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02-13.変わるもの変わらないもの

その次の年からは、夏になるとじいちゃんの家へ行くのが恒例になっていった。 「今年、じいちゃんちいつ行けんの」 夕飯時にたまたまつけたテレビで花火が打ち上げられているのが見えて、勝手に口から声が飛び出ていた。 色とりどりの光を見ているうちにナツと見た夜空を思い出したせいだ。 自分から聞いたあとで、母さんが少し驚いた顔をしたのが見える。 ……なんだよその顔。 「行くんだ?」 「行くけど。何で。去年もその前も行っただろ」 「そうね」 母さんはそれ以上何も言わなかったけど、口元が少し笑っていた。 だから、なんだよその変な顔。 じいちゃんに会いに行くだけだ。夏休みに毎年遊びに行く孫なんて、別に珍しくねえし。 荷物をまとめる時には、着替えや宿題より先に、ナツへ持っていくものを考えた。 今年は何を知らないだろう。 炭酸の入った飴。 小さな水鉄砲。 光を蓄えて暗いところで光る玩具。 学校の売店で見つけた、やたら酸っぱい菓子。 意気揚々と持っていったものは、全部駄目だしされた。 「小せえ」 渡した水鉄砲をしげしげと見詰めながら、ナツがぶっきらぼうに言い捨てる。 折角持ってきてやったのに、こいつ……。 「玩具なんだから当たり前だろ。これで水掛けあって遊ぶんだよ」 「川の水直接掛けた方が早いじゃねえか。いらねえ」 「そういう問題じゃねえ。撃つんだよ」 「撃つ?」 「こうやって」 自分の分に水を吸わせ、ナツの面へ向かって引き金を押す。 細い水が飛び、白い頬へ当たった。 「……」 濡れた面がこちらを向いている。 そのまま俺の動作をなぞるように手早く鉄砲に水を吸わせたナツが、無言で目を狙って撃ち返してきた。 「っお前目は駄目だろ!? 狙うなよ!」 「お前が先に撃った」 「頬だろ! 目じゃねえ! しかもお前は面してんじゃんッ!」 「当てるなら同じだろ」 「全然違うっ!」 その日は、結局川へ入って水を掛け合った。 玩具は途中で岩の上へ置かれたけど、帰る時にはナツが持っていった。 いらないと言ったくせに、次の日にラムネの瓶や破れたヨーヨーと一緒にしまってあるとだけ教えてくれる。 どこに置いているのかだけは、いくら聞いてもナツは教えてくれなかった。 「だから誰にも見つからねえ場所だって言ってんだろ」 「俺にも?」 「お前には絶対見つけられねえ」 「何で」 「俺のだから、俺しかわからねえとこに置く」 俺が渡したものなのに。 そう言うと、「だから俺のだろ」と返された。 意味が分からない。 でも、捨てずに持っていることが分かって少し嬉しかった。 その年の俺は受験生で、じいちゃんの家へも、例年より短い間しかいられなかった。 持ってきた宿題や問題集を縁側へ広げ、午前中だけ勉強してから山へ行く。 「何で試験受けんの」 ナツは受験を知らなかった。 「高校行くため」 「何で高校行くの」 「中学卒業したら次は高校なんだよ、他にどこ行けってんだよ」 「ここにいればいい」 川へ足を浸しながら、何でもないことみたいに言われる。 少しだけ拗ねたような声だった。 「………」 からかってやればいいのに、何も言えない。 ……こいつ、俺にいてほしいのか。 きゅっと唇を結ぶ。なんだよ、急に。変なタイミングで素直になりやがって。 沈黙に何となく体が痒くなってきて、ぶっきらぼうな声が出た。 「……夏以外も?」 「来れるなら」 「……学校あるし、家も東京だし。難しいよ」 「ふうん」 「お前も学校行けば」 「行けねえ」 「またそれかよ」 「行けねえもんは行けねえ」 「理由言えって」 「行けねえから」 ナツはそれ以上答えない。それでも何度も同じような話をした。 村や町へ来ればいい。 じいちゃんの家へ遊びに来ればいい。 一回くらい東京へ来ればいい。 俺の学校や、よく行く店や、でっかいビルとか、遊園地とか、浅草とかの観光地とか、ナツが見たこともないものをたくさん見せてやる。 