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第一章 悪霊退散依頼 2

「えっ! 九条さんの会社に出たんや」 「そう。近づいてはこんかったけど。早坂さんのシャツ着てるからかも」  早坂には見えない赤いカーディガンを着た濡れた女はやはり消えていないらしかった。化け物除けに自分の服を貸したわけではないし、避けられているというのは人外相手でもなんとなくショックではある。    迎えの前に昨日のストリートに行きたいと連絡を受けた早坂は、昨日悪霊退治――九条には詐欺呼ばわりされたが結果オーライだ――を行った家の隣にまた車を置かせてもらえるかと交渉に赴いた。対応してくれた依頼人も取り憑かれていたらしい家主も顔色は良く胸をなで下ろしたが、特に手応えがあったわけでもない。帰りに九条にまだ化け物がいないか確認してもらおうと思ったが、日に何回もそういったものに接触させて大丈夫なのだろうか。助手席の九条に悲壮感はなかったからそこまで気にする必要もないのかもしれないが気にはなる。  現在午後六時過ぎ、昨日の廃工場に車を停めてまずは夕食をと歩を進めた。早坂も食べることは好きだが九条は週末はほぼ飲み歩き、うまい店を開拓するのが趣味らしい。わけのわからないものが見えることに塞ぎ込んで引き籠っていないことになんとなくほっとした。  昨日食べた屋台こっち、というのについて行く。稲荷神社をすぎて角を曲がったら、住宅街は急に姿を消してにぎやかな繁華街へと変貌した。油とソースの匂いが立ち込める裏通りの両側はほとんどが飲食店だ。道にせり出した屋台ではなく、古い工場の中に入り込んだ路面店が多い。迷わずひとつの店にたどり着いた九条は、ここの豚バラの串焼きめっちゃうまかったけど早坂さんはお肉食べてええの、とちょっと眉間にしわを寄せた。   「肉も魚も普通に食べるから気にせんといて。豚バラの油ギットギト大好きやから」 「……生臭坊主やん」    やっぱりなんか胡散臭いねんなあ、と悪口を言われながら、きれいに磨かれたプラスチックの椅子に腰かける。何台も置いてあるテーブルには鮮やかなリネンが掛けられていた。さっきの家から三十秒と歩いていない場所だ。自宅の近くにいつでも気軽に行ける屋台があるなんて羨ましい。夕食はほぼ手軽なデリバリーで済ます早坂には夢のような空間だった。 「はいはいっ、ご注文お伺い~! ……あ、昨日ようさん食うてくれたお兄さんや。うち気に入ってくれた? あれ? ふうちゃん先生?」 「あ。ケンちゃん」 「え? ふうちゃん先生って早坂さんのこと?」  知り合いやったん? と首をかしげる九条に頷いておく。  ケンちゃんこと浅野健吾(あさのけんご)は、寺で月に三度ほど行っているおすそわけ、所謂炊き出しを手伝ってもらっている男で知り合って二年ほどになる。飲食店を経営しているのも知っていたがまさかこの屋台で出会うとは思ってもいなかった。黒いタオルで頭髪を清潔に隠した浅野は小柄できびきび動く愛想の良い男だ。九条に向かって丁寧に頭を下げる。 「ふうちゃん先生が世話になります。胡散臭いけど悪い人ではないから」  この二日間で一生分の胡散臭いを言われている気がする。いえいえ、とにこやかに返事したスーツ姿の九条の方がある意味整いすぎていて異彩を放っている。こんな油にまみれた場所にいても常に消毒液に浸っているような清潔感があるのだ。ただものじゃない。  けれど、浅野がサービスだと持ってきてくれたニラ饅頭を頬張る九条は、なんとなく無邪気にはしゃぐ小さな子どもに見える。化け物はこんな無垢なものを好むのかもしれないと、見えないが近くで見ているはずの女をにらみつけた。    時間がたつにつれ客は増えていく。隅の席に移動して、早坂に女の特徴を細かく告げた。 「濡れてるんなら水関係か。片方だけサンダル履いてて赤いカーディガンにミニスカート……昔の人っぽいん?」 「わからん。なんとなくやけどちょっと今の人やない気がすんねんな……自信ないけど」 「ちょっと昔の女で水浸し……ここらって川とかため池とかあるんかな」  見てわかる限りの情報をすべて伝える。早坂はたまにあちこちにガンを飛ばしているが、普通に柄が悪いからやめてほしい。当の女は店の外の道路の向かいから動かずこちらをずっと見ている。    スマホでこの辺り一帯の情報を調べたらしい早坂は、わからへん。とあきらめて豚バラの追加を運んできた浅野に泣きついていた。 「ケンちゃん、ここらへんに川とかある? 池とか沼とかでもええんやけど」 「川やったらここの裏の裏にあったみたいやけど」 「そこやん! そこ行ったらなんかわかるかも!」  早坂は椅子を倒してテーブルに体中を打ち付けながら立ち上がった。   「待て先生! あったいうても昔やって。たぶん昭和の始めとかに埋め立てられたから」 「九条さん、服って昭和の始めっぽいやつやった?」 「その時代ミニスカートはないやろな。そんで川でもないんか……」  ほかに水、水がある場所、とうなっていたら、浅野がぽんと手をたたいた。 「井戸やったらあるけど?」 「え、井戸。どこらへんですか」 「ここらへんの工場やったとこはほとんどあるんとちゃうかな。うちにもあるし」  うち、と指さす方向、店にしている工場跡らしき建物は奥に向かって暗闇が深く濃くなっていて、この先に井戸があるという。偶然行き当たったいかにもな水場にふたりしてそれや、と顔を見合わせた。    昭和初期まで存在した川の傍には最盛期で百をこえる染工場が軒を連ね賑わっていたらしい。この辺りの廃工場は多くがその跡地で、あとは洗濯場や裁縫工場などが点在していた。戦後のごたついた時期を乗りこえたあとの復興期には川が完全に消え、それらの産業も徐々にこの地から消えることになった。今早坂が軽トラを突っ込んでいる廃工場も、かつては中規模の染工場を営んでいたという。    だが、かつて裁縫業を営んでいた家の孫だかが古いミシンや貝ボタンなどを使って気ままに服を作り、ローカルテレビで紹介されるに至って一時期小さな衣料品店が増えたそうだ。それからは自治体の誘致で工場跡を若者に使ってもらうプロジェクトなどもあり、現在はこのように昔とは違うにぎやかさを取り戻していた。  浅野は誘致を手伝った側だ。店の奥の工場は祖父の持ち物であり、ぽつんとひとりで店を出していた頃に比べるとまるで様子が違うらしい。手っ取り早いのは飲食なのだろう。しのぎを削る同業者は増えたが、寂れた工場跡街など放置していたら治安が悪くなるに決まっている。この辺りのことを説明してくれる浅野は賑わってよかったと話しているが、井戸うんぬんの話を聞いた彼は少し笑顔が引きつっていた。まだ詳細は不明だがおそらく井戸にお化けがいますよ、なんて伝えていいものか迷うところではあった。

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