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序章 憑かれすぎ男と無敵の偽物霊媒師 3
「悪霊退散! 南無阿弥陀仏!」
早坂は大声で叫びながらベッドに寝ている男に近付いた。目の下の真っ黒い隈が不気味だ。袂から出した数珠を男の枕元にたたきつけると唸りながら目を開ける。みるみるうちに隈が薄くなるのを確認して合掌した。
「終わりです」
「えっもう? ……お父さん!」
「あれ? なんや、なんかえらい寝てた気いするなあ」
「あっ、思ったより入ってる!」
あのあと元気に起き上がった主人と依頼人に見送りはいらないと伝えて家を出た。
今どき小寺なんてジリ貧だから臨時収入はありがたい。今週はこの手の依頼が数件入っているし、たまにはぜいたくに回らない寿司でもと思ったところで背後から鼻で笑われる気配がした。この不気味なイケメンはいつまでつきまとってくるつもりなのだろう。
素早く車に乗り込んで退散するのが利口だろうと足を速めると、また腕をつかまれて車の影に引きずり込まれた。
「……マジでなんなんさっきから。警察呼ぶで」
「その前にちょっと教えて。さっきの男の人に憑いてる霊ってどんなんでした? そんでお兄さんは何をしたん」
「どんなんって……」
「見た目、悪霊なんか死霊か生霊か。人か獣か。それをあんたはどうしたん?」
「なんでそんなん聞くん」
「……いや、こういうの見たん初めてで。ただの興味っす」
そう言うとイケメンは早坂の腕を開放してまた辺りを見回した。どうなん、と聞かれて観念する。
「動物や。たぶんそこのお稲荷さんやったものかな。もう祀られてないみたいやしお祓いした。これでええ?」
「ありがとうございます。ようわかりました。お兄さんって……なんも見えてへん人やろ」
男の顔がほんの一瞬だけ引きつった。逃げ出さないように再び押さえつけた男の腕の筋肉が緊張からか強張る。見上げてくる黒い目が潤みはじめて九条は内心大焦りだった。
ちゃうねん! 自分でも不審者丸出しやってわかってる!
自分について離れない濡れた女は想像以上にしつこくて厄介だった。どうしても表通りに出られない。ここが知らない土地でないことが余計に焦りに拍車をかける。
女は確実に何かを訴えているが、こういったものの思いや願いは想像するのも叶えるのも危険なのだ。見えないふりでやり過ごすのが困難なほど強い霊なのか、それとも忙しさにかまけて修練をおろそかにしていたことが原因なのだろうか。
どちらでもあるなと反省し、目の前に見えてきた小さな鳥居をくぐった。
古びて寂れた社だが手は行き届いている。誰かがきちんとここを気にかけている気配がある。
空気が軽くなって大きく息を吸った。女は鳥居からこちらへは入ってこられずにぐるぐると同じところを回っていたがあきらめてはくれないらしい。
もうすぐ日が落ちる。真っ暗になったらもっと状況は悪くなるが、この神社でひと晩を過ごして体力を消耗したくもない。
詰んだかも、と少し諦めかけたときだった。
ぐるぐる回っていた女がぴたりと足を止め、怯えたように数歩後ずさる。
奴等は自らの欲求を満たすことしか考えていない――そう九条は思っている――ため、外部からの干渉にはそれが慈悲であろうが基本反応しない。言葉が通じないとも言う。
なのに今この女は何かを見て逃げるそぶりを見せている。人でないものと数十年接してきて初めて見る姿だった。
何があるのか、九条は女の視線らしきものの先を見た。
数十メートル先、黒いコートを着た男が家から出てくる。そのまま隣のトラックに向かうのを確認して神社から飛び出した。コートに見えたものは翻った法衣の裾だったからだ。
おそらく僧侶。あの車で移動するなら乗せてもらおう。だが数時間歩き回って疲労困憊の体はもう限界だった。足がもつれてうしろから襲いかかるように男の手を握ってしまう。
悲鳴を上げる男を宥めながら手を離せなかったのは、どうにも気分が良くなったからだ。
すっきりして体中に澱んだものがすべて消えてなくなる心地だった。今日女を見てからずっと纏わりついていたヘドロが浄化されて透き通った水が流れる。さっきの神社の中よりも深く呼吸ができた。
辺りを見回すと、あの濡れた女は半日ぶりに九条の前から姿を消していた。
しかしこの清浄機みたいな男はくせ者だった。見た目ではない。仕事ぶりが、だ。
逃げ出した男に無理やりついて行くと、なんと今からお祓いうんぬんを行うという。僧侶の衣装を着ているから加持祈祷の類だろうが本当に力のある人間らしい。
だが悪霊が取り憑いた者がいるという部屋に入ったところで異変が起こった。
男がバアン! と思い切りドアを開け放ったところでドアの前にいた嫌な気配が部屋の真ん中に移動したのだ。
気配、というより九条にははっきりその姿が見えていた。なんとか人間の形は保っているがよくないもの、悪霊の類だったが動揺した感じはさっきまでいた女と同じ反応だった。まるで今ここから逃げ出すためにドアの前に来ていた様子だ。
そして問題はここからだ。男は真っすぐに正面のベッドに向かったが、部屋の真ん中にいる悪霊には目もくれない。九条のように意識的に見ないふりをしているでもないらしい。
この僧侶姿の男には、目の前の、人間ではないものが見えていない。
その証拠に、常人ならば立ちすくんでしまうだろう外見の悪霊を気にするそぶりも見せずにそのど真ん中を通過する。
哀れにも悪霊は断末魔を上げて霧散した。そして男が悪霊退散! の「あ」を叫んだところでもうすでに部屋の中は清浄な空気に包まれる。
悪霊を退散させて、かつ浄化までやってのけた。こいつは一体何者だ。
名のある高僧というには若いし軽薄な印象がある。何より、見えないらしいものを法衣を着て祓うなどとは胡散臭いことこの上ない。
女の姿がふいに見えなくなったのも悪霊の姿がかき消えたのも偶然なのか、この男の正体と本質を確かめたい。
師の教えに背くつもりはないが、物心がついたときからつきまとう奴等から解放されたいというのも本音だった。
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