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アネモネ外伝-終末世界御伽忌憚-いつかの日々 前編①

 満月の綺麗な晩だった。  郁は小さなケーキの箱をもって、小さく歌を口ずさむ。  古いモノクロームの映画の主題歌。 ――酒と薔薇の日々。  囀るようなメロディーから始まる映画の場面を思い出しながら、帰路につく。 (後ろに……2? 3? そのくらいか)  唇は、旋律を紡ぐ。  先ほどから何者かにつけられているとは気がついていた。  だが、油断を誘うことでやり過ごそうとした。  この先は路地裏だ。  郁がたまに使う抜け道でもある。  そこを素早く通り、ついてきている相手をまく。  やがて、旋律がとまった。  郁は、身を翻すと、路地裏に逃げ込んだ。 「……随分と念入りなんだな」  郁は嘆息した。  路地裏に、巨漢の亜人種がひとり待ち伏せしていた。  大型の魔物を眷属とした亜人種なのだろう。  だが、亜人種には個体差がある。  郁のようにほとんど「ヒト」に近い姿をした半獣の者もいれば、この男のようにほとんど、魔物や獣のような姿の者もいる。 「オークか」 「……郁を徹底的にやるならそれくらい用意しなくちゃなあ」  背後から声がした。  声はへらへらとしている。  だが、顔には郁への憎しみ。 そして、その美貌に対する畏怖のような形容しがたい表情が浮かんでいる。 「ふん。3匹がかりでも俺を倒せないからか? 用意周到なことだ。だが、あいにくと仕事終わりなんだ。早く帰りたい。だから、お前らに構っている暇はない」 「ケーキを待っているかわいい子でもいるのかい?」 「……関係がないだろう」 ……面倒なことになった。  どうやって、この場を脱しようかと思考を巡らせていると――。 「イイニオイが、すル」 ……本能が、ほとんど魔物に近い個体なのだろう。  言葉すらおぼつかないようだ。 「これはお前のじゃあない」  郁は、箱を握りしめた。 「はつじょうき、ガ、チカイ……メスノニオイ」  ぐいっと細腕を牽引された。  ぽとり、とケーキの箱が落ちてしまう。  今や郁の痩身はほとんど宙に浮いていた。 「ははっ、お前もうすぐ発情期が近いのかー……。良かったな。同じく発情期の個体をつれてきてやったぞ。それも改造チンポのバケモンだ」 「何を、言っている……?」  発情期が近いのは心当たりがあった。  嫌で嫌で仕方がない生理現象をあざ笑われる不快感。  だが、それよりも牽引されている腕がみしみしと軋んでいる。 「早くおうちで待っている子にこれを渡したいだろう? こんな高価なものを贈りたい相手がいるんだもんなぁ」 「……お前、」  郁は、強くねめつけた。  その言葉は脅しだ。  暗に望月に手を出そうとしている。  住居も彼の存在も隠しているが――たった郁ひとりにここまで執着してくる輩だ。  脅しではすまないという懸念がある。 「その箱……に、絶対、触るな……俺に危害をくわえるのが目的なんだろう? 不本意だが、抵抗はしない。好きなだけ暴力を振るえばいい」 「そんなもったいないことするわけないだろ? メスが希少種になった今、お前みたいな綺麗なツラのオスなんてそういないだろう? 肉便器になってもらおうか、郁」 「ふざけるな!」  亜人種のひとりがわざとゆっくりとケーキに足を伸ばし、踏みつぶすジェスチャーをする。 「この箱、踏みつけてぐちゃぐちゃにしてやろうか」  郁の顔に、初めて表情らしいものが浮かぶ。  傷ついた顔だ。  だが、それは男たちを増長させるだけだ。 「ケーキを台無しにされて帰るか? お前のことだから、身体なんて売らなそうだしなあ。そっちのがよほど稼げるのに……次、買えるのはいつかな?」 「………………」  男の言葉は正しい。  郁の稼ぎは些細なもので慎ましやかに暮らしている。  それにケーキをつくるにも物資は乏しい。  次は……いつ手に入るのか。 「おれのこと……好きに……して……いいから……」  消え入りそうな声でそう懇願する。 「お前は肉便器になるんだろ? 汚い穴を使ってもらうんだから、お願いする立場だろう?」  郁は悔しそうに唇を噛んだ。  それから、のろのろと月並みな口上を述べた。 「俺の、汚いところ……性欲処理に使ってください……」  どっと爆笑がおこる。  青ざめるかんばせとは裏腹に、思考は怒りで白く焼けていく。 「お願いされたし、欲求不満の肉便器野郎を輪姦しようぜ!」  寒空の下、これから郁はオークに犯された後、輪姦される。 (はやく、家に帰りたい……逃げたい、でも……) (望月……もえぎ……)  諦念したように、郁は長い睫毛を伏せた。

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