9 / 12

第一章 悪霊退散依頼 終

 はやすぎるウグイスが歌の練習をしている。  のんびりした本堂で浅野の差し入れである爆弾おにぎりと、九条の勤務先の製品だという上品な冷凍おこわおにぎりを食べながら、早坂は図書館へ出向いてコピーしてきた五十年前の地方紙を読み返していた。マイクロフィルムなどという未知のものを確認するのに見たこともない機械を苦労して使ったのに、何気なく検索した全国紙の方はデータベースで簡単にヒットしてしまった。なんというか損した気分になる。  調べた理由としては、あの井戸のあった場所に浅野の祖父が心当たりがあると話したことであった。 「あの工場な、じいちゃんが若い頃はまだやってたんやってさ」  浅野の祖父がまだ工場を営んでいた時代、あの大きな工場も同年代の男が経営していたという。妻を早くに亡くしひとり息子を男手ひとつで育てたが、その息子は幼い頃から大層繊細な気質だったことと産業の先細りもあり、進学し地元を離れて就職していた。だが心身を壊し実家に戻ってきたのだ。 「その息子さんな、ちっさい頃はお化けがおるなんて毎日泣いてたこともあったって……」  おにぎりを食べながら黙って庭を見ていた九条の肩がぴくりと動いた。別に内緒話をしているわけではないから息を殺して聞き耳を立てなくてもいいと思うのだが。  息子は通院しながら実家の仕事を手伝っていたが、あるときから息子と同じ歳くらいの女が工場に出入りするようになった。やがて家業を息子と切り盛りするようになり、先代となった男は喜んでいた。浅野の祖父も周りの工場主らも若者が参入することを心から祝福したという。  だがある日、悲劇が起こる。 「事故でな、息子とその女性が車ごとガードレール突っ切って炎上して……転落したあと川に落ちてもうたんやって。そんでふたりとも亡くなって……」  浅野の声が少しだけ小さくなった。  その時代、近所で不幸があれば皆が寄ってたかって手伝いを申し出るのが基本だ。先代の嘆きようは尋常ではなく、床に伏せた先代の代わりに葬儀一切を取り仕切ったのが浅野の祖父母だったらしい。   「もう籍入れてて嫁さんになってたから葬式はふたりぶん出したらしいで。ばあちゃんがその人の実家に連絡取ったんやけどもう縁は切ってるから言うて誰も来んかったって」 「……よう聞く話ではあるけど食らうよな」 「そう、嫁さんは看護師やったて話や。息子が通院してたとこで働いてはったんかもな……こっからはゴシップ程度のうわさになるんやけどな、当時の週刊誌が嫁さんは事故の前にはもう死んでたらしいって記事を出したらしいってのがあって」 「それってほんとのことなん? いくらなんでも警察なんかが調べたらわかるんちゃうん?」 「車燃えたあと水の中に沈んでしもた事故やからな、調べきれんかったこともあったんかもしれん。じいちゃんらの間でもあり得ん話ではないって感じやったらしいし……俺は知らんけど息子をよう知ってた人らが言うんやからそうなんちゃうの」    だが週刊誌の話題なんてどの時代でも簡単に移り変わる。都市部とはいえ首都圏から離れた場所で起こった事故か事件かわからないこの出来事はわりとあっさり風化したという。  早坂はまた九条の方をうかがった。今度はぴくりとも動かない。  息子は生来の繊細さと心身の不調で療養状態でもあった。ささいなことがきっかけで取り返しのつかない事態を起こしてしまい、自身も命を絶ったのでは、というのが暗黙の了解でもあったという。  先代はそのまま寝付き程なく病死し、三人の遺骨は従業員のひとりが故郷に持ち帰って地元の寺に預けた。親類のいない工場は廃業までの数か月間を残った従業員と近所の同業者で回し、その後は自治体の厚意で設備などは使用できているが残された建物などの不動産は手付かずのままだ。 「まあもう昔のことやしな……井戸は使えそうなん?」 「それな、あそこの井戸ずっと枯れてたはずやのに水戻っててびっくりした。やからどうにかして使われへんか交渉することになってん。神社も屋台の組合と町内会で一緒に管理しよって話し合いして……ありがとうな先生、お祓いのこととかお稲荷さんのことも教えてくれて……あとから来た俺らと元から住んでた人らと連携できたらいちばんええことやもんな」 「井戸はもうふさがんでな。お稲荷さんは商売繁盛と普通の生活の神様やから大事にしたって」 「うん……やっぱりふうちゃん先生ってちゃんとしたお坊さんやってんなあ」    お兄さんよう食うなあ、次からおにぎり倍持ってくるから。と手を振る浅野を見送った。井戸の中の靴のいきさつはすでに亡くなった当のふたりにしかわからないだろう。けれどあの女は靴を見つけて喜び早坂の導きで行くべき場所に行った。らしい。何も見えていなかったからよくわからないが、九条がそう言うならきっとそうなのだ。  残されたサンダルも布の切れ端もきちんと供養した。もうこれであの女が現れることはないのだろうが、ここまで苦戦して解決につながないといけないことを目の当たりにしてしまうと九条が気の毒だった。   「なあ。フーシさん」 「ん?」 「息子ってあれやったんかな、俺みたいになんか見えてたんかな」  それは早坂も気になっていたところだった。九条はしょぼんと猫背になってしまっている。背筋を伸ばせの意味も込めて背中を強めにたたいてみた。 「そうかもしれんし違うかもしれん。なんにせよもうわからんことやし、どっちにしたってその人と九条さんは違う人やん。俺もおるしここは寺やから安心せえ」 「……なあフーシさん」  フーシさん、フーシさんと呼ぶ九条は少しだけ角の取れた顔つきをしていた。早坂に対する不信感とか、不審者を見る目つきみたいなのが和らいだ気がする。 「なに、九条さん」 「……フーシって偽名やろ。浅野さんに聞いたで、ほんまは『楓士』って書いて『ふう』って読むんやって? かわいいやんけ」    浅野ォ! と早坂はいきり立った。自分の二大いやなとこ、お化けが見えないこと。そして名前が可愛らしいこと。   「忘れて! 俺のことは早坂でええから! 九条さんは賢そうやからすぐ忘れてくれるよな!?」  ニヤニヤしていた九条は、今度は拗ねたように唇を尖らせた。 「ちゃうやろ……井戸のとこで名前呼んでくれたやん……次からそれで呼んでくれてもええよ」 「それって何?」 「名前! ふうちゃんは今から俺のことリクって呼んで!」  どさくさに紛れてふうちゃん呼びを許してしまった。こうなるともう怒るのも無駄な気がする。そしてなるほどなあ、とも思った。やはり本来人懐こい子なのだ。人間を動物に例えるのは失礼かもしれないが、今の九条は毛並みの良い大型犬の仔犬にしか見えない。  ふわふわとした前髪を耳にかけてやろうとして、そういえばこの子は仔犬ではなかったと慌てて手を引っ込めた。   「リク、そのおにぎりストーブで炙って食べる?」 「何それ。そんな楽しそうなことできんの?」 「いつでもできるよ。よう食べてよう寝てよう笑う。人としてちゃんと生きてたら怖いことなんかなんもないから」  堪忍してな、俺説教くさいこと言うけど説教すんのが仕事やねん。と続けると九条が目を輝かせて、それは俺の座右の銘と同じやな、と声を上げて笑った。     「第二章 都市伝説の作り方」へ続く 第二章は9月19日(土)21時~スタート予定です

ともだちにシェアしよう!