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第21話

『虚空さまに、素敵なスーツをプレゼントするんだ!』  それが、今の自分ができる第一歩と信じて、駆け出した茉希。  行き先は、屋敷の隅に設けられた喫煙ルームだった。  透明なアクリルの壁で仕切られた、分煙のための小部屋には、数名の使用人たちが憩っている。  手にタバコをつまんで、煙を吐きながらお喋りの最中だ。  そのアクリル壁を、茉希はノックした。  この部屋に、彼が会いたい人物がいるのだ。  ノックの音に、喫煙者たちは一斉にこちらを向いた。  そして茉希は、その中にいる一人を名指しした。 「アジラ・伸二(しんじ)さん、いますか?」  煙草をふかしていた使用人たちは、ノックした人間が茉希と知ると、緊張を解いた。 「誰かと思ったら、無能力者の茉希坊ちゃま!」 「どうしたんです? 煙草を吸いに来たんですか?」 「どうぞ、どうぞ。お入りになって!」  無能力者とは言え、茉希も由比家の子息だ。  だが使用人たちは、彼に無礼を働くことに慣れていた。  何を言っても、何をしても、この屋敷の主人たちに咎められないからだ。  彼らも、茉希が由比家の家族に疎まれていることを知っている。  肩書は主人だが、内情は使用人以下。  それが、茉希の立場だった。  しかし、今日の茉希は違っていた。  真っ直ぐに彼らを見て、堂々と話したのだ。 「僕は、煙草を吸いに来たんじゃありません。アジラさんに、用があるんです」  おや? と、使用人たちは煙草の灰を落とした。  中には、吸うことをやめた者もいる。  その場の全員が、茉希から不思議な迫力を感じ取っていた。 「どうしたんだ、茉希坊ちゃま」 「何か、いつもと違うわね」  そんなささやき声の中を、茉希は真っ直ぐに進んだ。  喫煙ルームの一番奥に据えられた、木でできた椅子。  アジラは、そこに腰掛けていた。  ここが彼のための、特等席なのだ。  他の使用人たちは皆、立って煙草を吸うのだが、アジラだけは座ることを認められている。  全員が、この古老のマイスターを尊敬していた。 「アジラさん、頼みがあります」  茉希は、瞼を閉じて煙草を味わっている老人に、声を掛けた。  年齢は、すでに80歳を過ぎている。  多くの弟子を育て、今では自らが服を仕立てることはない。  王族の注文も受けていたという、レジェンドだ。  茉希が声を掛けても、彼は煙草を吸い続けた。  そして、茉希も待ち続けた。  手にした煙草が短くなり、アジラは最後に大きく煙を吐いた。  紙巻の火を灰皿で揉み消し、彼はようやく茉希の方に視線をやった。 「待たせたな」 「いいえ。僕のお話を、聞いてもらえますか?」 「いいとも。吸い終わるまで、時間をくれたからな」  そこで、ようやく周囲は気付いた。  ずっと黙って、動かなかった二人。  それは、アジラが茉希を軽んじて無視していたわけでは、ない。  逆に、茉希がアジラに気を遣い、煙草を吸い終わるまで待っていたのだ。 「茉希坊ちゃま、いいとこあるなぁ」 「ここのご主人様はみんな、否応なしに命令するけどね」  喫煙者は誰もが仕事をサボっている、と叱りつけた上に、要求をゴリ押ししてくる、由比家の人間。  たとえ休憩中だろうが、火を点けたばかりの煙草だろうが、すぐに仕事に戻らせるのだ。  そんな主人たちにウンザリしている使用人たちは、茉希の余裕ある行動に思わず感心していた。 「スーツを一着、仕立てて欲しいんです」 「屋敷には、俺以外に若いテーラーが大勢いる。そいつらに頼みな」 「あなたにしか、できないと思うんです。お願いします」 「何で、俺にしかできない?」  茉希とアジラのやりとりを、煙草を吸うことも忘れて見守る、使用人たち。  そんな中、この小さな主人はある人物の名を上げた。 「先だって、僕が召喚した魔導士・虚空さま。彼のスーツだからです」  驚いて、小さく息を吸う音や、声を飲み込む音がする。  周囲の人間は、顔を見合わせうなずいた。  確かに、あの方の服ならば、並みのテーラーでは作れない。  そんな確信が、全員の胸に生まれていた。 「ほう。そいつは、面白そうな仕事だな」  アジラも、きれいなシェブロンに整えられた白いひげをつまんだ。  茉希は、彼から良い返事が聞けるかどうか、ドキドキしていた。 (虚空さまのために、僕ができること。その一歩なんだ!)  胸の鼓動が、外まで聞こえるかのようだった。

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