そのたびに、ナツは「行けねえ」としか言わなかった。 行きたくないのか、行けないのか。 言葉通りなら後者なんだろうけど、その違いすら俺にはよく分からない。 それが少し苛立たしくて、少し寂しかった。 俺はナツの山へ来られるのに、ナツは俺のいる場所へ来ない。 夏が終われば、俺だけが帰る。 それまで当たり前だったことが、積み重なって行く度に息苦しくなっていく。 俺は少しずつ変わった。 夏の間に急に背が伸びて、それまで着ていた服が窮屈になり、声が低くなる。 去年まで普通に出ていた高い声が急に裏返って、ナツに散々笑われたこともあった。 「今のなに」 「うるせえ」 「変な声。ガラガラじゃねえか」 「……声変わりしてんだよ。男はみんなこうなんの」 「喉壊れた?」 「壊れてねえ」 「おもしれえ。もう一回やって」 「好きでやってんじゃねえんだよ!」 笑われるのが腹立たしくて、水を蹴る。 ナツは避けるでもなく受けて、また肩を揺らした。 ナツの声は、俺と違って何も変わらない。 白い面越しの、子供だった俺より低い、それでも大人になりきれていない声。 最初の夏より口は悪くなったけど、音の高さも、笑い方も、何一つ変わっていない。 高校に入った夏、川辺に並んで立った時、改めて見るとナツは明らかに小さかった。 最初の頃は俺と同じくらいだったのに、その年になると俺の目線はナツの頭の上を少し越すようになっていた。 「お前、ちっちゃいままだな」 何となく言うと、面がこちらを向く。 「お前が勝手にでかくなっただけだろ」 「それ以上伸びねえの?」 「必要ねえってお前が言ったろ」 確かに言った気がする。 『じゃあお前も大きくなればいいだろ。伸ばせよ背』 『やろうと思えばできる』 『……いらねえ』 あまりにも何でもないように言うから、ムカついて『いらねえ』って言った気がする。 ナツは時々意味が分からない。 暑さが分からなかったり、風邪を引かなかったり、面をつけたまま物を食べたりする。 背が伸びないことが一つ増えたところで、今更だった。 「縮んだ?」 「あ? 縮んではねえよ」 ナツが不満そうだったから、頭の上へ手を乗せる。 こうして見ると、もう完全に年下にしか見えない。 「やめろ」 「ちび」 「ぶっ飛ばすぞ」 「ちびっこナツくん、届きますかぁ~?」 その瞬間、足を払われた。 足元の砂利の上で体勢を崩し、慌ててナツの肩を掴む。 二人で川へ落ちかけた。 「危ねえだろ!」 「ほらみろ、届いた」 「そういう問題じゃねえ!」 ナツは得意そうだった。 姿は最初の夏のままなのに、口の悪さと意地っ張りなところは毎年成長してる。 外見はそのままに、中身だけ俺と過ごした時間が積み重なっていく。 それが妙にちぐはぐだった。 「なあ」 崩れた姿勢を直し、そのまま近くの岩へ腰を下ろす。 ナツも隣の岩へ座った。 「なに」 「ナツ、今年いくつになったの」 「知らねえ」 「何で知らねえんだよ、自分のことだろ」 「数えてねえし」 「最初に会った時、俺と同じくらいだったよな」 「そう見えた?」 「見えた。中一くらい」 「ふうん」 「今も同じじゃん。服も毎年同じだし」 「毎年同じじゃねえよ、どこに目ぇつけてんだ」 「はあ? どう違うんだよ」 ナツは自分の上着を見下ろした。 「今日は喉がある」 「服の話してんだけど」 「髪も少し違う」 「分かんねえよ」 「ちゃんと見てねえからだろ」 「見てるし」 言い返したあとで、改めてナツを見る。 確かに髪の長さや流れが、去年と全く同じだったかまでは覚えていない。 でもそんな細かい違いの話をしているわけではなかった。 「なんでお前、ずっと変わらねえの」 口にすると、川の音が急に近くなった気がした。 ナツはすぐには答えなかった。 白い面がこちらを向く。 面の奥で、何を考えているのか分からない。 「……気が変わったのか?」 返ってきたのは、質問だった。 「は?」 