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第29話

 肩を震わせ、しゃくり上げる亜貴からは、もうフェロモンの気配が無い。  虚空はただ彼の背を撫で、なだめていた。  そして、頃合いを見計らって訊ねた。 「君と茉希の兄上……芳雅の死には、何かあったのか?」 「芳雅兄さまは……うわぁあん!」  再び泣き出す亜貴に、虚空は再び頭を抱えた。 (しまった。ようやく泣き止んだというのに!)  仕方なく虚空は立ち上がり、泣く亜貴を置いてキッチンへ向かった。 「泣きたい時は、気の済むまで泣くしかないからな」  虚空は湯を沸かして温かい紅茶を淹れ、そこに酒を少し注いだ。  ティーカップを手にした頃には、亜貴は泣き止んでいた。 「飲むと、温まるぞ」 「……ありがと」  紅茶を一口、また一口と飲むたびに、亜貴は少しずつ芳雅と茉希について語り始めた。 「茉希は芳雅兄さまのことが好きで、兄さまも茉希が好きだったんだ……」 「やはり、そうか」 「でもね。二人とも、お互いに好きだ、って言わなかった」  僕も、芳雅兄さまが好きだったからだ、と思う。  亜貴は、そんな風に打ち明けた。 「兄さまが僕じゃなく、茉希を選んだら。僕がもっと茉希をいじめるようになる、って」 「芳雅が、そう言ったのか?」 「ううん。そんなこと言う人じゃないよ。僕の推測」  そして、亜貴も同じように考えたのだ。 『芳雅兄さまは、僕のもの! 横取りしないでよ、茉希!』 『亜貴、僕は。僕は兄さまのこと、そんな風に思ってないよ!?』 『嘘だ! 兄さまは、茉希ばっかり可愛がってる!』  魔力を持たない茉希は、第二性がオメガということもあって、周囲からハラスメントを受けていた。  芳雅はいつも、そんな彼をかばい、慰めた。  亜貴にはそれが、我慢ならなかったのだ。 「僕は。僕、僕が。僕のせいで、うぅっ……!」 「亜貴、もういい。もう芳雅兄さまは、胸にしまうんだ」 「僕、僕のせいで、兄さまは! 僕が兄さまを殺したんだ!」  聞き捨てならない亜貴の言葉に、虚空は目を見開いた。 (みんな、特に亜貴は、茉希のせいで芳雅が死んだと言ってたが?) 『ね、茉希。東の林に、クラムルの実がたくさんあるらしいよ!』 『クラムルが?』 『芳雅兄さまは、クラムル漬けのリキュールが好きだから。一緒に摘みに行こう』 『うん!』  茉希は、今日に限って亜貴が優しい言葉を掛けてくるので、不思議に思った。  しかし、亜貴も芳雅を愛していると知っていたので、純粋にクラムル狩りに誘ったのだと信じて疑わなかったのだ。 「それで二人そろって、魔人の目撃情報があった危険な林へ行ったのか?」 「そう。僕は、魔人が茉希をさらってしまえばいい、とまで考えたんだ」  そこで亜貴は、また泣き出してしまった。 「茉希さえいなくなれば、兄さまは僕のものになると思って……うわぁあん!」 「誰しもが陥る独占欲だ。亜貴だけじゃない」  気にするな、とまでは言えないが、虚空は亜貴に同情していた。 (愛する人が、双子の弟の方を好きだとなると。これは、酷だな)  その後、亜貴が話したことは、危険を感じて連れ戻しに行った芳雅が、魔人に襲われた茉希を助けた、という虚空も知る事実だった。 「心に抱える毒を全部吐き出して、ホッとしたかな?」  虚空は、ソファに横たわって眠る亜貴の頭を撫でてやった。  泣き疲れて眠ってしまった、茉希の双子の兄。  あどけない寝顔は、愛しい人にそっくりだ。 「これを機に、茉希に少しは優しくなってくれよ」  亜貴も、辛かったのだろう。  茉希に対して、言いようのないコンプレックスと、負い目を感じていたのだろう。 「そうだ。これから茉希を呼んで、仲直りの食事会でもしようか」  亜貴も、今なら素直になれるかもしれない。  虚空はそう考え、茉希へ念話を試みた。 『茉希、聞えるか? 私だ、虚空だ。聞こえたら、念じて返事をしてくれ』  魔力の無い茉希だが、虚空とは『鍵と錠前』の関係だ。  念話・テレパシーが通じる可能性はある。  そして、思った通り虚空に返事があった。 『虚空さま! 今、取り込み中です! 後にしてください!』 「え!? えぇ……?」  せっかくの、念話の初返事が、これだ。  虚空は、がっくりと肩を落としそうになった。  だがしかし。 『取り込み中、だと? 一体どうした、茉希。トラブルに巻き込まれたのか!?』  心配のあまり、もう一度念話を試みた、虚空。  茉希の返答を待ったが、もう何も響いて来ない。 「何があったんだ、茉希……!」  虚空は、急いで彼の居場所を探し始めた。

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