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第41話
闘技場の歓声は鳴りを潜め、人々のざわめきに入れ替わっていた。
始めは、虚空が悪魔との契約者だったことに対して、恐れや侮蔑の言葉を交わしていた。
しかし今は、ユーリに対しても、そうだ。
天使の羽を一枚だけ手に入れた、ユーリ。
悪魔と契約するより、天使との方がまだマシだ。
人々は、そう思ったが、ユーリの言葉を聞いて震え上がった。
『翼を一枚もぎ取っただけで、死んじまうなんて。とんだ役立たずだ』
契約どころか、彼は天使の命を奪って、その力を手に入れたのだ。
ユーリの方が、心象が悪かった。
非難の声が上がり始めたが、彼にはまるで効いていない。
自分は悪いことをした、という考えが、頭にも心にも存在しないのだ。
そんな彼に、虚空は問いかけた。
いや、問いかけと言うより、確認だった。
「ユーリ。私が悪魔と契約したことを、誰から聞いた? そこの、セコンドか?」
「そうだ。彼は、いろいろと詳しくてね。天使の力を得る方法も、教えてくれたのさ」
「その物知りの男が、魔人だと解っていても、君はお近づきになったのか?」
「まあ、な。奴らの知識すら利用してこその、魔人ハンター。そうは思わないか?」
虚空は、眉根を寄せた。
それに加えて、唇を噛んだ。
(力さえ手に入るのなら、その手段は選ばない、か。これほど、危険な男だったとは!)
虚空が考え込んだのは、ほんの一瞬だったはず、だった。
しかし、その短い隙をついて、ユーリが呪文の詠唱を始めてしまった。
「イムシファ・ラルケム・ウグール。聖なる力よ、邪心を清めよ。ダ・ムハ・トゥーム!」
「まずい!」
虚空は、その呪文を知っていた。
魔の属性を持つ身としては、使うことができない魔術だが、知識として頭には入れていたのだ。
「ガヅァクキ・ルルアブズヴ。大いなる力よ、全てを包み込め。マヴクジオ!」
虚空の展開した立体魔法陣が、闘技場全体を覆った。
誰の胸にも、邪心は秘められている。
ユーリの放った魔術は、虚空だけでなく一般の観覧者たちをも巻き添えにする、危険なものだった。
「惜しい! 俺の方が、ちょっと遅かったな!」
ユーリは、笑う。
ゆがんだ顔は、そのまま心の歪みだ。
これは、互いの魔術を披露しての、模擬戦だったはず。
それが、生死を掛けたデスゲームに代わってしまっていた。
「ユーリ、力の放出をやめろ。ここには、亜貴もいるんだぞ!」
彼の婚約者・亜貴。
虚空は、まだユーリが亜貴を少しでも愛していると、願った。
亜貴は茉希と手を握り合い、虚空の魔法陣に護られている。
青くなって震える亜貴を、ユーリはチラリとうかがった。
「亜貴、かぁ。大神官の息子だからって、威張り散らしやがって。もう、ウンザリだ! 俺は、もっと可愛げのある子を探すぜ!」
ユーリは、目の前の虚空にだけ言葉を叩きつけたつもりでいた。
しかし彼の声は、彼自身の魔力によって、隅々にまで広がり渡っていたのだ。
もちろん亜貴の耳にも、それは入って来た。
愛情のかけらもない、婚約者の言葉。
亜貴の心がユーリから、すでに離れているとはいえ、ひどい仕打ちだ。
「ユーリ……」
「亜貴、大丈夫?」
茉希は、彼をしっかりと抱きしめた。
(あれっ? 亜貴の震えが、治まってる……?)
ショックで、恐怖の震えまで止まってしまったのだろうか。
だが亜貴は、そんな茉希の想像をはるかに超えていた。
「ユーリ! この、天使の成り損ない野郎! お前なんか、もう婚約者でも何でもないよ!」
「あ、亜貴?」
「さっさと、虚空さまにノックアウトされちゃえ! バカ! アホ! マヌケ!」
声を限りに叫ぶ亜貴に、ユーリはもちろん虚空も驚いた。
「しまった! 俺の声、聞こえたのか!」
「亜貴も、茉希と同じく好戦的だったか……」
「婚約者じゃない、だと!?」
亜貴と結婚して、由比家に入って。
当主になって、大神官の地位も手に入れて。
「この世界で、好き放題やるはずだったのに! 全部パーかよ! クソォ!」
怒りは、ユーリの魔力をさらに膨張させていった。
「こうなったら、まず目の前の邪魔な男を葬り去ってやる!」
ユーリの思考は、さらに危険な方へと大きく傾いた。
暴走に近いほどまで高まった彼の魔力は、闘技場全体をミシミシと壊しにかかっている。
「しかし……」
防御陣を強めながら、虚空はユーリのセコンドを見た。
「彼は、この状況で平然としている。もしかして、こうなることは計算済みだったのか?」
だとしたら、あの男に何の利がある?
ユーリに天使殺しをさせて、その力を持たせて。
私が悪魔と契約したことを教えて、それをユーリの口から喋らせて。
天使から得た力をユーリに解放させて、さらにリミットブレイク寸前まで膨張させる。
「君に、何の旨味がもたらされる? ユーリのセコンドに付いている、そう、君だ!」
何度かうなずく男に、虚空は訴えるように問いかけた。
「そうだな。そろそろ、頃合いか」
男は、ソフトハットを脱ぎ、サングラスをはずした。
マスクも取って、素顔をさらした。
不敵に微笑む、整った顔。
整いすぎて、まるで作り物に見える顔。
その素顔を見て息を飲み、そして叫んだのは、虚空ではなく茉希だった。
「芳雅兄さまの命を奪った……魔人!」
茉希の叫びにも、男は動じなかった。
気味の悪い笑みをたたえたまま、さらに気味の悪いことを言った。
「覚えていてくれたのか? 久しぶりだね、茉希」
虚空はその時から、ユーリよりこの男の方を警戒し始めた。
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