44 / 48
第44話
魔人との壮絶な戦いの果てに、気を失ってしまった虚空。
彼が目を覚ました時、一番に感じたのは手のぬくもりだった。
視野には、白い見知らぬ天井。
耳には、彼の身体機能を補助してくれる機械が鳴る小さな音。
鼻は、消毒用アルコールの香りを捉えた。
ぼんやりと、記憶を手繰る虚空だ。
(このぬくもりは……私の手を温めてくれる、この感じは……)
「……茉希?」
「お目覚めですか、虚空さま。ずいぶん長く、休まれましたね」
穏やかな声のする方を見ると、微笑む愛しい人が確かにいた。
「あの時と、立場が逆ですね」
「あの時?」
「あなたが初めてこの世界へ来た時、です。あの後、僕は気絶して病院へ送られました」
あぁ、そうだった。
意識がしっかりと立ち直る間に、虚空は茉希との出会いを思い出していた。
(確かあの時は……茉希の様子が気になって……病室まで足を運んだんだ)
虐げられる生活と召喚からの疲労で、あまりにもボロボロだった、茉希。
まるで瀕死のように見えたので、心配になってずっと手を握っていた、虚空。
治癒の魔術を使おうかとも思ったが、この痩せた小さな体には、返って毒かと思ったのだ。
「意識のない君に、いきなり魔力を注ぎ込むのは危ないと思ったんだ。だから」
「だから、こうやって手を握ってくれてたんですね。僕を、温めてくれていたんですね」
「うん。うん、そうだ。今は、茉希が私の手を握り、温めている」
ありがとう、と笑顔を作った虚空は、ひどい痛みに声を上げた。
「ッ、くぅ! な、何だ? これは?」
空いている方の手を頬に当てると、大きなガーゼが当てられ、張りつけられている。
「虚空さまは、ひどいケガを負われて。顔も、何針か縫ったんです。傷口が開くから、気を付けてください」
「縫った? 手術をしたのか……治癒の魔術を使える者は、いなかったのか?」
虚空の質問に、茉希は複雑な表情を見せた。
言いにくいことを、無理に伝えようと頑張っている。
「覚えてないんですか?」
「何を、かな……?」
虚空は、さらに記憶の糸を手繰った。
茉希の手のぬくもりを感じながら、もう一度目を閉じてみた、虚空。
瞼の裏に見えたのは、優しい光に包み込まれていく世界だった。
『ボクはイマ、このセカイすべてのマリョクを、タバねました』
『ラヴァ・ピゥズ。光よ、天に昇り、水に潜り、大地に滲み、緑に溶け……』
『……全てを還せよ。ユウォク・ミ!』
思い出した。
茉希は世界中の魔力の器となり、集めた力を全て自然へと還したのだ。
虚空は、あの時と同じ言葉を繰り返していた。
「私も、全てを失った……」
「でも、僕が傍にいます。僕は、僕だけは、ずっと虚空さまの傍にいます」
「そうだな。それで充分だ。ありがとう、茉希」
茉希もにっこり微笑むと、ナースコールで医療スタッフを呼んだ。
そして虚空の、本格的な治療が始まった。
「魔力を失くして、魔術が使えない。最初はみんな、混乱したけどさぁ」
虚空の病室に差し入れで持ってきた果物を切り分けながら、亜貴は明るく言っていた。
「無ければ無いで、何とかなるものだよね。もともと、魔人に対抗するために研ぎ澄ましていった力だし」
「そうだな。魔人が魔人で無くなった今、ことさら必要でもないのか」
しかし、と虚空もダイスにカットした果肉の器を受け取りながら、眉根を寄せた。
これで済ませて良いのか、との疑問が彼には生まれていたのだ。
茉希と亜貴の兄・芳雅を殺めた、例の魔人。
彼は闘技場で、そのまま容疑者として逮捕され、今は裁判を待つ身となっている。
通常の人間と同じに、司法で罪を裁かれるのだ。
「これで、気が済むのか? 憎い兄上の敵を、剣でズタズタにしなくてもいいのか?」
「物騒なことを言いますね、虚空さまは」
「僕は、茉希とは違うよ。できれば、兄さまと同じ目に遭わせてやりたい!」
だけど、と亜貴は唇を尖らせた。
「あの場には、国王陛下がいたもんね。陛下の目の前だから、できなかったんだぁ」
「そうか」
亜貴に返事をしつつも、虚空は別のことを考えていた。
(奴には、余罪がいくらでもある。死刑は免れないだろう……)
どのみち、死すべき運命だ。
茉希に視線を移すと、彼は固い表情になっている。
理性では解っていても、感情が伴わないのだろう。
この問題を氷解させるには、もっと時を重ねる必要がある。
虚空も、今はそんな仮の結論を出すしかなかった。
「ラクク、美味しかったね!」
「あれは私への見舞いの品、じゃなかったのか?」
「一番たくさん食べたの、亜貴だね」
「ぼ、僕が持ってきたんだから、別にいいじゃん!」
明るい会話が交わされ、虚空の病室は和やかな空気でいっぱいだった。
それが、一気に緊張する。
ノックの後、国王が見舞いに現れたのだ。
「はわぁ、あ……国王陛下!」
「あ、亜貴! 姿勢をもっと低くして! 頭を下げて!」
慌てる亜貴と茉希だが、虚空はゆったりと招き入れた。
数百年の時を生きて来た彼にとっては、年長者に見える国王も年下だ。
そして国王もそれを配慮してか、威張り散らす様子もなく穏やかに声を掛けてきた。
「具合は、どうかね?」
「おかげさまで、良好です。固形の果物も、食べられるようになりました」
「君には、心から感謝している。君のおかげで、数千人の国民が一度に命を落とさずに済んだのだ」
「もう少し、他に方法があったのでは、と省みていますよ」
こんな大人の会話を楽しむ虚空を、茉希は護衛の人間に挟まれながら聞いていた。
(虚空さま、ようやく元気になったみたいだ)
僕も嬉しい、と思った矢先、朗らかな声と共に場の空気が打ち砕かれた。
「もう、傷はすっかり治ったのかな? 虚空お兄さん!」
国王の息子・司波・レンリ・遥斗が到着したのだ。
非業の死を遂げた虚空の弟と、そっくりの彼が現れてしまった。
ともだちにシェアしよう!

