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第四章 けものあやかし⑥
柊真が寺で寝泊まりをするようになってから数日がたつが、動物は出てこないらしい。
九条と作務を行い、朝活しにくる檀家のお相手をし、昼間は早坂の手伝いをしているという。川瀬が昼食を食べに帰る日もあるそうだ。教師は学校から出られないと思っていた九条は驚いたが、電話番や緊急対応をする数名を持ち回りにしているらしい。なので当番でない日は帰ってくるのだが、ここでようやく米五合の謎がとけた。
早坂は不在のことも多いが、いれば昼は必ず米を食べる。この時点で朝炊いた五合はすでになくなっているのだ。一升炊きに買い替えるか、もう庫裏にあるガス炊飯器を使ったほうがいいんじゃないだろうか。
九条はソファーで横になってネットで炊飯器を片っ端から探し始めた。休日の朝食の片付けが済んだばかりの長閑な時間を破ったのは、スマホの大きな着信音だ。「病院からです」と振り返った柊真は、少し緊張した面持ちで電話に出る。
「はい、門崎です。……はい、……え」
みるみるうちに柊真の顔色が変わっていくのを、三人は固唾をのんで見守った。通話を終えるとへなへなとその場に座り込んでしまう。
「大丈夫? 深呼吸して……なにがあった?」
「先生……」
柊真は顔をまっ白にして、すでに通話を終えたスマホを手放せずにいる。また早坂が「大丈夫」と言いながら、柊真の固く握りしめた手を包み込んだ。
「……うちの子とよう似た状態の仔猫が昨日の夜保護されたらしいんです。首んとこに巻かれてたやつが首輪やなくて結束バンドやったって。マジックで番号まで書いてあったって……」
その場にいた全員が息をのんだ。虐待の可能性が高いとして、病院側はすでに警察に連絡しているという。柊真の仔猫の首輪も、もしかしたら同じようなものだったかもしれないから一緒に報告する、と病院側は言っていたらしい。
「ふうちゃん、番号……ってどういうことなん」
「多頭飼育……いや飼育っていうか」
虐待やろなあ、という早坂の言葉に柊真の顔がさらに白くなった。
「そしたらあのDMって」
九条が呟くと、「閃いた!」という顔をした川瀬と目が合う。「たぶんこうなんじゃない?」と漠然としていた推理が、急に輪郭を持ち始める。
「柊真くんが助けたチロはたぶん被虐待個体……番号ふって管理してた中の一匹やったんかもしれんね」
「そんな……」
「動画見て気付いたんかもね、逃げ出した自分とこの猫やって。普通はほっとくやろけど、結束バンドに番号まで見つかったら通報される。それで取り戻そうとして家探ったんかもしれん」
母猫の呪いではなかった。これは生きた人間の、しかも歪んだ執着の産物だ。
柊真の膝の上に転がったチロが、何も知らずに呑気にあくびをしていた。
「柊真くん、これはもう警察に行くしかないわ」
九条の言葉に、柊真は困ったように視線を彷徨わせた。
「でも……それやったら拓海にも絶対知られてしまうし」
柊真くん、と今度は早坂が少し強い声を出した。
「小さい動物の命弄ぶ人間はな、エスカレートして次はほとんどが人間に興味示すねん。心配かけたないとかそんな場合とちゃうのはわかるよな?」
「……わかってます。わかってるんですけど」
柊真はしばらく黙っていたが、やがて頭を下げた。
「もう少しだけ考えさせてください。ちゃんと答えは出します」
大人三人は顔を見合わせたが、それ以上は強く言えなかった。人には人の抱えているものがある。
結局その日も柊真は警察への相談を先延ばしにしたまま、チロを寺に預けて荷物を取りに一度実家へと戻って行った。
このあと柊真の夢に出てくる動物は「虐待者の生霊ではないか?」という結論になった。自宅を特定されているのだからあり得る話だ。
しかし生霊に苦手意識のある早坂は及び腰だった。あのアッパーカットの記憶がまだ尾を引いているらしいが、前回の北見の怪我を直接見ている九条にはわからなくもない。今回は庇う余地もない犯罪者とはいえ、再起不能にさせてしまうのは早坂に新たな心の傷を与えてしまいそうだ。
生霊だとして今回はどうやって対処するか。話し合う途中で全員が眠ってしまい、飛び起きたのは九条のアラームが鳴る二時間も前の着信、あっちも実家でうっかり寝てしまった柊真からだった。
久々に夢に動物が現れたらしい。
早坂と九条が迎えに行き、帰ってくるなり「ここに噛みつかれました」と肩口を示す柊真は、今までの様子とはまったく違った夢の内容を語った。
必要な荷物を手にした柊真はすぐに寺に戻るつもりでいた。あそこは居心地がいい。ひっきりなしに人が出入りするのに妙に心が凪いで穏やかな心地になるのだ。
迷惑をかけていると痛感しているが、門崎に真相を話すのはためらわれた。兄が頼りにならない、などでは決してない。門崎は柊真が危険な目にあっていたら捨て身で自分を救うだろう。
昔門崎が、コレクションしていた冷凍カレーの最後のひとつを泣きながら柊真に差し出したことがあった。「これ食べて」と号泣する兄に正直白けたし、スパイスがあまり得意でなかったから丁重にお断りしたのだが、あまりに泣く兄を無視するのも申し訳ない気がして、半分ずつしてなんとか完食した。それを見つめる兄の目は忘れられない。何かとちぐはぐだが優しい男だ。あれが小さな動物を傷つける人間と相対するなど想像するだけでも恐ろしい。
チロがそばにいない夜は久々だった。おっかなびっくりといった具合でなんとか世話をしているが、今まで動物を飼ったことがない柊真にとって、天真爛漫な仔猫と暮らすのは大変だった。大怪我のこともあり気をつかうしお金だってかかってしまう。
だが、手放したら? などと今更言われてもそれはもう無理だった。もう自分の弟のようなもので、こいつのためならなんだってできるかもしれない。この思考は門崎に似ているなと思った。これが兄というものだろうか。
そんなことをずっと考えていたら、うっかり実家のソファーで眠ってしまったのだ。
そして久々にいつもの夢を見た。大きな何かに追いかけられ、逃げ場を求めて走り回るあの見慣れた悪夢だ。追い付かれて目が覚める。ここまでは同じだが、今夜は続きがあった。
目を開けたあと、横になったままの体を引き起こされる。なにが、と思う間もなく肩口に鋭い痛みが走り、思わず「痛っ!」と叫んで肩を押さえた。鋭い牙に噛みつかれたような痛みだ。
跳ね起きた柊真は、暗い部屋の中で目を慣らすのに周囲を見回した。寺の三人が言う、猫を虐待している人間が実家のここも特定していた可能性があるのかもしれない。急いで立ち上がった耳元で大きな鳴き声がした。動物、猫の鳴き声だ。細い仔猫の声ではなく、しっかりしたよくとおる大きな声。
電気のリモコンに飛びつき、震える指でスイッチを入れた。明るくなった部屋の中は自分ひとりで、不審者も動物も気配さえなく静まり返っている。
夢だろうか。痛いはずの肩も今はなにも感じない。恐る恐る鏡を見てみるが、傷もなければ、血のあともない。服も破れていない。座り込んで九条に電話をかけたのだ。
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