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第四章 けものあやかし②
「乾杯~!」
陽気にビール瓶を掲げるのは九条の同期である門崎拓海 だ。相変わらず爽やかな男だが、今日は相談事があるという。前回のこと――生霊が門崎を襲った事件――があるから構えてしまうが今はどうなのだろう。
生霊になった元社員、北見が今勤務しているのは開発部だが、門崎の所属する開発企画部も同じ社屋にある。うまくいっているのかとそれとなく聞いてみたが、今さら? みたいな空気だった。
「北見さん冷凍カレー作ってんの。またおいしいのできるかなあ」
「マジで? まだうわさ流してないけど」
うわさ? と聞き返されてなんでもない、とごまかしておく。北見のことは心配ないだろう。なら今回は一体なんだ。
あのな、と小声になる門崎に顔を近づける。これって前もこんな状況じゃなかっただろうか。こういうのを既視感とかいうはずでほかにもなにか言い方があった気がする。
「最近毎日夜中変なのが出てくる……」
門崎がそう言うのと、九条が「デジャヴ!」と叫ぶのはほぼ同時だった。
早とちりをしたのは九条だ。門崎は続けて「……って弟が」と言い、「デジャヴってなに?」と誠実に聞き返してきた。
「忘れて……っていうか兄弟で同じような目に合ってんの? いっかいまとめてお祓いでもやったら?」
「俺もよくわからんっていうか、前から泊まりに行ってたやろ? 夜寝られへんとか言うだけで最近まで理由がわからんかったんやけど。この前ようやく聞き出したらな、なんか毎日大きい動物に追いかけられる夢見てるって言い出して……」
門崎が頻繁に弟の家に泊まりに行っていた理由はこれか。自分もしんどい目に合っていた最中だったのにすごいな。と純粋に思った。だが大きな動物に追いかけられる夢、とは危険な気がする。
九条は動物の霊というものは見たことがなかった。獣のような見た目をしたモノ、ならよく見るが純粋な動物には出くわしたことがない。ただ見たことがないだけで存在はするのかもしれないが、わりと未知な分野ではあった。
「弟さんってなんていうか、今心身ともにキツいこととかないん?」
「どうかな。まあまあ神経質や奴やからあるかもしれん。けど俺もあのときストレスとかで片付けられんでよかったって思てるから……一応あの、九条から早坂さんに話とおしてもらいたいなって」
まあそうかと納得する。自分だってこの特異体質を疲れだの気のせいだのと言われていたなら、もっと人生がしんどかったと思っているからだ。
「直接言うたらええんちがう? 名刺交換してたやん」
「……恥ずかしいやろ」
こいつは宮内どころか早坂まで射程圏内なのだろうか、と表情を伺うが、まあまあ本気の人見知りを発動しているだけのようだった。あの生霊騒ぎがあってから、門崎はほんの少しだけ素のままの姿を見せてくれるようになったと九条は思っている。そして友人が早坂に惚れているわけではないとわかってなぜか少しだけ安堵した。
門崎が寺に来るのは二度目だ。以前の礼にと一度訪ねてきたことがあったが、早坂は不在で会えなかったのだ。
乾燥しだした空気に少しでも水分を含ませようと庭木や砂利に絶え間なく水をかけ続けていた九条は、車が門の前の駐車場に入るのを境内から目撃し、そこから大声で「ふうちゃん!」と声をかけた。
やがて境内に入ってきたふたり組のうち、前方にいたほうが九条を見て駆け寄ってくる。友人である門崎だ。後方にいた人物の顔はまだよく見えないがおそらく門崎弟だろう。背格好がよく似ている。
「今日は時間とってもらってありがとう、この季節もええな。前来たときは真夏やったけどまた違う雰囲気があるっていうかええ感じ。あっ、そのとき庫裏やったっけ? そこ見せてもらったんやけど今日も見せてもらっていい?」
しゃべる前に後方の人物を紹介してくれよ。
ゆっくり歩いて来て追いついた人物は所在なく立っている。やはり門崎とよく似ている。髪の色が明るめのブラウンなのと、少しだけ線が細くて背は門崎より高い。爽やかさをちょっと引いて陰を足したらできあがりました、というイメージだ。
ひとり話す兄をどうしようか、と思っていたところに墓地のほうから早坂がおりてきた。今日はいつもの黒衣の上から茶色の袈裟を身に着けていて、いつもより楚々として落ち着いた雰囲気がある。ふうちゃん、と呼びかけて口を閉じた。
早坂は自分の名前が好きではないらしい。その証拠に口頭で自己紹介するときは姓のみか偽名を名乗るし、悪霊払い関係で配る名刺は寺の所在や法名は記していない俗名のみのシンプルなものだが、漢字のみでローマ字もふりがなもつけていない。これは「早坂」は「はやさか」以外の読み方をあまり聞かないというのもあるだろう。
同じ理由で九条も漢字のみの名刺だ。名前は「陸」と書いて「りくと」と読む珍しいものだが、ビジネスの場でファーストネームを呼ばれる場面はそうないから問題ない。門崎は逆で、初見で「かんざき」と呼ばれることはそうないと、大きなふりがなメインのカスタム名刺を作ってもらっている。
九条は以前、門崎の前で何度も「ふうちゃん」と呼んだからもしかしたら気づかれているかもしれないが、弟にはなんとか隠さなければ。そう思って「先生」と声をかけたら、兄が「あっそうや」と早坂に向き直った。
「ぼく名前間違って覚えてしもててすみません。ほんとは楓士って書いて「ふう」って読むんですよね。ごめんなさい」
「……ううん全然平気。誰から聞いたんかな」
「屋台の浅野 さんに教えてもらいました!」
浅野ォ! といきり立つ早坂を見るのは二回目だ。まったく悪意も悪気もない浅野の笑顔が浮かぶ。眩しいほどに善意に満ち満ちた笑顔だ。
「それで浅野さんはふうちゃん先生って呼んでてなんか可愛いなって。ぼくも呼んでいいですか?」
早坂はこの願いを無下にできるほど悪人ではないが「もちろん」とほほ笑んだ笑顔が本当は恐ろしいというのは、ここ一年ばかりで学んだことのひとつでもある。弟にもすぐに知られてしまった早坂の本名だったが、特に鼻で笑われる気配もなくふたりを自宅に案内した。
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