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第9話
「お母様、しっかり。お母様!?」
「うぅ、むぅむん。ふむむ……」
玲美の酌を受けるたびに、虚空は彼女にも杯を返していた。
この世界の酒は、虚空にとってアルコール度数がかなり低い。
そんな男から酒をどんどん注がれては、玲美も酔い潰れてしまうというものだ。
茉希に助け起こされ、使用人に担がれて、彼女は自室へと退場して行った。
「……計画通り」
「虚空さま、何かおっしゃいましたか?」
「いや? 何も」
さて、と虚空はリビングの上質なソファから立ち上がった。
「今度は、茉希からのもてなしを受けたい」
「僕の、ですか?」
「当初は、その予定だっただろう」
「はい。でも、お母様のおもてなしを受けた後では、僕は……」
気にしない、と虚空は即答した。
豪勢な料理はいらないし、高価な酒も欲しくない。
「まずは、茉希の部屋へ行きたい」
「はい、喜んで!」
茉希は、虚空の飾らない言葉に救われた。
虚空は、茉希のもてなしを想像し、密かに心拍数を上げていた。
日当たりの悪い、狭い部屋。
まるで下位の使用人が、数名共同で使うような場所が、茉希の部屋だった。
しかもそこは、まるで物置小屋だ。
何かの切れ端や、欠けた食器類。
壊れた木の椅子や、破れた衣服などが、放り込まれていた。
「ご、ごめんなさい。散らかってますよね。僕、しばらく不在だったから……」
すぐに片付けます、と焦る茉希が、虚空には哀しくも愛おしかった。
(私をもてなすために、このゴミの山を一人で何とかしようというのか?)
「私が、手を貸そう」
「いいえ、お客様に片付けものをさせるわけには」
断る茉希に近づき、虚空はその細い肩を抱いた。
「こ、虚空さま?」
「誰にも、言ってはいけない。内緒だぞ?」
いたずらっぽい笑みを浮かべた虚空は、宙空に指先で複雑な紋様を描いた。
そして。
「コレアドゥル・ドレアコゥル。万物の素へ還せよ。ラディラトゥス・ヴーム」
静かに、難しい呪文を唱えた虚空の腕の中で、茉希は目を円くした。
無断で運び込まれていたゴミの山が、あっという間に消えてしまったのだ。
「こ、これは一体!?」
「まだ、半分だ。後は、茉希の助けが必要だ」
「僕の助け、ですか!?」
「そうさ。茉希は、どんな部屋へ私を招きたかったのかな?」
目を閉じて、イメージして欲しい。
そんな虚空の誘いに、茉希は考えた。
いつも思うのは、もう誰も使うことのなくなった、ある部屋だ。
(芳雅兄さまの、お部屋。あんな部屋で、いつか僕も暮らしたかった)
シンプルだが、温かみのある木製の家具。
光がいっぱいに差し込む、緑のベランダ。
難しい魔導書が何冊も並んだ、書架。
「それから、瓶の中には香り高いハーブが……」
「意外と茉希は、欲張りだな」
は、と茉希は目を開いた。
「ご、ごめんなさい! 僕ったら、勝手な想像に耽って……あぁっ!」
茉希は、言葉を失った。
目の前は、イメージ通りの室内に変わっていたのだ。
「気に入ったか?」
「いえ、あの、これは……」
「万物の大元は、原子や分子など目に見えない微小な存在だ。それは、知っているな?」
「……」
声の出せない茉希に、虚空は簡単な説明を施した。
ゴミの山を一度、原子レベルまで粉々にする。
その後、茉希のイメージに合わせて、作り変える。
口で言うのは簡単だが、こんな魔術が使える者は、ごく一部に限られる。
(まさか、そんな。虚空さまは、まさか……)
神。
でなければ、悪魔!
茉希の世界では、悪魔は魔人より恐ろしいものとされている。
太古の昔、総人口の半分の命を、一瞬にして奪ったと言い伝えられる、忌むべき存在。
今でも、悪魔に魂を売り渡して強い魔力を手に入れ、ヒトから魔人になる者がいるという。
悪魔の姿を実際に見た、という者はいない。
それでも、恐怖におののくには充分過ぎる伝説が多く残っていた。
「この魔術は、秘密だ。でないと『何でも屋さん』にさせられるからな」
ゴミ屋敷をきれいにしたい、とか。
この顔を少しいじって美人になりたい、とか。
中古で買った自動車を新車にしたい、とか。
そんな風におどけて見せた虚空は、茉希の返事が無いことに気付いた。
喜ぶかと思って披露した魔術だが、彼の顔色はあまり良くない。
虚空の胸に、後悔の染みが広がり始めた。
(こんな高等魔術を見せるのは、まずかったか)
茉希に、怖がられたかもしれない。
しかし、とも思う。
いずれ明らかにするつもりなら、早目にバラした方が良い。
情が深くなればなるほど、別れは辛くなるのだから。
「ここへ座って、茉希」
空色のカバーが掛けてあるソファに、虚空と茉希は座った。
「君にだけ、私の秘密を話そう」
「秘密?」
「そう。私がなぜ、こんなに強い魔力を持っているか。そして」
なぜ、こんなに魔人を憎んでいるか。
視線は宙空に泳がせたまま、虚空は昔を語り始めた。
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