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閑話① 浅野と九条

 断続的に訪れていた「真冬のような冷え込み」がようやく顔を出さなくなったころから、浅野健吾(あさのけんご)が経営する屋台店に顔を出す若い男がひとり増えた。 「浅野さん、こんばんは」 「いらっしゃい! お好きな席どうぞー!」  新顔の若い男、九条陸(くじょうりくと)は軽く会釈すると、慣れた様子で冷蔵庫からビールの中瓶を一本取り出し、ガラスのコップを持っていつものテーブル席につき、こちらに背中を向けて座った。シャッターを上げた倉庫店のいちばん奥のいちばん隅だ。  浅野としては、できたら店のいちばん手前に座ってもらいたい。それが無理ならせめて顔面を店の外に晒していただけないか、と思っている。女性客を増やしたいのはスケベ心ではない。彼女らは可愛いものがあれば写真を撮り、美味しいものがあれば写真を撮る。そして気軽にシェアしてくれる。要は戦略としての口コミ狙いだ。  そのための餌……九条はとにかく顔がいい。なんというか砂糖菓子のように甘い顔立ちをしているが、可愛い、というわけではないのがポイントだ。背が高くスーツ姿も異様に美しいが堅気でしかない、という雰囲気がある。  イケメンというのが多数意見だろうが、たまに店を手伝ってくれる祖母が「なんちゅうハンサムや」と言っていたのがいちばんしっくりきた。    九条が最初に店に来たときは、鬼気迫る勢いでものすごい量を食べていた。ランチを逃した会社員のために店を開けていてよかった、と心の底から思ったものだ。  そのあと連れだってやって来た、僧侶の早坂楓士(はやさかふう)とは元から知り合いであった。それから井戸の顛末を経て、奇妙な縁が続いている。 「豚バラ串お待ちっ」  背中を向けてメニューを見ている九条の至近距離で叫ぶと、ビクっと椅子から動いたあと少しだけ頬を膨らませて振り返った。 「頼んでないけど頼もうと思ってました」 「一本サービスしといたから」  小声で言うと笑顔に戻った。砂糖菓子ハンサムはどんな表情をしていても悪くない。  浅野はそのまま、まかないのトレイと一緒に九条のテーブルに腰を落ち着けた。これを逃すとあと数時間は何も食べられない。適当に作ったオムライスにスプーンを入れると、九条が「これシメに作ってください」と言い出した。こうやってメニュー以外の裏メニューがどんどん増えていくのだ。   「お寺の生活どう?」  これから寺に下宿するらしい、というのは早坂から聞いている。今どきこんな若い子が寺に下宿など珍しいのではないだろうか。 「楽しいですよ。いらんこと考えんで済むし」  そうか、楽しいのはええやん。と答えたが、今の言いかたには少しだけ含みがあった。  このハンサムには少し影があるのだ。いや、影があるからハンサムなのかもしれない。愛想も態度もいいが、たまにふっと表情が抜け落ちる瞬間があった。誰かを探すような、あるいは何もない場所を見つめるような、そんな一瞬の間だ。  職業柄観察眼はあるほうだが、それを深読みして暴いたり想像したりすることはしないよう心掛けている。いやなことを忘れるためにひとは食うし飲む。浅野は決して詮索しない。あの寺の住職代理もそんなタイプだ。 「ふうちゃん先生もさ、」  ふうちゃん、と言うと九条がぐっと顔を上げた。瞳が待ってましたとばかりに輝いている。   「浅野さん、この前ふうちゃんの本名教えてくれてありがとう……おかげで間違って覚えんですみました」 「ほんと? よかったー。先生の名前初見では読まれへんよな。字見たらめっちゃかっこええのに読み方あんな可愛いなんて。なんか素敵よな」 「……イヒヒッ」 「九条くん?」  まさかハンサムが「イヒヒ」なんて笑うわけがないので空耳だろう。翳りの見えた頬には赤みが戻って楽しそうだった。だからまあ良しとした浅野はひとり勝手に納得する。 (ふうちゃん先生のこと気に入ったかな。あの人胡散臭いけど悪い人やないし)  詮索する気はないが、今の九条は見たまんま機嫌がいい。いいところに下宿が決まって喜んでいるのだろう。  豚バラの皿はいつの間にか空になっていて、九条はまたメニュー表を見ながら満足げな顔をしていた。 「このオムライスの中身ナシゴレンにしたのテイクアウトで」 「それはもうどこの国の何料理なん。うちは一応東南アジアっぽい料理が売りの屋台やからな」  とは言ってもすぐにこれはメニューに追加されるだろう。誰かひとりでも興味を持って食べてくれるといいのだが。  追加の注文を受けて浅野は立ち上がった。二本目のビールを取りに行くらしい九条も立ち上がる。足の長さが倍くらい違う気がしたが見なかったことにしておこう。 「ふうちゃんは食べ物何が好きなんですか?」 「うーん、ここ来たのこの前初めてやったからな……お寺食堂のときはなんでも食うてはるし好き嫌いはないはず」 「ソース焼きそばやったら誰でも好きやんな。ふうちゃんも食べれるかな……浅野さん、ソース焼きそばも持って帰ります」 「俺が作る感じ? ソース焼きそばって東南アジアの料理なんかな?」    ふうちゃんふうちゃんと呼ぶ九条は楽しそうでいいことだ。  他人の事情を全部知ろうとする必要はない。腹一杯食べて、笑ってくれて、たまには泣く客がいてもいい。  屋台店主の浅野にとってはそれで十分なのだ。 終.

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