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第二章 都市伝説の作り方⑥
昔の話だ。
門崎が小学生になる前くらい、自宅の冷凍庫に頻繁にストックされていた冷凍のカレー。ニンジンがごろごろ入っていて肉は薄切りの豚肉だった。ジャガイモは冷蔵の別添えになっていたと記憶している。
常温保存のうまいレトルトカレーも飽和状態の時代だったはずだが、門崎はこの冷凍カレーが大好きだった。少しだけスパイスを感じたがそれも大人っぽくて好きだったし、これを食べるときだけは一緒にジュースを飲んでもよかったのだ。なんとなく特別感があった。
いつのまにかこれがストックされることがなくなって、「製造中止」になったと知ったのは中学を卒業するくらい。これと同じものが常温レトルトカレーとなって販売されたが、あの冷凍時代のカレーとはまったく違ってつまらなくなった。たしかに美味しくはなっていた。洗練されたというのかもしれないが、門崎にはよくわからない。
そして次第に口にしなくなって日が過ぎていった。
冷凍食品メーカーを志望したのはこういったいきさつを覚えていたわけではなかったのだが、最終面接で目の前の面接官に「わが社のレトルト部門についてどう思うか」などと聞かれたとき、そういえばここはあの冷凍カレー売ってたメーカー! と思い出したときにはもう口が勝手に動いていた。
いかにあの冷凍カレーを愛していたか、スパイスの正体が「八角」だと知ったのは小学校二年生のときだったこと、このカレーに合わせたラッシーを自作したこと、製造中止を知ったときにお年玉を全部使って買占め母親に叱られたこと。
話し終えて正気に戻ったあとのあの空気、思い出すだけで息苦しくなる。もうこの世にない冷凍カレーオタクというか変態ぶりを披露しただけで終わってしまった、と絶望した門崎だったが、あそこにはもっと変態の面接官がいたらしい。なぜか受かってしまい、その後はまたなぜか畑違いの開発部に配属されて一年間なんとかやってきたのだ。
ほぼお手伝い状態だったがオタク気質の開発研究者たちは面白かった。向こうもそう思っていたに違いないし、なぜか「面接で自作カレーのレシピを披露しただけで受かった男」だとうわさされていたらしい。細かくいうとそうではないのだが、まったく違うとも言い切れないのがつらいところだ。
最近は社内中でそれが真実かのように話されているのを知って、少しだけ焦っていることもある。
俺はそんなに世渡り上手じゃない。面接官のノリが偶然合っただけだ。興味のあることにはのめり込むがそれ以外はどうでもいい。でもそれでは生きるのがつらいとは理解している。だから人の倍以上努力して、人の倍以上周りにアンテナを張って生活している。相手の話を聞き同調し、何が流行していて、誰が何をどう思っているか。ひとつも聞き逃さず皆と笑って話題の中心にいたい。
「僕、成績悪かったんですよ。スコアたぶんケツ」
門崎がそう言うと、それまで黙って話を聞いていた九条が目を見開いた。開示されていないものを決めつけるな、と言われている気がする。
「研修のときのチームリーダー決め。皆なんとなーく推薦で、みたいな雰囲気やったけど僕手え挙げたんですよ。『やります!』って。人事とか担当になんかええ印象できるやろって。やっぱシーンってなったけどすぐ九条が『俺サブリーダー』って言うて……言うてくれて。グループワークも楽しかった」
俺サブリーダー、の声を低くしたのは九条のモノマネをしたからだ。ずずっと鼻をすすったらもう我慢できなくなって顔を覆う。早坂が数珠を持つ手で肩に触れた。優しくて温かい。
人の輪の中心にいたいのにずっと人が怖い。あのとき皆が推薦したかったのは九条だったのだと思っている。同じ歳のはずなのに圧倒的に近寄りがたかったが、同時にずっと寄り添ってもいたかった。どうすれば同等に話すことができるだろうかと構える門崎の思惑虚しく、九条は自然体でおおらかだった。あれから三年たった今でも頑張って友人でいようとしているが、九条はそんなこと考えてもいないだろう。