「いらねえって言ったくせに、気が変わった? お前がそうしたいなら変えようか」 ナツは、いつかと同じで、何でもないことみたいに言った。 「どのくらいがいい。今のお前と同じ?」 意味を咀嚼するまで、時間が掛かった。 さっき、背の話をした時のことを言ってるのか?それとも、それよりも前のこと? 俺は昔、背丈を変えられるようなことを平然と言うナツに「いらねえ」と答えた。でも、今の俺はそういう話をしていない。 ただ、ナツの姿が変わらない理由を知りたかっただけだ。 それなのにまたナツは「俺がそうしたいなら」変えるという。 意味が分からない。 背丈を合わせるという話なのか。 年齢を合わせるという話なのか。 ナツの言い方は、髪を切るとか服を替えるとか、そのくらい簡単なことを話しているみたいだった。 「前も話したけど、やろうと思えば別にできる」 ナツが続けた。 「お前が望むならそうする」 背中へ冷たいものが走った。 暑い日だった。 川から吹く風もぬるく、蝉は頭の上でうるさいほど鳴いている。 それなのに腕へ鳥肌が立った。 俺は理由を聞いた。 どうして変わらないのか。 どうして年を取らないのか。 でもナツは、その問いを俺の希望として受け取った。 俺が望めば変わる。 俺が望んだ姿になる。 そんなことは、人間には出来ない。普通の、人間には。 「……いらねえ」 気付けば、またそう答えていた。 「そう?」 「今のままでいい」 声が固くなる。 ……ナツは人間じゃないのかもしれない。 薄々感じていた違和感が急に形を持って襲いかかってきて、体の芯が冷たくなる。 「来年もそのままでいろよ」 それなのに、ナツが人間かどうかよりも、目の前のナツが別の形へ変わる方が嫌だった。 面の下に何があるのか。 俺が見ていない時、ナツはどんな形でいるのか。 そもそも、ナツは本当に「いる」と言えるものなのか。 分からないのに、怖いのに、ナツが知ってるナツじゃなくなる方が、余程怖かった。 「お前はまた変わるのに?」 拗ねたような声が返ってくる。 「………ナツ」 「なに」 なんとなく名前を呼ぶと、間髪入れずに返ってくる。 俺の言葉に反応する。 名前を呼べば返事をする。 俺をからかって笑う。 すぐ責任転嫁して、不貞腐れて、渡したものを全部取っておく。 ナツ。多分、普通の人間ではない、ナツ。 正体も、どこにいるのかも、なぜ山から出られないのかも、何も教えられていない。分からない。 それでも、何年も一緒にいたことは変わらない。 「俺は仕方ねえだろ。勝手に伸びんだから」 「ずるくねえ?」 最初の頃、暑さの話をした時に俺が言った言葉だった。 思わず笑う。 ああ、ほら。やっぱり、普通の人間なのかそうじゃないかなんて関係ない。 だって、ナツはナツだ。ずっと俺と一緒に過ごしたナツが、きっと全部だ。 冷えた体が、温度を取り戻したように首筋へ汗が流れた。 ……あちい。 暑いのに、少し安心する。 「お前だけ変わる」 「じゃあお前も変わればいいだろ」 「いらねえんじゃなかったの」 「姿はな。別のとこは勝手に変わってんじゃん」 「どこが」 「段々口が悪くなったし、お喋りになった」 「お前のせいだろ」 「ほら、それ」 少しの間を置いて、ナツも少し笑った。靴と靴下を脱ぎ、二人で川へ足を浸す。 俺の膝は去年より高いところにあり、隣のナツは初めて会った頃と同じ姿で水を蹴っている。 見た目は何も変わらない。 でも俺の言葉を覚え、村のものを知り、ラムネや花火や綿あめを知っている。 同じままではない。 俺と過ごした分だけ、ナツの中にも何かが積もっている。 「ナツ」 「なに」 「呼んだだけ」 「はあ?」 俺だけが変わっていくわけじゃない。ナツだって、見えにくいだけで何かが変わっている。 毎年同じ場所で、少しずつ口を悪くしながら俺を待っていないふりをしている。 来年も、またここへ来ればいい。 ナツはきっと、同じようにそこにいる。

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