13 / 48

第13話

「ぼんやりしてないで、さっさと手を動かせ!」 「は、はい」  シェフに怒鳴られ、茉希はボウルの卵白を泡立て始めた。  玲美の言いつけを守って、キッチンでレコナを料理しているのだ。  思いがけない残業になり、シェフはイライラしている。  そして、その怒りは茉希に向けられる。  彼はこの屋敷で働き始めて、まだ間もない。  それでも、周囲が茉希に辛く当たるものだから、自然とハラスメントに加わってしまっていた。 「メレンゲ、まだできないのか?」 「ごめんなさい。もう少しです」 「もういい! ボウルを寄こせ!」 「あっ!」  シェフが茉希からボウルを取り上げる時に、手が滑って床へ落としてしまった。 「な、何をしてるんだ! この役立たず!」 「ごめんなさい……ごめんなさい」 「さっさとフロアを拭け! それから、作り直しだ!」 「はい」  茉希がボウルを拾おうと手を伸ばすと、横から腕が伸びてきた。  そして、彼より先にボウルを取り上げると、静かに、だが威圧的に話し始めた。 「ボウルを取り損ねたのは、シェフ。お前ではないのか?」  茉希とシェフの間に割って入ったのは、虚空だった。 「こ、虚空さま。なぜ、ここに?」 「大丈夫か、茉希」  シェフは、血の気が引いた。  すでに、領地中に『虚空』の名は広がっている。  聖なる召喚の儀式に乗り込むほど強い魔人を、瞬殺したという大魔導士。 (それが、なぜ厨房に!?)  虚空の凍てつく視線が、シェフに向けられた。 「茉希は両手でボウルを渡そうとしたのに、お前は片手でそれを受取ろうとしたな?」 「す、すみません! 許してください!」 「謝るのは、私にではない。茉希に、だろう」 「はい!」  ぺこぺこと頭を下げるシェフに、茉希は穏やかだった。 「いいんです。それより、早くレコナを作りましょう」  そんな優しい茉希に、シェフも周囲もホッとしていた。 「残念だが、レコナはもう必要なくなったぞ」 「えっ? なぜですか?」 「茉希の母上は、また酔い潰れて自室へ運ばれて行った。今度は、亜貴もだ」  虚空の言葉に、シェフたちは肩を落とした。 「せっかく、残業してまで準備したのに……」 「新鮮な食材が、全て無駄に……」 「オーブンも、温めてあるんですよ……」  突然に舞い込んだ残業は忌々しかったが、彼らは料理人だ。  食材を粗末にすることには抵抗があるし、せっかく腕を振るおうとしたところを折られると、今後のモチベーションに影響する。  そこで、茉希が声を上げた。 「虚空さまは、レコアを食べたくありませんか?」 「私が、か?」  虚空は、じっと茉希を見た。  茉希は、ちょっぴり悪戯っぽい、そして期待を込めた眼差しを虚空に向けている。 (こんなに少年らしい表情の彼は、初めて見る)  だがしかし。  虚空は今、玲美に勧められた料理や酒で、満腹だった。 (でも、こんな目をされると、食べないわけにはいかない!)  だから、首を縦に振った。 「食べてみたい。その、レコアという料理を」  とたんに茉希は、嬉しそうな笑顔になった。 「レコアは、この土地のソウルフードなんですよ。きっと、気に入っていただけます!」 「それは楽しみだな」  話はまとまり、茉希は一部始終を見守っていたシェフたちに明るい声を掛けた。 「皆さん、調理を続けてください。虚空さまが、食べたいそうです!」  キッチンは、再び活気づいた。  そして誰もが、茉希を見直していた。 『茉希が。いや、茉希さまが、大魔導士の心を動かしてくれたんだな』 『おかげで、食材が活きるというものだ』 『腕が鳴るぜ。最高のレコアを作るぞ!』  茉希が入院していた、リハビリテーションセンターと同じだ。  ここでも人々は、彼の真心に触れて、その評価を真逆に変えていた。  茉希の行動や言葉には、温かさがある。  何一つ、ハラスメントの対象になるような欠点は無いのだ。 「だのに、どうして皆、茉希に辛く当たるんだ?」  できたて熱々のレコアにフォークを立てて、虚空はぼやく。 「嫌だな。僕、大丈夫ですよ?」  そうは言っても、茉希は少しだけ瞼を伏せて、耐える表情を見せていた。  虚空は、それに腹が立つのだ。  誰もかれも、茉希の善さに気付いていない。  そして、本人でさえ自分を見失って、委縮している。 (茉希の『鍵』であるこの私が、ちょっと風通しを良くしなければ)  そんな決意を胸に、虚空は料理を平らげた。

ともだちにシェアしよう!