「石が硬かったせい」
「石畳なんだから当たり前だろ」
「じゃあ石畳が悪い」
「全部周りのせいにすんな」
白い面がこちらを向く。
明らかに不満そうだった。
でも、破れたヨーヨーを捨てようとはしない。
「それ、もう遊べねえぞ」
「見りゃわかる」
「ゴミじゃん。帰る時俺が一緒に持ってって捨ててやろうか」
「お前にやらねえよ。俺のだろ」
ナツが破れた青いゴムを手の中へ握り込んで、そっぽを向く。
ラムネの瓶と同じだ。
空になっても、壊れても、渡したものを持っていようとする。
変なやつ。
そう思ったのに、何となく嬉しかった。
「来年また買ってやるよ」
気が付けば、そう口にしていた。言ってから、自分で驚く。
なんだ、来年て。なんでそんな約束、自分からしてるんだよ。
「……次来た時。今度はもっと丈夫そうなの選ぶ」
それなのに、撤回しようと思えなかった。
つっけんどんに付け足した言葉に、自分で自分の逃げ道を塞がれてるみたいだ。
勝手に動きやがって。くそ。なんだ、この口。俺の許可なく喋るんじゃねえよ。
「………」
ナツの白い面が、またこちらを向く。
「また来んの」
「……来るだろ、多分」
「多分?」
「じいちゃんに誘われたら」
「誘われなかったら?」
「知らねえ」
ナツは黙った。
花火の光が、白い面の上を何色も通り過ぎていく。
その沈黙が何となく嫌で、言葉を足した。
「……誘われなくても、来たいって言えば来れるし」
「言うの?」
「その時になったら考える」
「ふうん」
ナツは少しだけ機嫌を直したみたいだった。
「じゃあ、来年もヨーヨー」
「それまで覚えてたらな」
「忘れねえよ」
俺の言葉に被せるみたいに声が返ってくる。
そのことに、なんだか胸がもやもやする。くすぐったいような、苛立つような、なんともいえない心地。
「………」
「………」
花火が続けて何発も上がる。俺たちは黙って空を見た。
肩が触れるくらい近くに座り、甘さの残る指を石畳へついていた。
湿った夜気は重く、首筋には汗が戻り始めていたけど、立ち上がる気にはなれない。
最後の大きな花火が消えたあとも、音だけが山の奥で何度か反響した。
光のなくなった空はさっきより暗く見える。
それなのに隣でナツが破れたヨーヨーを握っているから、なんだかまだ祭りの中にいるみたいだった。
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