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第一章 悪霊退散依頼 4

 聞いて答えてくれるんやったらこんなに苦労はしてへんけどな、と笑う九条は年齢よりも老成して見える。もちろん見た目ではなく、中身というか気質のことだ。ほかの人間には見えないものが自分にだけ見える、その想像を絶する孤独と恐怖は計りしれない。一生懸命材木を下ろす九条は妙に楽しそうだったから、あれこれ指摘するのはやめておいた。  トタンを外し、ガスの嫌なにおいがないか確認して中をのぞいた。それほど深くなく、底面に水は見えない。側面には鉄製のはしごが埋め込まれていて、これを使って下りられるかもしれないと考えた。      早坂が井戸の中を確認している。濡れた女は九条と早坂の存在など忘れたかのように、同じ姿勢で井戸の中をのぞき込んでいた。  こうなるともうわかる。この中に女にゆかりのある何かが存在している。万が一白骨なんかが見つかった場合は警察に知らせるべきなのだろうか。――ここに来た理由は? はい、この骨の持ち主に呼ばれたので――あり得なさすぎる。自分の将来なんかを考えるとここにある何かを見つけ出さないことがいちばんだ。早坂を誘導して強制的にお祓いしてもらうか……。    だがしゃがみ込んで井戸をのぞく女は憐れだった。青春真っただ中だったのかはわからないが、おそらくは流行の服を着てひらひらと生きていたらしい女が生涯を終えるにはあまりにも寂しい場所だ。とりあえず中に入ろうと考えたところで、早坂が体を起こしはしごに足をかけたので九条は仰天した。 「ちょっと! 危ないからあかんって!」 「俺霊感はないけど運動神経はあんねん。やから大丈夫。それに言うたやろ、今回は俺にお祓い依頼してって。九条さんは依頼人、俺は請負人。俺が行く」  足場を確かめながらもスルスルと下りていく早坂を見ていると手に汗をじっとりと感じた。薄い雪駄の足先は滑ることもなく鉄の棒を踏みしめている。小学校のときのキャンプとかアスレチック思い出すなあ、と明るい早坂が井戸の底に足を付けたのを確認してようやく力を抜いた。 「……まあまあ湿ってるけどもう枯れてるんかな。ようわからん、これからどうしたらええんやろ」 「待って、女が……」  九条の横をすり抜けた女が立ち止まり倉庫の隅を向いた。古い工具が積まれていて、女の意図を理解する。 「早坂さん、これで……」 「シャベル……掘れってことやな」  上から手を伸ばして大きなシャベルを手渡す。女は再びこちらに戻り井戸の縁に手をかけて、早速土を掘り出す早坂を見ていた。底は柔らかそうな泥に見える。土を掘るざりざりという音と、時折カン、と金属が石を削る音が聞こえるほかは静かな夜だ。 「……なあ、お姉さん」  九条は初めて師の教えに背いて人ではないものに話しかけた。規則正しく聞こえていた土を掘る音が少しだけ小さくなる。 「悪いけどこっから目当てのもんが出んかっても恨まんといてな。脅して悪いけどあのお兄さんあんた程度すぐ消せれるし……無理やりそれせえへんのは俺もそろそろ知りたいから。なんであんたらみたいなのが見えるんかって。……まああんた自身もなんで俺に付きまとうんかはようわからんのかもなあ。俺は見えるだけであんたらみたいなんに何もしてやれへんし」  幼い頃からずっと見えていた人ではないもの。なぜ自分に付きまとうのか、自分のような悩みを抱える人間はほかにもいるのか。女が九条を見上げた。目を合わせるのは怖い。顔を逸らしたところで井戸から頭を半分出した早坂と目が合い、「おい」と凄まれてしまった。 「今お化けに話しかけた? 俺のおらんとこで危ないことすんなって。……それとな、なんか出たで」  一斗缶みたいなやつ埋まってる、と続けられて慌てて下を見る。