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第二章 都市伝説の作り方②
休憩時間を数分残して席に戻る。なんとなく食べた気がしないし、楽しみだったチキンはどうにも気分が悪くなった。
今日早坂は少し遅くなると言っていたから夜はどこかで食べて帰ろう。何を食べるかというよりはどこで食べるかの気分だ。明るい気分になりたいから浅野 の店に行くことにする。切り替えて午後を乗り切ろうと大きく伸びをしてそのまま体を後ろに倒してのけ反った。
するとにこやかに手を振りながら天井を歩いてくる男がいることに気がつく。こいつは別に霊などの類ではなく生きている人間だ。
普通に迎えるためにきちんと椅子に座り直すと、正しく床を歩いてきた門崎拓海 が「久しぶり」と言いながら九条の前で立ち止まった。
門崎は九条の同期である。採用決定からの研修ではチームリーダーを務めていたコミュニケーション能力抜群の男だ。好きな動物は「にゃんこ」らしい。
「なんか爽やかそう」「なんとなく誠実そう」「たぶんフットサルやってそう」など言われる典型的丸の内リーマンみたいな人物なのだが、生まれも育ちもコテコテの関西人だった。そして、「爽やかさがうそっぽい」「麻雀賭博での逮捕歴が五十回ある」「男女合わせて八人と同時交際している」などともうわさされているよくわからない人物だ。
門崎は「よっ」と爽やかにあいさつし、「ここ座っても大丈夫かな?」と空いた椅子を誠実に確認して九条の隣に腰を下ろした。フットサルを楽しんだあとのクールなリフレッシュウォーターの香りが心地良い……思わず「やっぱうそっぽいな」と口にしてしまったが、当の門崎には聞こえていないようだった。
「課長から伝言。会計で交通費の差額を早く受け取ってこい。ついでに総務でコピー用紙5000枚もらってきて。そして昼前の電話は用事があればまたかかってくるはず。これくらいかな。あ、これは俺からやけどおみやげの『かみがたにゃんこまんじゅう』、課長のデスクに並べてるから好きに食べて」
みなさんもよかったらぜひー。と全員に親切なのがうそっぽさの原因だろう。フロアの九割ほどが素直に「ありがとうございます!」と礼を述べたが、残り一割は「毒入りとちゃう?」などとひそひそしていた。出来すぎた人間というものにはこのように敵まではいかずとも障害が多いものだ。別名やっかみとも言う。しかし大の男が「にゃんこが大好き」などと公言しているのはたしかにうそっぽい。
「出張やったん」
「や、私用」
ちょっと近場で気分転換、と話す門崎の顔には疲労が浮かんでいる。周囲のやっかみなんてなんのそのみたいな男とはいえ精神的にきついこともあるのかもしれない。ぼうっとして椅子に座ったまま回転する門崎を置いて席を立った。何か飲み物でも持ってきてやろうと考えたのだが、本人が慌てたようにあとをついてきたのでそのまま一緒に歩いた。
なんとなく門崎のつむじを眺めて、そういえば早坂のつむじは見ていないなと考えた。身長は九条のほうが高いが、つむじを簡単に見下ろせるほどの差はないということか。ふむふむと思考していると、門崎が「今日は九条に相談したいことあってさ」と話しかけてきたので九条は心底驚いた。こいつが他人に相談事! うそっぽさの原因はまだあった。こいつは人に弱さを見せない。『相談』なんて単語を知っているとは思わなかった、などとはさすがに言わなかったが動揺したのはたしかだ。
門崎は開発企画部に所属しており、開発や研究棟などがあるそこは「本社」と呼ばれ、九条が勤務しているこのビルとは違う場所にある。二駅程度の距離とはいえわざわざ相談事のためにここまで来たらしいと知ったら腰を据えて聞く必要があると思った。うそっぽいとは思っていても気の合う友人だ。明るい雰囲気の浅野の店での夕食兼悩み相談を決定し、外部のラボに赴く予定のあった門崎とは一度別れた。
別れ際の安堵した顔が思い浮かぶ。思い悩む姿がまず異常だったが、心身の消耗にはとにかくメシだと、その足で会計に向かった。
「はい、じゃこれ140円ねえ。領収証はあとでメールで……営業さんって提出遅いからやっぱここで書いてって頂戴」
これね、と渡された見慣れた手書き用の書類におとなしく書き込んでいく。広い総務部の廊下に面した会計――正しくは経理課の超ベテラン女性社員は、カウンターに置かれたカゴからのど飴をすくい取って九条の手の中に詰め込んでくれた。
「ありがとうございます。それからコピー用紙10冊もらっていきますね」
同じくカウンターに置かれた台帳に備品庫から取っていく事務用品をチェックしていると、女性社員は「今持ってきたげるからねえ」と軽やかに行ってしまった。僕自分で行きますよ! と声をかけたのは、台車を使えど重量があるのと、九条がこのカウンターの前に立ったときから執拗に絡みついてくる視線から逃げ出したかったからだ。慌てて追いかけようとしたが、それより早く「九条さん」と目線の主から声をかけられてしまい、あきらめてそこにとどまった。
「……お疲れさまです、北見主任」
歩いてくるのは総務部主任の北見 という男だ。
営業一課の課長が、同い年とか同期とかそんなことを言っていた気がするから歳は五十歳前後、ひょろりとした体格の男で、細いシルバーフレームの眼鏡の奥から鋭い視線で人を見る神経質な印象の男だ。
「またコピー用紙? 営業さんはよう紙消費しますねえ。できたらもっと意識して経費節減頑張ってほしいんやけど」
「はあ。管理職に伝えときます」
この男と話しているとこちらもどうにも心がささくれ立つ。九条も内心「こんな言い方すんのあんまりええないよなあ」なんて思っているのだが、どうにも人をイラつかせることしか言わない北見とはそりが合わない。というか、そりが合う人間なんてこの会社に存在しないだろう。そうとわかっているから必要最低限の会話しかしないよう心掛けているのだが、北見はわりかし気軽に声をかけてくるし、立場上無視するわけにもいかない。会話の内容が嫌みだけだったとしてもだ。
じゃ僕も取りに行ってきます、と早々に立ち去ることにする。途中ですれ違ったふたり組が「うわ、北見主任おるやん」と立ち止まり、またあとで来る? と小声で話しながら引き返すのをほんの少しだけ寂しいような気持ちで聞いた。
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