そして紹介してもらったこの僧侶、早坂という男も九条とよく似ていた。まだ出会って間もないのに心のうちをすべて話してしまいたくなるのだ。少しずつ抱き寄せられてとうとう胸の中に収められてしまう。薄い僧衣からトクトクと心臓の音がして、それを聞いていたら嗚咽で不安定になった呼吸が静かに落ち着くのを感じた。
「カレーのうわさを北見が知ってたとしてもやで。なんで……」
「あの人ってちょっと俺と似てる気がする。けどあっちには俺はお調子者とかに見えるんかもしれんな」
「なんかムカつく、みたいなこと?」
それだけで? と九条は懐疑的だったが、さっきまでの直接ぶちのめそう思考は息を潜めたようで安心した。
「早坂さん、今僕に男の幽霊憑いてますか?」
「……いや、見えんな」
「やったら僕がおびき寄せます。たぶんできると思う」
おびき寄せる、とはいえホテルにまで出現した霊だ。門崎が普通に自宅にいれば簡単に遭遇するだろう。
九条が門崎の自宅キッチンに隠れて一時間ほどがたったが霊の気配はない。生霊だとすると向こうが就寝するなり意識を失う必要があるのかもしれないが、詳しいことはわからないままだ。「まあいっかいやってみるか」精神である。ちなみに早坂は屋上で待機している。
九条にとって門崎の告白は相当の衝撃だった。あいつは死に物狂いで如才ない「門崎拓海」を演じているのだ。そしてそれに気付いている少数が少しの違和感を持って首をひねっているのだろう。そうだとしても門崎はいいやつだ、九条は明日からそう言い回って歩こうくらいは考えている。この世のものではない何かに怯える自分と門崎の怯え、似ても似つかないものかもしれないが本質は同じことのような気もする。
現在午前一時半を過ぎた頃、今日もまた徹夜かとリビングをのぞいたら、ソファーに寝ている門崎が掛けている毛布を首元まで持ち上げる。九条の目は冷たい空気を感じる前に壁際にたたずむ白い影を捉えていた。
――来た。
早坂に通話をつないで隠れたまま影を観察した。徐々に輪郭がはっきりし、完全に男の姿をとる。
「……北見やわ~」
間違うはずもない。あの嫌みな眼鏡もひょろっとした体型もすべてが一致している。門崎によると立ち尽くしているだけ、だったが、今日は少し様子が違っていた。寝ている門崎の顔をのぞき込んでいるのだ。まずい、のか? 見えるだけで対処法はよくわからない九条は一瞬戸惑ったが、北見の指が門崎の首に伸びたのを見て大声を上げた。
「ふうちゃん!」
驚いた、といったリアクションをした北見は走って玄関に逃げた。この感じは早坂がここに近付いている証拠だ、しっかり立ち上がった門崎とともに外に飛び出す。ここは三階で霊体ならば飛び降りてもけがはしないだろうが、生身の人間だったら躊躇する高さだ。
北見は階段に向かって走っていて、そのまま自宅に帰りそうだった。家はどこだ、走って行ける距離でありますように……そう祈った九条の目の前に早坂が飛び込んできた。階段をおりてきたらしい、というか手すりを滑ってきたらしい彼は九条を見るなり「どこや!?」と叫んだ。北見が立ち止まる。
「ふうちゃん目の前や! なんかこう『お話聞くで?』みたいな姿勢で!」
「なに? どこやって!?」
九条を見たまま早坂が数珠を持つ手を振り上げる。着地の瞬間、真正面からエグい角度のアッパーカットをあごに受けた北見は美しくマンションから飛び出し、白く弧を描いてやがて消えてしまった。
手すりからスタイリッシュに着地した早坂が「さあ。お話ししましょうか」と姿勢を正し、門崎ががくりと廊下に座り込んだ。
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