先にはたしかに埋まったままの茶色い缶の頭の先が見えていたが、すべて取り出すのは難しそうだった。これ今から破壊するけど怒るなよ、と大きな声を出した早坂がシャベルを振り上げる。息をのんで見守ったが、錆びた缶には簡単に穴が開いた。 「開いた……さすがに中見んのは怖いかも」 「早坂さん、俺もそっち行く。たぶん大丈夫やと思う」 「わかった。気いつけて」  はしごを慎重に伝って底に下りた。下から見る女の姿はなかなかに恐ろしかったが、一緒に下りてきそうにはない。 「人骨やったらなんて通報したらええやろ……」 「もうそれは出てきたときに考えよ。いくで」  早坂はシャベルをてこのように動かして缶の上部を開いていく。錆びたブリキが割れるサクサク音はクッキーかサブレを咀嚼しているときとよく似た音がして、こんな状況だというのに九条のおなかがぐう、と鳴いた。ふ、と口元だけで笑った早坂がおなかすくのはええことや、と慰めてくれる。なんとなく恥ずかしくて叫び出したくなってぱかんと開いた缶の中に勢いよく手を突っ込んだ。 「ちょっと! ちゃんと確信してから……なにそれ、靴?」 「これ、これって」  出てきたものを掲げてみせる。女に見えるように高く腕を上げた。 「お姉さん探してたのってこれやろ……そのもう片方のサンダル」  変色して元の色がわからなくなっているサンダル。革は剥げ、ソールが落ちて太いヒールはぼろぼろに朽ちているが、濡れた女が片方だけ履いているサンダルの片割れが辛うじて、本当に辛うじて形を保っていた。  早坂と缶の中を改めるが破れた布のようなものが少し出てきただけでほかには何もない。九条はそのぼろぼろのサンダルを持ってはしごを上った。気を付けないと今にも損壊しそうなそれは小さくて、そういえばこの女は自分の肩ほどもない背の高さだったと思い浮かべた。    すぐに早坂が追いかけてきて九条の横に立った。女は手を伸ばしながら近づいてくる。今や早坂さん、南無阿弥陀仏して。と言いかけてやめた。女は恐ろしいはずの早坂を前にしても逃げない。それよりもほしいものがあるのだ。それは九条が手にしている古い朽ち果てたサンダルに違いない。    やってみるか。九条は真正面に来た女を見つめて三回深呼吸をした。 「早坂さん、このお姉さんに靴履かせたって」 「は? 無理すぎる! どうやって?」 「わからんけど……なんか行くべきとこに行けみたいな?」  早坂はうんうんうなってぎこちなく右手を上げた。見当違いの場所に伸ばされた腕を、九条が女の頭の真上に誘導する。なんも見えへんし感じんへんねんと文句を言うが、手のひらは優しく撫でるように動いた。  「えっとほんまに触ってんのこれ。大丈夫? えっとえっと、この靴……何? サンダル? もうボロボロなってもうてるけどあんたには履けるんやろ? ちゃんと履いてもう行き。ちゃんと行けたらこのサンダルあんたのとこに送ったげる。大丈夫。やからリクから離れてやって……」    あ、今初めて名前で呼ばれたな。  正面の女が顔を上げた。思っていたよりもっと年かさで落ち着いた表情をしている。目線を背後の井戸に投げかけ、九条と早坂を順に見つめた。  シャッターがガシャンと音を立て、一瞬だけ強い風が吹き込んでくる。思わずうわ、と上げた声を合図のように女はそちらに向かって軽やかに駆け出した。両足をしっかりとサンダルで包み、長い髪をさらさらと背中になびかせて真っすぐに駆けていく。シャッターを全開にして入ってきた浅野と入れ違いに女は外に出て振り返った。  九条には女がほほ笑んでいるように見えた。  そしてそこから一歩踏み出し、夜の闇に溶けるようにあっという間に静かに姿を消したのだった。

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