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第二章 都市伝説の作り方⑦ 終

 結局一睡もできないまま朝を迎えた。九条は眠い目をこすりながら門崎とともに会社へ向かう。祈るように立ち寄った総務で北見の名前を告げると予想通りというか今日は病欠だと伝えられた。 「まあ、生きてはいそうやし……」    ここまで送ってくれた早坂は、あの直後からずっと「あー! 俺は人を殺めてしまったかもしれん……どうすれば……!」と取り乱していた。とりあえず肉体は無事かも、とメッセージを送ったが既読にならない。仕事中か、もしかしたら火の中で座禅でも組んでいるかもしれない。そんな修行は見たことがないがそこまで思い詰めていた。昼休みは見舞いという体の偵察に行かなければならない。同期だという営業の一課長がずいぶん昔の住所なら知っているとそれとなく教えてくれた。なんとなく今もここに住んでいる気がする。    食事もそこそこにふたりで自宅に向かったがそこは本社の最寄駅のすぐ裏手、単身者用のアパートが多く建つ一角にあった。道路に面した角の部屋で「北見」という手書きのプレートがドアに貼ってある。緊張しながらインターホンを押すと「開いてるよ」という男の声が返ってきた。 「……失礼します」  声をかけて入るとすぐ左側に小さなキッチンがある。玄関から見える奥の部屋から北見が顔をのぞかせていて、「まあ入れや」と手招きしていた。 「顔すごいっすね」  門崎が気を利かせて簡単な食べ物を持ってきていた。早坂のパンチは物理的に効いていたらしい。北見のあごは腫れあがり、両頬は赤黒く内出血していた。瞑った目の下には濃い隈が浮かんでいる。おそらく目が開かないのだ。ストローを刺した野菜ジュースを差し出すと、「すまん」と素直に飲み始めた。   「大丈夫ですか、っていうのもアレですけど昨日のことって……」  ああ、と自分の頬に触れた北見は乾いた笑いを漏らした。 「覚えてるわ。全部」    覚えている。昨日門崎の家に行ったことも、謎の坊さんが現れて急に殴りつけられたことも。そして気付いたらこの部屋のベッドで血まみれで倒れていた、らしい。情けない話やけど、と薄目で門崎を確認した北見はそっちに向き直った。 「馬鹿で情けない話やで。門崎さんが羨ましかったっていうたらええんかな、カレーのレシピうんぬんはほんまのこと知ってたけどや、君やったらほんまにあり得るなあとかな……そんで開発配属されたんやなあとか、まあなんや、おっさんの嫉妬や」 「嫉妬って……」 「俺からしたらな、君らは好きなことやってるだけに見えてまう。そしてそれでもええ評価されてるように見えるんや。俺のときはそんなん通用せんかった、ずっと研究職希望しとったのになんでってな……どこでもええから就職せえななんてやっとここ決まった俺はそんな希望もよう言わんかった。情けないやろ、でも今の若い子はええなて思えてるうちはまだよかった。そんなもん運でしかないのにな。生まれる時代さえ違ったらなんて毎日毎日考えて……俺は鬼にでもなってしもたんかもしれん。けどな、鬼でもケジメはつけるよ」  アパートの裏手を電車が走る。少しだけ建物が揺れた。   「門崎さんは開発なんて畑違いやったやろ? それでも楽しそうにしてんの見てたら自分が情けないでな……どうしたらあんたみたいな人間になれるかってな、それだけや」  それきり沈黙が落ちる。門崎は少しの間黙り込んでいたがやがてゆっくり口を開いた。     「カレーのレシピはねじ曲がった結果の都市伝説みたいなもんやし好きに言うたらええわと放ってましたけど……これからはちゃんと真実を言いますよ。けど真実のほうが都市伝説みたいやと思いません?」      北見が唇を歪ませる。笑ったのだと思った。嫌みのない、思わず噴き出したみたいな笑い方だった。   「本当に恥ずかしいことをしてしもたな……申し訳ない。昨日俺を正気に戻した坊さんにも伝えといてくれ。あの生霊はまともな人間に生まれ変わるはずやと」  明るい昼間の光の中、窓に遮断機の影が映った。カンカンと小さく警報の音が聞こえる。溶け始めたアイスを三つ袋から出した九条は、これみんなで食べ終わったらもう少し買い足してきますから、と真面目な顔で言った。  どうせそのあごやったら一週間くらいまともに食えんでしょうから。    北見が長い有給休暇を消費しはじめてそのまま退職することになった。  理由は不注意で階段から落ちて顔の骨を折り、療養が長引くから。真実ではあったがこのまま戻ってこない理由ではないだろう。  一課長は「数少ない同期だったがな」と言っていた。同じ年齢で五十歳なら所謂「氷河期」と言われていた世代だ。この会社での騒ぎの発端は「就職氷河期」と自分たちの世代間ギャップがうまくはまらなかったものに違いない。  九条たちは就職先がなかった、と嘆く北見たちが信じられないがそういう時代はたしかにあったのだ。わりと飄々として見える一課長もあまり若いときのことを語らない。知らないことは知った顔で語るべきではないし興味本位で聞く必要もないことだ。    危うく生霊殺人犯にならずにすんだ早坂は、感謝のあまり北見に礼を言いたいと言っていた。ふうちゃんは解決した人なんやからええやん、と九条は毎日とりなしているが、前回と同じくまったく手応えがないと少々すね気味ではあった。生霊への対処はもう少し考えたほうがいいのかもしれない。    実は昔、一度だけ九条に生霊が憑いたことがある。中学生のとき一週間だけ付き合って一方的に別れを告げてきた同級生だったが、ある夜から九条の枕元に立ち始めたのだ。  怖いというより不思議だった。なぜ振られた俺を泣きながら見る? そのうち新しい彼氏ができたらしいとうわさを聞いた途端に九条の元からいなくなってそれきりだったが、成長するにつれその子の気持ちがなんとなくわかったような気がした。人間の気持ちなんてそう簡単に切り替わらないし、口に出した言葉が真実とは限らない。あのとき九条が「別れたくない」とひと言でも反論していたら、あの子は枕元には立たなかったかもしれないのだ。    一課長が管理職宛てに回ってきたメールを、おもしろそうに九条に見せてきた。十月から開発部に常勤のパート社員が配属されるらしい。ボーナスも出ないのに酔狂だな、と鼻で笑っているがなんだか楽しそうだった。    これがケジメか北見さん。安定しているが納得できずに燻っていた場所を飛び出し、若い頃からの夢をついに叶えるのか。    だったら面白いうわさを流してやろう。あの伝説の冷凍カレーを新しく開発に入ったおっさんが復刻するらしい――俺ならやれると嫌みに笑うのだろうか。門崎が納得する味をあの北見が一生懸命作っている様子を思い浮かべると、特に忙しくもない眠い午後が楽しくなる気がした。 終.   「第三章 疫病神、本懐を遂ぐ」へ続く 「閑話① 浅野と九条」を10月4日(日)21時~投稿予定です 第三章は10月6日(火)21時~スタート予定です

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