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第11話
虚空は、腕にすがって涙をこぼす茉希を見た。
気怠く宙空をさまよわせていた視線を、ようやく茉希に落とした。
すると彼も、潤んだ瞳を真っ直ぐ虚空に向けたのだ。
「虚空さま」
「茉希。えっ? あ……?」
彼の瞳が、どんどんこちらに近づいて来る。
唇が、触れ合うほどに近づいて来る。
「……!」
茉希は、自分の方から虚空へ口づけを贈っていた。
(待て。このタイミングで、か!?)
驚き慌てた虚空だが、腕をしっかりと掴まれているので自由が効かない。
(茉希……なぜだ? なぜ、私にキスを?)
彼から『おもてなし』を受けようと、浮ついていた下心など、どこかへ吹き飛んだ。
ただ、茉希の口づけは、その涙と同じように温かかった。
凍てついた心を溶かすような、ぬくもりを持っていた。
ウブな少年のように、虚空は動けなくなっていた。
そんな彼の体を、茉希の小さな手のひらがさすってくれる。
唇をかすかに離し、そしてまた口づけながら、茉希は虚空の体をさすっていた。
何度もそれを繰り返し、二人が離れたタイミングで、ようやく虚空は声を漏らした。
「なぜ……?」
なぜ、キスをくれる?
なぜ、私に触れる?
なぜ、温めてくれる?
悪魔と契約を交わした私を、あんなに恐れたのに。
「なぜだ?」
彼の声に、茉希は恥じらいの表情を見せた。
「ごめんなさい。はしたないですよね、僕」
でも、キスをせずにはいられない。
傷ついたその胸の粉雪を、払ってあげたい。
凍ってしまった心を、溶きほぐしたい。
会話はないのに、二人は視線で言葉を交わしていた。
虚空と茉希は、いつしか抱きしめ合っていた。
ただ、互いのぬくもりを求め合っていた。
そして。
(私は、これからどうしようか)
(僕、この後どうしよう)
こうなった以上、二人の頭の中には、さらに踏み込んだ愛情表現が浮かんでいた。
ベッドルームへ、行きたいのだ。
生まれたままの姿をさらし、身も心も捧げたいのだ。
だがしかし。
(私の方から要求するのは、まるで飢えているようだし……)
(僕の方からお誘いするのは、あまりに慎みが無いし……)
押すことも引くこともできずに、ただ抱き合う時間が過ぎていく。
そんな二人は、ふいに部屋のドアをノックする音に、飛び上がるほど驚いた。
「虚空さま、こちらにいらっしゃるのかしら?」
それは、茉希の母・玲美の声だった。
「まったく、茉希ったら。こんな粗末な部屋に、虚空さまをお通しするなんて!」
大声で毒を吐きながら、ずかずかと茉希の部屋へ入って来た玲美だが、思わず足を止めた。
「どういうことなの……?」
ガラクタや不用品が押し込まれているはずの、茉希の部屋。
それが、見違えるように整い、素敵に変わっているのだ。
古ぼけた家具やカーテンは、真新しい。
ベランダには、瑞々しいグリーン。
そして、入手困難な古い魔導書が、書架には並んでいる。
「お母様、これは……」
怒られ、罵られる前にと、茉希は口を開いた。
しかし、すぐにつぐんでしまった。
『誰にも、言ってはいけない。内緒だぞ?』
虚空が、そう言ったことを、茉希はちゃんと覚えていたのだ。
「お母様。この部屋は、つまり……」
茉希は、とっさに嘘を考えた。
(僕が貯金を全部つかって、虚空さまのために用意した、ということにしよう!)
普段から、家族や周囲に虐げられている茉希。
そんな彼の貯えなど、たかが知れている。
すぐに、バレそうな嘘だ。
しかし、可哀想な茉希は必死でその嘘に賭けようとした。
だがそこで、彼より先に虚空が口を開いたのだ。
「この部屋は、私が茉希の退院に合わせて整えたんだ」
平然ともっともらしい嘘をつく虚空に、茉希は驚いた。
さらに驚いたのは、玲美だった。
「ま、まぁ。虚空さまが!?」
「そうだ。彼は私の『錠前』だからな。少しでも力になって、良い暮らしをさせたい」
棘を隠した虚空の返事に、玲美は焦った。
(虚空さまは、茉希の汚い部屋のことを、知っているんだわ!)
そして、そんな部屋しか与えていなかった私を、責めている!?
心の中では焦ったが、彼女はしたたかな女性だった。
「茉希には、新しいお部屋を別に準備中でしたの。良かったわね、茉希。虚空さまに、お部屋を綺麗にしていただいて」
玲美はペラペラと喋りながら、室内へ入って来た。
その後からは使用人が、料理や酒のワゴンを押してやって来る。
「わたくし、すっかり酔いは醒めましたわ。飲み直しましょう、虚空さま」
虚空に寄こす彼女の眼差しには、茉希の母としてではない、女の色欲がちらついている。
(面倒なことになって来たな)
せっかく茉希と、いい雰囲気になったというのに!
「この女。魔術で、ガロアムシにでも変えてやりたいぞ」
「そんなことしちゃ、ダメです!」
「茉希、私の心を読んだのか?」
「小声で、呟いてましたよ」
「すまない。今後、気を付ける」
二人でひそひそと話すうちに、宴の準備は整った。
「さあ、いらっしゃいな。楽しいひとときを過ごしましょう!」
ご機嫌なのは、玲美だけだ。
虚空も茉希も、少し肩を落としてソファへと歩いて行った。
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