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第36話
国王らの前から退出した虚空は、元の控室へと戻った。
ドアを開けると、そこには心配そうな顔の茉希が、待っていた。
「どうしたんです? 何か、あったんですか?」
いつも、茉希を守る側にいる虚空が、取り乱した念を放ったのだ。
『茉希! 茉希……私を、私を助けてくれ! 茉希!』
茉希が不安になるのも、無理はなかった。
「驚いただろう、すまない。君まで、巻き込むつもりはなかった」
「虚空さま……」
虚空は、迷っていた。
(遥斗王子が、私の弟にそっくりだ、と茉希に打ち明けるか……?)
理性は、迷う必要などない、と訴えていた。
『ちゃんと、茉希に事実を話すんだ。今の私にとって、一番大切な存在は、茉希なのだから!』
しかし本能は、大声で叫んでいた。
『茉希は確かに大切だ。だが、遥斗の顔、遥斗の声、遥斗の体、遥斗の名前を持つ人間が、現れたんだぞ!』
虚空の心は、茉希から遥斗へと大きく傾いていたのだ。
虚空の様子が、いつもと全く違うことに、茉希は気付いていた。
それでも彼は、いつものように穏やかな声を、虚空に掛けた。
「僕で良ければ、聞きますよ?」
「えっ」
「話せば、少しは楽になるかも。言葉にすれば、少しは落ち着くかもしれません」
「茉希……」
虚空は、じっと茉希を見つめた。
何も言わないまま、静かに時間だけが流れていく。
茉希は、待った。
虚空の沈黙を尊重し、静寂を守った。
どれほどの時が経っただろう。
ようやく虚空の喉が動き、唇が震えた。
「そっくり、なんだ」
「えっ?」
「遥斗王子は、私の死んだ弟に、そっくりだった」
「……」
茉希は、なぜ虚空がこれほど苦しんでいるのかが解った。
愛した弟と、そっくりな人間が現れた。
それを喜ぶのではなく、悩み苦しむというのなら、答えは一つだ。
(虚空さまは遥斗さまに、一目で恋をしたんだ……)
茉希は瞼を閉じて、それからパッと開いた。
「大丈夫です」
茉希の声は、落ち着いているが明るかった。
「前に、言ってくれましたよね。虚空さまが、僕に」
『茉希が私を捨てても、私は君をずっと愛し続けるよ』
それは、つい最近の出来事なのに、ずいぶん昔のことのように感じられた。
「僕も同じです。虚空さまが僕を捨てても、僕はずっとあなたを愛し続けます」
「茉希」
「だから、遥斗さまの元へ走ってもいいんですよ。でもその前に、まずは模擬戦です」
「……」
「いい勝負をしないと、遥斗さまは虚空さまにガッカリしますよ?」
茉希は現在、虚空付きの神官という肩書をもらっている。
その役目を果たすためのような言葉になってしまったが、彼は何より虚空が大切だった。
自分の幸せより、虚空の幸せを願うようになっていた。
「捨てる? 私が、茉希を、捨てる……?」
虚空は、小さく声に出してみた。
目の前にいる、いや、ずっと前から寄り添っていてくれた、茉希。
「できない。そんな、まさか。茉希を捨てる? できっこない……」
ただ、遥斗の姿を思い浮かべると、その決意が揺らぐ。
茉希が許してくれるのなら、と甘えてしまいたくなる。
その優しく、強く、広い心を持った茉希は、何度もうなずき虚空を励ました。
「いいんですよ、今すぐに決めなくても。心が落ち着くまで、待ちましょう。ね?」
「ああ、解った。ありがとう……ありがとう、茉希」
まるで幼子をあやすように、茉希は虚空を抱きしめた。
その広い背中を何度もさすって、彼を癒し、落ち着かせた。
虚空は、そんな茉希に身をゆだねたまま、精神を集中させようと努力した。
(茉希の言う通りだ。まもなく始まる戦いに、備えるんだ)
おそらくユーリは、虚空にとっては格下の相手だ。
軽く捻るなど、簡単なことだ。
しかし、彼はしばらく姿を消していた。
修行だ、特訓だと噂されていたが、本当のところは誰も知らない。
婚約者の亜貴ですら、はぐらかされたと言うのだ。
(油断してはいけない。さて、どう試合運びを組み立てるか……)
戦うことを考え出すと、虚空の心は途端に震えが止まる。
骨の髄まで戦いに染まった自分に気付き、彼の眉根は少しだけ寄っていた。
華やかなファンファーレと共に、歓声が上がった。
ユーリと虚空、二人の模擬戦を観て勉強しようという神官だけではない。
希望者を募り、一般の観客も多く闘技場に集まっていた。
いつもは、スポーツやコンサートの行われる、大きなスタジアム。
そこで今日は特別に、魔術を駆使した戦いが繰り広げられるのだ。
観覧希望者が多すぎて、チケットは抽選で配布された。
しかし、この有名な魔導士の戦いを一目見たいと願う人間は後を絶たず、偽造チケットや、転売屋まで現れる騒ぎとなった。
「外は、すごい人出ですよ。虚空さま、緊張しないでくださいね?」
「大丈夫だ。私は、そんなに繊細ではない」
虚空は事も無げに返したが、茉希は胸の内で、違うと思っていた。
(嘘だ。虚空さまは、とっても繊細な人です。遥斗王子の一件で、解りましたよ?)
亡き弟にそっくりな遥斗の出現で、これ以上ないほど取り乱したのだ。
心に負った深い傷が、虚空に繊細な一面をもたらしたのだろう。
「茉希に、お願いがあるんだが」
「何でも言ってください」
「セコンドに付いてくれないか? 今の私には、君という道しるべが必要だ」
「……はい!」
(先のことは解らないけど、今は僕を必要としてくれるんだ!)
茉希は、元気よく返事をしていた。
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